久保らの歩く道 公演情報 コーヒーカップオーケストラ「久保らの歩く道」の観てきた!クチコミとコメント

  • 満足度★★★★★

    コーヒーカップオーケストラ版スタンド•バイ•ミー!!
    人生ちょっとしくじってて、うっとうしくて、でも憎めなくてちょっぴり愛らしい奴ラの無茶ぶりが二乗三乗と上乗せさせられていくハイパー青春友情物語。これはもはや、コーヒーカップオーケストラ版スタンド•バイ•ミーではないか!!

    ネタバレBOX

    この公演は、モリサキミキさんを客演に迎え、日替わりゲストとコーヒーカップオーケストラのメンバーのみ、という少数編成。私の観た日のゲストは、はえぎわの踊り子ありさん。およそ2年前に高円寺の明石スタジオでみた公演の時にもありさんがご出演されていた。確か、主人公よりも怪力っていう女子高生の役。浮世離れした能力を持っているのだが、そこにはリアルな苦悩と葛藤と、それを裏切るカリカチュア的なポーズが交錯し、ありさんが登場すると場の空気が締まったことを覚えている。逆に言うとありさんなしではちょっと持たないようなシーンもあった。
    それが、どうしたことだろう!
    2年前に観た時とは比較にならないほどに、面白かったのだ。それは、コーヒーカップオーケストラのメンバーがめちゃめちゃがんばってるその『必死』さをあえて隠さなくなったこと、舞台上では無遠慮でいることに後ろめたさがなくなったこと、そして何より『久保ら』を演じた3人がとても楽しそうだったことにある。ひょっとしてそれはこのはなしが『友情』をテーマとしていたことに起因するのかもしれないのだが楽しそうな雰囲気を演出するというのは、下手したら内輪ノリになりかねないし、はしゃぎすぎると無理してる感が見え透いてしまうから、さじ加減が実は結構難しいのではないかとおもうのだが、これは、よかった。
    相変わらず(?)あくは強いものの、奇をてらうことに頼りすぎず、高校時代に出会った久保、岡本、野島、の人生を、天国にいる『久保ら』が回想するという視点からストレートに描いていた。
    その中身は、野球のルールを知らないのに甲子園に行く野心だけはもっていた高校時代の野球部での練習風景や、ファッションデザイナーになんてなる気もないのに離れがたくて同じ専門学校に通っていた頃、好みのタイプの女性のはなしで日が暮れるまで盛り上がったこと、とかそんな、なんでもない日常の1コマの、くだらなくて、ばかばかしくて、でも彼らにとっては特別なひと時で。
    それから社会に出て、久保は貿易会社のリーマン、岡本はヒモ、野島は芸人と、それぞれの道を歩み、疎遠になって、再会して、一年に一回会うようになって...と関係性が変わっていく時間の経過が『銀河鉄道の旅』になぞらえられていた。
    これは、久保らの人生とあるいて来た道をあらわすとてもいいアイデアだったとおもう。それに、『銀河鉄道』のレールが描かれた黒い箱。これをいくつか組み合わせ、教室、会社、居酒屋、と舞台空間を変化させていく方法はシンプルだが、それぞれの場面での個性(気質)や振る舞い(喋り方/しぐさ)は『会わない時間』を経て考慮されたものだった。
    登場人物の造形がしっかりしているのは2年前にみた時にも感じたことだったが、今回はクリヤマチ●キ、エビヅカ、迷彩服の女、ガイドと、アクセントとして登場する者たちが、久保の同僚であったり、野島がナンパした女であったり、ストーリーテラーであったりと、すくなからず、久保らとかかわり合いのある人々であり、その背景に加えて、気持ちをみせるようにしていたので、たとえそれが、チープなカブリモノや、一発ギャグ、場の盛り上げ係であったとしても、単なる色物扱いにも『なんとなく面白い』という曖昧な笑いになることもなかった。これは、とても重要なことだし、2年前との大きな変化だったといえる。

    特筆すべきは、『銀河鉄道』のモチーフを、それを用いた具体的なドラマとして、物語の流れに組み込み、成立させたことにある。
    それは、芸人•野島が余命いくばくもない少年のために銀河鉄道に乗ったトウメイ人間と戦うという舞台を同僚と観に来ていた久保が劇場で岡本と再会したことをきっかけに、久保ら3人が学生時代の時のように、1年に一回集まるようになったということ。
    その舞台は、岡本の妻•佐々木が脚本を手がけたものであるのだが、佐々木は野島が学生時代ナンパした女であったという繋がり。
    彼らを繋げた心温まるこのエピソードには、もうひとつのドラマが隠されている。それは、佐々木が手がけた舞台を「あまりおもしろくない」作品として、みせていることだ。たとえば「セリフの途中でふと鼻を噛む」という1シーンは、「リアリティ」の使い方としては間違ってはいないのだろうが、ほんとっぽくすることに一体何の意味があるという、リアリズム的描写へのアンチテーゼを感じるし「病気がちな少年」で泣き落としをはかろうとすることは、やや戯画的な処理がなされてはいるものの、今日における悲劇的設定としての常套句に疑問を投げかけているように思えるし、それらをあえて「ギャグ」のポストドラマとして提示させることはなかなか、キレのある表現だとおもう。
    更にこれと関連する、佐々木が手がけ、野島が出演する本能寺の変をパロった殺陣シーンに笑いのエッセンスを取り入れた寸劇的なフリス●CMのシーン。
    あーあれのアンチテーゼね、とわたしは勝手に理解したけども、おもしろくもない脚本家が、テレビ業界にも幅をきかせ、公演を行えば即日完売、というのは現実でもよくあること。そういう俗っぽさを斜めに構えるアナーキーさが、コーヒーカップオーケストラには、実はとてもあるような気がしている。良い意味で、強かなのだ。

    ジローラ●を敬愛しまくりで愛読書がレオン、なのに仕事ができない同僚エビヅカに先を越され、人生ちょっとしくじり気味の久保を、スマートなボケによって演じた前田さん、
    実家は酒屋だったのに、酒飲みすぎて倒産させてしまい、女に喰わしてもらってるが、なんだか憎めない岡本を、不意打ち的にボケながら、役者に何かと無茶ぶりさせるポジションの宮本さん、
    受けた仕事は断らないという芸風で、一世を風靡し、しかも低身長でそんなにイケメソでもないのになぜか昔からモテまくりで、スーパースターの異名(芸名)を持つ野島を、数々の無茶ぶりもエベレスト級の自尊心で超えまくる後藤さん、の掛け合いはもちろんのこと、
    佐々木役とガイド役を兼任したモリサキミキさんの一生懸命さ、野島にフラれたことに腹をたて、よりを戻さないと殺すと脅し包丁を振り回す迷彩服女を熱演する踊り子ありさんの破壊力により、舞台はより、マジカルな空間に。
    ほんとうに、とてもたのしかった。
    そして、冒頭でみた久保らのシーンが、ラストでは、とても染み入る光景と変化していて、ベン•E•キングのスタンド•バイ•ミーのメロディーを耳にたぐり寄せながら、あたたかな気持ちを胸にその場を後にしたのだった。

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    2011/12/15 20:26

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