夏葉亭一門会vol.3 公演情報 夏葉亭一門「夏葉亭一門会vol.3」の観てきた!クチコミとコメント

  • 満足度★★★★

    小劇場俳優×落語の好企画。
    夏葉亭一門会という企画は、小劇場俳優というフィルターを通して落語の面白さをひろめようという意志のある、すごくいい試みだとおもう。ただひとつ気がかりなのは平日昼夕各1回ポッキリの公演であるということ。これだと勤め人にはなかなかシビアなタイムスケジュールだ。しかし、もし万が一見逃したとしてもgiggleのブログ(http://ohji-giggle.seesaa.net/article/239033184.html)で動画をいつでも誰でもみれるという体制が整っているので問題なし。夜の王子落語会に来られるような方々と夏葉亭の回路がつながれば更にいい循環が生まれそう。なんせ『夏葉亭』という屋号自体、何やらしでかしてくれそうな、はたまた新しい風を吹き込んでくれそうないい気配が漂っている。

    ネタバレBOX

    まずは昼の部、トップバッター。金丸慎太郎さん扮する、夏葉亭桜は メールのサクラと桜命名秘話を掛け合わせ、花繋がりでゆるやかに「竹の水仙」の本編にはいり、現代的な感覚の語り口で、あまり落語を観たことがないひとでも違和感なくスッとその世界にはいっていけるようなフランクさでもって、宿屋と天才竹細工職人の駆け引きから温情までしっかり演じ分けているのが新鮮で、ほんとうにこれは古典落語なのかと思わせるほど、なじんでいた。金丸さんの辞書に『野暮』という文字はないような気がした。

    一方、永島敬三さん扮する夏葉亭雛菊は、まくらに与太郎を置き、古典落語の血筋をなぞるようにそのまま噺へ。柿喰う客メソッド、高速台詞回しの引用により、話法としての独創性はそこそこ見受けられたものの、声のトーンがイマイチ演じ分けられていないように感じた。滑舌はしっかりしているので、語尾まできちんと台詞が聞こえるが、センテンスの真ん中あたりが時折混線した風というか、詰まる感じになるので、聞き取りにくい印象。動画でみるとそれが目立つ。

    ホッチキスの小玉久仁子さんは、とにかくまくらからぐいぐいと惹きこまれ、いつのまにやら「たらちね」がはじまっていた。しゃしゃり出てくる大家の独壇場。台詞のリズムが音楽的に流れ行く様に、歌舞伎のようなダイナミズムで盛り上がり、そこから更に笑いに転調させるというアンサンブルがなんとも小気味よい。小玉さんの声の響きにはもっと、ずっと、聞いていたいと思わせる魔力を秘めている。

    多田直人さんは、しじみ売りの少年、寿司屋の親父、親方、子分を変幻自在に演じ分ける。表情をかえ身体を切り替える。その瞬発力が凄まじく、ぞくぞくした。それぞれのこころの裏側がみえるような。惜しむらくはトリを努めることの恐縮から金保丸という名前の由来、それから自分語りを経て「たすけあいの精神」を強調するのだが、このまくらが冗長的な割に、まったくおもしろくなかったことだ。少年のはなしがおもしろくないという本編にあわせて多田さん自身の記憶と重ね合わせてそうしたのだろうが、もう少し違う噺をしてもよかったようにおもう。

    夕の部、夏葉亭みかん(柿喰う客/村上誠基)による前座。開演に際しての諸注意を小話を交えて。しかしこれは落語というより、マクラの名を借りた雑談といったほうが近いような趣き。同級生のギュウちゃんという名前の女の子の失敗談を、携帯電話のヴーと鳴るヴァイブ音、と言葉遊びをしたくなる気持ちはわからなくもないが、噺としてはあまりおもしろくない。唯一、おもしろかったのが、柿喰う客のワークショップ秘話。これにはえらいカルチャーショックを受け、お陰で何の諸注意のことやらまったく失念してしまった...。笑

    さて。夕の部のトップバッターは劇団兄貴の子供の小笠原結さん。落語の魅力を自らの体験談として語り、落語でおなじみの登場人物紹介する鉄板的なマクラでゆっくりと丁寧な語り口。本編も一語一句、言葉を大切に扱い、見る側に聞かせ、届けようとする姿には小笠原さんの、あたたかいお人柄が伝わってくるような、味のある語り口で、気がつくとクスっと笑っていて、ほっこりした気持ちに。ふわっとした空気感にゆるりと染める小笠原さんの存在感で魅せる落語。

    続いては日栄洋祐さん。どちらかといえばインパクトのあるマクラで観客を惹きつけようとするのだけど余裕がないのか、緊張しているのか、気持ちが競ってる感じがした。客イジリとまではいかないまでもせめて、観客が笑った時に「今、冗談だとおもったでしょ」とか言ってフォローを入れながら話したらおもしろくなりそうなのにな、とおもった。本編のほうも、話す速度がはやいし、演じ分けもあまり出来てなくて、混乱した。

    次、鬼頭真也さん。夏葉亭ハスカップという名前はおもしろいが、いくら身近なトピックとはいえいきなりマクラで一人芝居の告知するのは如何なものか。そもそもマクラの意味をはき違えてるのでは、とおもった。本編は、抑揚が無く、テキストを音読しているような印象を受けた。

    ラストは齋藤陽介さん。会場の空気を読みつつ、本編にちなんだマクラを披露。齋藤さんの「芝浜』はとても叙情的で、物語の全体像と登場人物の情感が鮮烈な色としてみえてくるような豊かな語り口だったこと。とくに台詞の負荷の掛け方(抑揚/息づかい含め)と仕草が繊細で、かつ、そのバリエーションが多く、目が離せない。後半、なぜか失速し台詞を噛む場面が多発したことだけは気になった。

    どの役者さんも『落語』とは、一体なんでしょうか。という概念的なことから考えて、試行錯誤を経ながら『芸』を磨き、のびやかに表現されていて、なかにはフリースタイル落語とでもいうような、新感覚の落語を披露される方もおられ、落語の楽しさ、面白さを改めて知ったひと時だった。

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    2011/12/10 21:23

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