これが村岡正喜の青春だ。
僕は、この芝居を見に行くだろう。その理由は、芝居の前書きのように詩的に書く必要がある。何故なら、これは社会学的観察とは別種のサンプルを提供してくれるからだ。//
東京にはたくさんの演劇人がいる。それは間違いない。供給過多気味の東京の演劇シーンは、とても閉塞感に満ち溢れている。//
この閉塞感は、ちょうど日本の若者の未来のようである。莫大な借金、低額の年金、劣悪な労働環境…日本を生きる若者は、希望を持とうにも持てるはずがない。//
村岡正喜という才能は、落ち行く日本の太陽を描き出す。前書きに書かれているように、ありとあらゆる意味で、彼は消滅した世界に存在している。//
それはまさしく「マジックリアリズム」と言っていいだろう。彼の芝居の全ては”ウソ”でありながら、同時に一つのドキュメントである。……最下層まで落ちぶれた、彼の”リアル”を、じっくりと堪能したい。