超コンデンス 公演情報 少年王者舘「超コンデンス」の観てきた!クチコミとコメント

  • 満足度★★★★★

    凄まじい刺激が五感を襲い、脳髄を早鐘のように激しく叩く。それはまさに「超コンデンス」!
    あまりのことに、ただただ、目を見開いて観るだけ。
    なんという凄まじさ。
    視覚、聴覚、あといろんな覚に凄まじい大物量作戦が仕掛けられている。
    まさに「超コンデンス」!

    ネタバレBOX

    キンキン響く、高音の台詞が、脳髄を早鐘のように激しく叩く。
    しかも、ダブル、トリプル、それ以上の「音」で。

    吉田一郎という、少年・青年・老人・女性が、「私はここにいる」ということを認めほしいのに、認めてもらえない(承認してもらえない)。
    誰に? 誰に認めてもらえない?
    自分に、だ。
    自分が「自分の未来」を認めてないからかもしれない。

    アル中の老人の未来は、今の小学生の自分につながっている。
    それを「否定したい」という気持ちから、小学生の自分がそこに生まれている。しかし「否定したい」と言っても、たぶんネガティヴなことではないような気がする(大矛盾しているけど)。
    「不安」なのか?

    「ボクはここにいる」ということを「否定」すると、「私」はいなくなる。しかし、「肯定」すると「未来の私」をも肯定することになる。
    一郎は、「ボクはここにいる」と言い続け、「いない」と否定され続ける。

    何十年戻っても、26分戻っても、4秒戻っても、1秒戻っても、それは同じ。
    同じようで、すこしズレる。
    カットパックされる過去と現在と(たぶん)未来。
    時間と場所が繰り返されて、残像のように、自分や他人がダブって見えてくる。まるで何人もいるように思えてくる。

    夕沈さん演じるヨチダは、一番ズレが酷い残像だ。
    原型は「台詞」の「音」と「雰囲気」しか留めていない。

    言葉もズレてきて、繰り返されるうちに「意味」は破壊されていく。延々とつながる言葉にはすでに「意味」はあったりなかったり。「無意味」の意味が姿を現す。「音」も確実にそこにある。

    観客は、冒頭の30分に凄まじい勢いで、視覚と聴覚、いろんな五感を刺激され、すでにその時点で、脳みそは「台詞」の「言葉」と「意味」「無意味」と「音」で溢れかえる。
    脳みそどころか、そのうち身体中から、そうしたモノが溢れ出してくるのだが、拾う者はいない。流れるままにしている。
    凄まじく、スラップスティックなシーンと言葉を、ただただ浴びるだけの状態になる。まるで、観客は『時計じかけのオレンジ』のアレックスが矯正のため映像を見せられたように、目を見開いて舞台を観るのみとなる。

    「アルコール依存賞」受賞して「アルコール依存の賞状(症状)」を受け取る。シリトリの居酒屋お品書き。
    言葉遊びのボルテージが高い。高すぎる。それを映像を含めて、舞台から大量に送り出す。

    言葉の「尻尾」を捕まえて、それを言葉の「頭」にして、さらにその「尻尾」を捕まえて……が延々と。
    一郎くんの「尻尾」を捕まえたい、と思っているのに似ている。

    「カナカナカナ」とセミの声。
    「悲悲悲」「彼方彼方彼方」とセミが鳴く。

    そして、『美しい十代』を歌うは三田明!

    舞台はエネルギーが常に爆発し続ける。
    ああ、なんという凄い舞台なのだ。
    もう、1つのジャンルの到達点な感じさえする。

    そして、とっても「疲れた」。

    前作同様に扉(隠し扉)が多いセットで、それだけで楽しい上に、映像の効果も抜群。
    客電が点ることことも数回あり、舞台と観客との確認作業のような一瞬が流れる。

    ヨチダを演じる夕沈さん、やっぱり面白い。声のトーンも抜けがいいし、ダンスは、さすがにキレは抜群。名前はキャスト表ではわからなかったのだが、老人の孫娘を演じた女優さんが印象に残った。

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    2011/08/26 07:12

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