満足度★★★
『言葉と身体』鑑賞
言葉と身体の関係性を探る3作品の上演で、いわゆるダンス公演とはかなり毛色の異なる、興味深いパフォーマンスでした。
『舞い上がる「私」の理論』(コンセプト:宇野良子、ディレクション:河村美雪)
言語学者やロボティクス研究者、美術作家によるコラボレーションで、階層化される「私」という概念を表現する試みでした。
プロジェクターでスライドを映し出してレクチャーをしながら、言葉(会話)→身体(ダンス)→言葉(小説)への情報の受け渡しを実演していたのですが、各変換のプロセスが説明されず、映像・装置・ダンス・小説が関係性のない独立した事象に見え、釈然としない印象が残りました。
何台ものコンピューターやセンサーを使ったシステムが構築されていましたが、どう役者やダンサーの動きと関連しているのか分かりませんでした。テーマは面白かったのですがライブパフォーマンスとして上演する意義が感じられず残念でした。
『発する身体』(演出:山崎広太)
声を発することから生じる体の動きに着目した、照明や音響の効果を全く使わない人体だけでのパフォーマンスでした。ダンサーではない人たちのコントロールされていない生の身体の存在感がユニークでした。最初は母音の発声から始まり、次第に言葉になっていくに従って動きも共同性を帯びていく構成が明快で楽しめました。
『INSECT COUNTRY F』(企画:中保佐和子)
詩人とダンサーの即興バトル的な作品で、詩人の読むテキストに反応して動くダンサー、ダンサーの動きを見てテキストを読む詩人という循環運動に心地良い緊張感がありました。前半はお互い相手の出す情報に乗っかり過ぎていて平板でしたが、舞台中央に木の枝、胸像、自転車、ビーチボールなど雑多な物が運び込まれ、「虫」と名付けられた6人が横一列に並んで物もダンサーも押し退けていく展開に応じて、テキストもダンスもより自由な感じになっていき、シュールな雰囲気が面白かったです。最後は事前に客席で集められた動詞と述語をオートマティックに組み合わせ、「蟻が○○すると△△になる」という無意味な文がいくつも生成されユーモラスでした。
コンタクト・インプロヴィゼーションのテクニックを用いた動きに強度があり、ダンス作品としても良かったです。
2011/08/05 09:26
コメントありがとうございます。
言葉やダンス、作品など色々な概念について考えさせられる刺激的な企画でした。
10日の『デザインと身体』と13日の『ジョン・ケージ《ミュージサーカス》+ファイナルコンサート《5 drums song》』も実験的な内容で面白そうです。