脚本/演出家、コラボの醍醐味。
最近の小劇場界では、自身の劇団公演なのに外部演出を招くケースが多い。僕も劇作家だが、自分の場合は死ぬ思いして書いた「ご褒美」として演出してる感覚なので、みんな、なんと太っ腹なんだろうと(笑) ずっと興味深かった。
そのひとつの答えとして、主宰・高木登さんが本作『昆虫系』とマッチした演出家を選んだ、という実直な答えがあり、その潔く俯瞰された寛大な作戦は大成功している。以前、演出・寺十吾さんの作品を拝見したときに「構成や立脚がもう少し欲しいな」と僕が感じたことと、鵺的の「猥雑な台詞やシーンがあるのに潔癖」というスタイルが、お互い無かったものが合致したのか、絶妙な化学変化が産まれている。高木さんの端正な戯曲構造は、圧倒的な猥雑さでミクロな隙間まで容赦なく染められる。
映画業界のように「脚本家」と「演出家」の分業が行なわれにくい演劇・小劇場界のなかで目が覚まされる作品であった。
また、映画と言えば本作のサタケ社長のような狂った親父が跳梁跋扈する『冷たい熱帯魚』を思い出す。しかし本作はそれよりも何年も前の作品で偶然の合致に過ぎない。だけれど、こういった事件の裏側はいくらめくっても金とセックスしか出て来ないという本質までがシンクロしており、ただただ虚しい。「肉食系女子」とか「草食系男子」とか腰砕けな言葉が流行る遥か昔に「昆虫系おじさん」を選び、タイトルに冠していたのが面白い。
考える事を奪われ、借用書に群がる男たちの背中は、まさしく虫ではないか。「借金だけだな、一人前なのは!」とサタケ社長が豪快に放った台詞が、全国民総借金状態の日本で、耳に染み付いて泣きそう。