仏教キリスト教イスラム教(ご来場下さいまして、誠にありがとうございました!!!!!!!!!) 公演情報 宗教劇団ピャー! !「仏教キリスト教イスラム教(ご来場下さいまして、誠にありがとうございました!!!!!!!!!)」の観てきた!クチコミとコメント

  • 満足度★★★★

    舞台そのものが彼らの「宗教」であった
    「宗教劇団」という不気味ネーミング。
    しかも、『仏教キリスト教イスラム教』なんていうタイトル。
    怖いモノ観たさというか、なんか期待と不安半ばで観に行ったのだ。

    「雑」で「ぐだぐだ」だけど、自分と向き合う(あるいはそういう体の)彼らがそこにいた。

    ネタバレBOX

    会場に入るとすでに板付きで俳優がいる。板付きというよりは、泥付きというか、土の中に頭だけ出して埋まっている。
    悪意と悪夢のゴミ箱のようなセットがそこにある。なかなか悪趣味。

    冒頭(ほぼ)前キャストが下着姿で現れ、舞台に置いてある衣装を身に纏う。そして、「仏教キリスト教イスラム教」と歌い踊る。
    これはラストにも結びつくのだが、「始まり」の儀式だ。「虚構への始まり」の宣言であり、「役者」になる儀式である。

    いい意味で「雑」であり「ぐだぐた」であった。

    近未来かそんな感じの時代の話。
    宇宙からの光線で、人々は肉体が変化し、ある者は傷を負ってしまう。
    昔のことしか言えなくなってしまったり、内臓が出てきたり、排泄物の輪が頭の上に付いたりなどなど。
    人々は元に戻りたいと願う。
    ゴローとトネツグは、自分の身体を治すために旅をしている。その途中で出会ったショウジョにトネツグは恋をする。
    ショウジョは男に捕らえられていたところをゴローとトネツグに助けられる。
    ショウジョは、この世界を救うのは、マオウを倒すしかないと告げる。
    ゴロー、トネツグ、ショウジョの3人はマオウと戦うが負けてしまう。
    しかし、ショウジョの口から出てきたセンニンに鍛えられ、再度マオウたちに立ち向かう。
    と、まあこんなストーリーな、少年マンガな世界が展開するのだ。
    (舞台の周囲にはマンガが貼り付けられていた)
    悪との戦い、友情に、鍛錬、恋のフレーバーがあり、主人公の成長ものあり、の世界。

    だが、主人公が悟ったとき、自分の負を含め、すべてを受け入れる、という「ありがちな成長譚」を見せて、さらに「悪」であるはずのマオウが「実は私も最初から悪かったわけではない」的な展開の、あるある感、まではそれほどではなかったのだが、登場する役者全員が、負の疑似(たぶん)体験談を披瀝するにあたって、ここはちょっと鳥肌であった。

    ここで冒頭シーンと重なってくるのだ。
    彼らは来ている衣装を脱ぎながら、つまり最初の下着姿に戻りながら、自分の抱えていたトラウマや今の状態を語るのだ。
    どういう心境でこの劇団に加わったのか、などをヒリヒリ感たっぷりに語る。
    実名を入れながら、あるいは家族との関係、人間関係そのものについて語る姿は、明らかに彼ら自身の姿である。
    「演じている」姿ではない。衣装を脱ぐことで虚構も脱ぎ捨てていく。そして自分の姿で自分を語る。

    この内容そのものが、実は虚構であったとしても(同じ文体なので、よくできた脚本だと思っているが。もちろん役者が自分の言葉にしている)、それはまったく問題ではない。舞台(劇団)そのものが彼らのセラピーであり、シェルターであるということの吐露である。
    つまり、それは「宗教」であり、彼ら自身の本当の姿と向き合った上での「宗教劇団」というネーミングであったのだ。ホンネが聞こえた。

    ここに気がついて「ああ」となった。
    「虚構」の冒険物語は、あくまでプロローグであり、彼らのリハビリでもある。「虚構」としてのみ存在できることに意義がある。
    ラストは、「雑」で「ぐだぐだ」な「虚構」の部分とは一線を画している。
    もちろん、そこまで含めて全部が「虚構」であっても構わない。しかし、ホンネである幹は揺るがないだろう。

    唯一1人、ホンネを語ることのなかったピア(土に首まで埋もれた小学生)の視点が、ト書き的な位置づけにあり、彼ら自身を第三者的な位置から見ている視線であろう。
    自分可愛さに酔いしれるだけでない冷静な視線というものを感じた。この「視線(視点)」こそが「劇団」という形であろう。つまり、それがなければ、薬物や人間不信の中に閉じこもってしまっていたということなのだ。だからとても大切なのだ。

    全体的に悪趣味で、それは若さゆえで、なんかそんな神経も理解できる。理解できる、と言うのはおこがましいが、多くの人が通ってきた道であろうから、理解できると言ってしまう。
    彼らの心象風景は、今はこれでしか表現できないのだろう。


    ストレートプレイを好む、万人向けではないが、「今」観ておく劇団なのかもしれない。
    刹那に存在するというか、何かのedgeのあたりをふらふらしているというか。
    第2回にして、こう切り込んできたのだから、これから自分とどう向き合っていくのか、ということを踏まえて、今後に期待、というか興味津々なのである。

    なんとも気の抜けたのに、ヒリヒリした感じが、舞台の上にあり、「共感」のようにものが生まれる。「不器用さ」ともいえるその感覚があるからかもしれないが、舞台にいる女優たちすべてがキュートに見えてしまう。そんな姿に胸きゅん的な。

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    2011/05/27 06:52

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