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マリア/首

マリア/首

重力/Note

シアター・バビロンの流れのほとりにて(東京都)

2009/12/17 (木) ~ 2009/12/20 (日)公演終了

満足度★★★★★

新しい日本の戦争、必見の傑作
現代日本で語られるべき物語りとは、一体何なのだろうか?
そもそも、現代日本に語るに値する物語りはどれくらい存在するのだろうか?
「マリア/首」を鑑賞した帰り道に、ぼんやりとそんな事を考えていた。
重力/Noteの劇空間は観客に極限の集中力を強いる磁力に満ちていた。

レビュアーは不勉強の為当公演の原作となった田中千禾夫の戯曲を読んでいないが、劇団HPの演出ノートによれば原作自体は極めて戦後色の強い内容のものであったらしい。

舞台である長崎というキリシタンの多い土地の歴史的背景や「サンドイッチマン」や「闇市」「原爆」と言ったキーワードから想起される「戦争って良くないよね」、「生きるためには信仰も大事だよね」と言った他人事としての解釈を許さずに現代の日本人が生きている「根拠」そのものを思考させる劇の力は一体どこから産まれるのだろう。

作家高橋源一郎は本谷有希子の小説、「腑抜けども悲しみの愛を見せろ」の解説文でこのような意見を述べている。

(ーさらに言うなら、若い劇作家達が書き始めた小説に書かれている「絶望」は、半世紀以上も前の、第二次世界大戦後、焦土の中で、書き始めた作家たちの、それに良く似ているのである)と。


ゼロ年代に小劇場界に出現した演劇人に共通して感じられた諦念や絶望感は、高橋の言を借りるならば「日本に見えざる戦争」が起きていた事の証左に他ならなかったのではないだろうか。「だらしない身体」の跋扈が産む共感も、「私たちは破れている」という共通認識が産んだ副産物なのではないか、と考えさせられることも多い。
言論界では年長フリーターでもある赤城智弘のこのキャッチ・コピーが賛否を産んだ。
「希望は戦争」だ、と。
しかし、突出した才能を除いては多くのありふれた絶望の物語りのみが小劇場に蔓延してしまったのではないだろうか。
虚飾のカケラもない、サービスを徹底的に排除した重力/Noteの公演における俳優たちの肉体と発語による「語り」は私たちの身にも「静かな戦争」が起きている事を実感させるだろう。

それは政治的な意味では無い、「新しい日本の戦争」の出現である。
劇空間に偉大な力をもたらした、照明の集中力にも感動させられた。
是非この公演に出会って欲しい。
人間の根拠を静かに問い続ける若者達がそこにはいる。
ただし、眠気に誘われる可能性も十分にあるということも皮肉ではなく注釈しておく。万全の体調で観劇することをお勧めする。
今、かならず見ておくべき演劇なのだから。

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