
1
やばすぎっ
劇団ノックステージ
メタの異化効果を現代的に解釈してアウフヘーベンし、リアルを超越した一次元上の同化効果とでもいうべきすこぶる魅惑的な世界認識を提示せんとする高度の文学性。
小劇場エンタメに必要と思われるほぼ全ての要素をさりげなく備えて110分間観客を楽しませ続けるという隙のないエンタメ性。
ガストにこっそりレッドブルを持ち込んで、ちびちびやりながら、西陽のあたる国道沿いの窓際の席で芥川賞受賞作と直木賞受賞作を立て続けに一気に読み切った時のようなトリップ感と多幸感を与えてくれた世紀の傑作。
(※個人の感想です。)
いやあ、そうだったのね。そこで出てくるラズベリースムージー。
劇中劇のあらすじを現実のフライヤーに書いて、虚構との境界を曖昧にし、意味をなし崩しにしていく展開には舌を巻きました。
メタは見慣れていると思っていたのに不意を突かれる、、、まだまだですね。
現代口語演劇から入り、ダウナーなセカイ系ホラースプラッタエモコアパンクテクノで終わる徹底的な虚無系不条理コメディ。
更にこの全体構造そのものがエモ、という凝りに凝った作り。
作者モヘーさんの守備範囲、間口の広さ、恐れ入ります。
どこら辺がエモコアかというと、エモコアはいわゆる口語のエモとかなり違いますし、音楽のボキャブラリーで演劇を語る無理ゲーは承知の上でまるっと強引に進めますと、劇中劇で、まあ、これは作中人物によって語られているだけなんですが、次々と人が○んでいくわけです。○酸カリで○んだり、チェーンソーで首ぱっつんしたりする。その、殺伐としたパンクの中に、隠しても隠しきれない溢れてくる抒情性があるわけなんですよ、それが、たとえば、舎人ライナーに轢かれて○ぬ、というディテールです。あの日暮里の、舎人ライナーのどこが叙情なのか、という点については、議論のあるところだと思いますが(笑)、そのほかには全くと言っていいほど、内面の葛藤とか、個の悩みとかそういった要素が綺麗サッパリないにも関わらず、パンクがエモコアに寄ってくるのは、この叙情性あってこそ、そういう面があると思います。
そして。以下に音楽におけるエモコアの特徴を書きますが、、、
動と静のダイナミズム: ささやくような静かなパート(叙情的なクリーンギター)から、一気に感情を爆発させる激しいサビ(絶叫や歪んだギター)への展開。この「感情の起伏」が、物語のような叙情性を生みます。
なんかわかんないけど、もの凄くエモい。その正体は、多分この構造です。
なんせ、これが、いわゆる「エモい」の語源らしいので。
導入部。
同時多発会話が使われていたり、日常の不完全なコミュニケーションの再現になっていたり、○かな演劇を静かに○○しているところは最高にチャーミングなポイントです。上記でいう静かなパートを普通にやってもつまらないので、○○しているわけですね。通好みといえば通好みでしょうけど、秀逸です。
舞台はクリスマス当日。クリスマスといえば、マライアキャリー。まさに「今」です。音のセレクトとインアウトのタイミングは相変わらず天才的で、スーパーフライ、AKBフォーチュンクッキーなどの使い方は群を抜いています。その音楽マジックに酔いしれていると、ことの次第は突然マジックリアリズム風味な、地方の因習話になっていき、個人の内面の問題でこそないけれど、小集団の行き止まりが世界の浄化に通じている、まさにセカイ系自意識と表裏一体です。
演劇自虐ネタセリフは相変わらず冴え渡っていますし、これは言わずもがな、芝居の登場人物が、「現実の観客が期待して観にくる、「フライヤーの裏に堂々と書いてあったあらすじ」であるところの劇中劇」を徹底的にディスるわけですから、それは見事なメタのひねりの効いた「自己言及」となっています。
そして、世界は虚無で踊るしかない、という永遠の真理・安定の着地点には、お袋の味、ふるさとの安心感さえ感じます。
エンディングのカニのパラパラシーンはあれは、誰がなんと言おうと「ダンスシーン」と認定させて頂き、「踊ったのか」の問いに対し、「踊った」と記しておきたいと思います。実際、人間のパラパラもありましたしね。
ちなみに、カニがパラパラといえば、どうしてもカニチャーハンが思い浮かび、パブロフ状態で涎が出ました。
「イマ」ということ。イマ、何を観せられているのか、それがわからなくなるということは、イマに自覚的になるということで、それこそが究極の現在性なのではないでしょうか。よく出来たメタ演劇の真髄です。マライアとか、下北の家賃とか、ヤクルト1000とか、ダゾーンに出てるとか、そういう今を凌駕する構造的なイマを確かに感じました。
と、なんだかんだ書きましたが、全編ぶっ飛んだコメディだと思います。
文句なしに刺激的、かつ面白い。
劇団の皆様のキャラ設定も演技もとても良かったです。

2
ギフト オア アライブ ~ふれあい夏祭り~
シベリア少女鉄道
「ギフト」「ふれあい」「夏祭り」全部入り。
全くもって期待を裏切らない会心の出来。
再演もあるかもだし、ネタバレは書けませんが、
それでも核心を外してうっすらと書きます。
アマギフ、パソコンモニター、Switch2、ポケットティッシュ。
リアルすぎて臨場感MAX、ああ、手に汗握ったぜ。
人口に膾炙する「ストーリー」をディスりまくるパンクマインドは冴え渡り、
役者、装置、劇場などの演劇資産の壮大な無駄遣いは後光がさすレベルに達しています。
今回は藤原さんが見当たらなかったの、少し残念。

3
ライバルは自分自身ANNEX
宝石のエメラルド座
別役、ラジカル、健康あたりに端を発する東京の小劇場ナンセンス界隈の、最も正統な後継者であり最強の第一人者、ブルーさんによる渾身のナンセンスコメディ。
円熟の極致。
笑いすぎて痰と唾と変な液体が絡まって呼吸ができなくなり、顔中涙がびしょびしょに溢れ、全身汗まみれになり、記憶がアルプススタンドのはしのはしのはしまで遠のき、晩夏と言うには暑すぎるスズナリの奥の方で脳○寸前まで逝ってしまう。
いやあ、客席は手だれの人ばっかだし、始終引き攣り笑いに大笑い、噛み殺した笑いに満ち満ちていて異様なグルーヴ感。笑いどころがわかっている人たちが揃うと、ここまで心地よいのか、という多幸感とともにトリップ。楽日までに、きっと誰か○ぬ。スカイダイビングではないが、笑いすぎてもしものことがあったらいけないので、全員から誓約書をとらなければ、といらない心配をしてしまうくらいの完成度。
ガチ勢という言葉、聞いたことがありますか、から入ってきた時は度肝を抜かれ、狩人のアメリカ橋を初めて聴いた時以来の衝撃を受けた気がしたものの、知ってるよ、と心の中でツッコむ余裕もあったが、外科医ガチ勢でないから手術を失敗、に展開してからはもうダメ。笑いがとまらない。
ストーリーらしきものがあるがペラっペラで、ほとんどが鋼の強度のナンセンスの放置。ここが最上質のナンセンスたる所以。ツッコむ、とか、重ねるとか、笑いを上書きする手法も用いはするものの、もともとのナンセンスの強度が強いので、テクニック的なものが全て霞んでいくところが、心底震える。
古典的な言葉のずらし、論理のすり替え、変な比喩、おかしな動き、歌う、叫ぶ、話を聞いてない、漢語や単位の違和感といったものからすかいらーくグループにロイホを混ぜる違和感、富士そばを畳み込む力技、備蓄した(正直なところ)の放出といった時事ネタ、唐突な下ネタ、罵倒、形態模写あるある、突飛すぎる不条理キャラ、アルミホイルの近未来感、空から焼きそばパンなどなど、その攻撃力は半端ない。
今回は神がかった役者陣が出演されているので僭越ながら少々コメントをば。
池谷のぶえ…
言わずと知れたブルー作品に不可欠な猫ニャー旗揚げメンバー。この人の狂気のベース重低音が、えもいわれぬグルーヴ感を醸成し、作品を下支えする。名バイプレーヤーとして、映画、テレビドラマ、CM、舞台など出演多数。
大堀こういち…
伝説の人。あのケラさんの健康の旗揚げメンバーでフォークシンガー小象として音楽活動も。まさか生ギターで歌が聴けるとは思ってなかったので大感激。やはりというかなんというか、抜群で味のある歌唱力。
映画、テレビドラマ、CM、舞台など出演多数。
佐藤真弓…
狂乱の90年代後半、コンプラという単語の存在が薄かった最後の黄金期、原恵一が今ではアウトな表現をこれでもかと盛り込んだ傑作アニメを世に放った頃、一方で勢力を増していた静かな人々をガン無視しつつ猫ニャーとともに混沌の小劇場界を牽引した猫ホテの人。日常と狂気を縦横無尽に行き来する元祖ナンセンスコメディエンヌ。本作品における股ぐらぬめり太郎はその本領が余すことなく発揮された世紀の絶品。
映画、テレビドラマ、CM、舞台など出演多数。

4
阿佐ヶ谷に死す
劇団ドラハ
そんじょそこらの演劇愛を軽く謳いあげたくらいの表現ではもはや何も感じなくなり、引き返せなくなってしまった小劇場観劇フリークの麗しい皆様に向けて、南阿佐ヶ谷の中心の席数80やそこらのちっこい小屋(失礼!)で、小劇場愛を、上天丼にうなぎの蒲焼と三元豚のロースカツをトッピングするが如くこれでもかというくらい屋上屋の過剰さで謳いあげた極めてマニアックなPOP、パンク、ファンキー、トランスMAXな逝っちゃってる系形而上学的メタシアター。
褒めてます。
ダンス、照明、音楽、衣装、最高にクール。
アングラや野田あたりね、と思っていたら大○計画、松尾○ズキをガチ目に○○しだす、○○さ、(自主規制)
幕開き、暗転板付からのカーテンコール。
アフタートークをアウフヘーベンするうちに遡って入れ子の本編が完成していく鮮やかさ。
演劇のことを考えすぎておかしくなってしまった人でいっぱいの地獄、
阿佐ヶ谷○妹やもたい○さこ、ワンピースにセカオワ、奇妙奇天烈、豪華絢爛、
ありがとうございます。世界に充満する数多のナラティブに囲まれて、もう満腹です。
え、物語の工場?これって、わんこそばなの?
小劇場演劇最適上演時間は90分という奇しくもかの澤田育子氏と全く同じ結論に到達した作者モへー氏が劇中に素のまま登場し、小劇場演劇はカネがかかるだけという関係者大喜びの自虐ネタをひとしきりボヤいたあと、白塗りでダンスしたせいで上演時間が90分を超えるという味わい深いオマケ付き。
激狭な小劇場空間を野田秀樹真っ青な過剰な言語で満たしまくった挙げ句の果てに、言葉は無意味でダンスするしかないという世界の真理に到達するやり口は、見事すぎて思わず入信契約書に実印を押す寸前だ。
もう2度と観られなさそうな雰囲気を醸し出しているが、こういうものは本当に奇跡の一期一会。うっすら寂寥感。

5
『はりこみ』
殿様ランチ
久々の殿様。え、下北だっけ?新宿に行きかけて気づく。新宿のイメージしかない。
本日は名作はりこみの再演。調べたら初演も駅前でしたね。勘違いしてました。
高度のテクニックによってウェルメイドの警察ものエンタメストレートプレイをほとんど完璧に装った脱力系ナンセンスコメディ。
え、そうなの?
そうなんです。
深い人間ドラマ、テーマ、情緒、思想、、、一切なし。事件の解決も、あるようでなし。
アンバーで部屋の中照らしちゃったりして、なんか、あるかなーと一瞬思わせなくもないけど、、、、、、一切なし。
根底を流れているのは、中毒性のあるグルーヴで観客を包み込む、いい意味でとてつもなくだらない虚無。
リアルで完成度の高い脚本、過不足なく基本に忠実な演出、立ちまくったキャラ、人間の心のヒダまで表現してみせる卓越した演技、エンタメとして素直に観ても、みんな掛け値なしの一級品なところが震える。
ドラマ成立偽装の反作用としてエッジの効いた笑いがごく少量に抑えられているせいで、次いつ来るかいつ来るかと飢餓状態になってしまう。
ところどころ炸裂する純度の高いナンセンスはしっかり素材に溶け込んで、味変のアクセントに昇華しているあたりがプロのシェフ。
燻し銀の貫禄。いやあ、良かったです。

6
エキセントリックプラネットモデル
あひるなんちゃら
ナンセンス吟遊詩人、関村さんによるあひるのロードムービー。
いや、良いっすわ。
あひるが埼玉を逃げ出して、東京で冒険し、埼玉に戻るまでのまったりとした時の流れ。
あひるの一人語りが真っ直ぐに胸に刺さって来て、脈拍があがりました。
危険だな。
劇団の??なのか?テーマ曲。
同メロのリフレインで「東京が見える〜」からの「板橋が見える〜」からの「赤羽が見える〜」で、どんどん埼玉に近づいていく感じ。
マリオが2%だったり、県民の浦和レッズファン率が100%だったりと、キッパリと清々しい感じ。
あひるに当たったスポットがあまりにもツボ。
最後、あひるが食われてしまうのではと、物凄くドキドキしたよ。杞憂でよかった。
アンバーの照明がつくたびに抒情が溢れ出て、ゲスの極みにドカンと射抜かれた中学生のように、心がくにゃくにゃしてどうにかなってしまうのではと思いました。
詩人だよなぁ。
素敵。

7
再生ミセスフィクションズ3
Mrs.fictions
短編5編@武蔵野芸能劇場。
小屋が広すぎ感があったけど、集中して観ることができました。
『私があなたを好きなのは、生きてることが理由じゃないし』
堂島孝平「俺は、ゆく」。涙なしでは聞けないマスターピース。
この曲は2014年だから、2017年のこの作品はインスパイア、あるいはトリビュートに近いのかな。
「この体が燃え尽きるなら 魂に君を焼きつけよう」
指パッチンで時を進めても、彼女が新しい人生を始めてくれないのが、切なすぎる。
余談ですが、YOUTUBEにテイチクの公式として「俺は、ゆく」のMVが上がってますが、
かの名脚本家バカリ先生が名演技をされていて圧巻です。
『Yankee Go Home(ヤンキー母星に帰る)』
現代詩。
無から無限大を生む。
小劇場の基本に忠実な、ブルックの何もない空間や寿限無を想起させる傑作。
ノアールでコントでSF。
『ミセスフィクションズの祭りの準備』
大宮さんの熱演。昆虫図鑑はあいうえお順だったのか。
些細なことで立ち止まり、何もなせないまま、何者にもなれないまま時は過ぎていく。
最近で言うと、燃え殻さんのあなたに聴かせたい歌があるんだ、みたいな。
ピュアで普遍的な、人生のありよう。
『ミセスフィクションズのメリークリスマス(仮)』
バックステージもののブルジョワジーシットコム。観劇料は10万円。
大正時代の香り。衣装が豪華。
王道の、華やかに見せて裏が悲惨という味付けがGOOD。
『ハネムーン(仮)』
ラストの一人で見栄を切ってからのカーテンコールの流れがすごくいい。

8
籠鳥ーCAGOTORIー
ショーGEKI
これまたお久しぶりのショーGEKI。脊髄反射で笑えた度5にしたくなりますが、12月効果もあり、余裕で平均5ですので、ここは抑えて、と。
小劇場エンタメの王道、ラブコメミュージカル。
B1の片側の客席のさらに半分近くを潰して雛壇のオケピ。ギター、ベース、キーボードの豪華生演奏付。
今回はミュージカル。
語り尽くせないほど魅力があるジャンルですが、小劇場でのミュージカルは楽曲制作、生バンド、稽古環境、音響関係のコスト、装置衣装、役者の力量不足など諸々の大きな問題があって、なかなか大変なジャンルであることも確かなので、正面から取り組んでおられる姿勢にとても感銘を受けます。
Mナンバーは10曲ですが、オープニングテーマの王道リフレインが多く、楽曲密度は濃いめ。
メロディも洗練されていて、オリジナルの完成度は高いです。
役者とミュージシャンとの掛け合いもあり、楽しませてもらえます。
一方ダンスはかなり軽めな印象の仕上がりで、振りはクール。
ヘッドセットマイクをつけたメインのキャストの女性陣の歌唱力は安定していて安心感があります。
楽曲構成も緩急あって心地よい。
終盤、ラブストーリー王道のバラードナンバー、男女デュエットのハモリが綺麗に成立していて、全体のクオリティを高めています。特に、松島さんのロングトーンは全編通して綺麗で、とても耳馴染みが良かったです。
男性陣は、、、自分の声で歌えない設定にはしてありましたが、やはり口パクの部分は物足りない、、、、
いつの時代も、男性キャストで歌とダンスと演技と全部出来る人は、稀ですよね、これは致し方ない。
演技がとても良かったので、問題は全然ないです。
また、楽曲ありきではなく、あくまで芝居メインな基本に忠実に、物語はしっかりしたラインに沿って展開し、見応えも十分なもの。
鳥たちの愛の物語なので、登場人物は鳥籠の中の鳥の設定ですが、その語り口は、現代の若者の恋愛事情として見ても少しも違和感がないほどの普遍性を持っています。
令和ロマンの眼鏡のほうww、、、なるほど。
「幸せのゴールは色々だけど、始まりはなんでもいいのよ」(うろ覚えです、失礼!)
一見、意味ありげなセリフですが、ナンセンス好きなワタクシはここで吹き出してしまいました。こういう、恋愛讃歌全振りのセリフにも聞こえるし、よく考えると、、、なセリフをよく思いつくなあ、と感心。
「100万回出会っても いつだって一期一会 それが私の恋」
(M8 星が見えない空の向こうに 作詞:羽広克成)
決めるところはしっかり決めてきます。
そして、フィナーレは華やかに盛り上がって、あっという間の100分でした。

9
チョコレイト
キルハトッテ
POPにしてドパンク。ダサおしゃれカッコいい。メチャ古臭くて最先端。
愛についての抽象演劇。作品そのものが安易に尻尾を掴ませないファムファタル。
何がいいと言って、すべてが少しずつ足りないところが
たまらなくいい。
愛を扱うなら、もちろん寸止めが一番効くのを狙って演っていて、
すっかり術中にハマっている。
基調はシュルレアリスム。マグリットの絵画のように、具象に見えるシーンの組み合わせで抽象を表現する。
ヒッチコックを想起するようなシーンもあり、かなり古典的な骨格なのだが、表層の部分は
微妙な時代感でイケてるレトロPOP、
セーラー服と詰襟学生服、チョコレイトディスコ、いきものがかり、カラオケで歌うマッキー、
ラウンドワンのスポッチャ、メンタルバランスチョコレートGABA、などなど。
そのキラキラ(?)表層の裏側で、現代商業資本主義が呪文のようにナラティブナラティブ言うせいですっかり胡散臭くなってしまった「ナラティブ」依存の表現を強烈にディスっているように見えるパンクさがどうにもこうにもツボすぎる。
歌も、笑いも、セットも、衣装も、音響も、照明も、演技も、突然のキャラ変も、
「王道中の王道」をカッコで括って100乗したようなマンガ設定も、役者のイケメン度カワイイ度も、歯の浮くようなセリフも、
観覧車も、キスシーン(?)も、歯のオブジェも、天使の輪も、あらゆる要素が寸止めだから、
否が応でももっと観たくてたまらなくなる。
楽園で演っているのもいいね。配置が特殊だから物理的に見えなかったりして、
抽象感が30%くらいアップする。
ラストが輪をかけて最高にミニマムでこれまた、たまらない。
ああ何ということ。次回も絶対行きます。

10
紙を共に刷りぬ
コメディアス
初見だったのですが、うまく言葉が見つかりません。
世の中には恋愛リアリティーショーなるものがありますが、
それのコメディ版、
コメディーリアリティーショーとでもいうのかな。
コメディ部分は殆どがアドリブか、と見紛うばかりのリアル感。演技してる感がゼロ。
いやー、笑いましたし、感心してました。
その昔、深夜番組で、素人のお爺さんを連れてきて、
燃えないゴミと燃えるゴミを分別させる、というのがあって、
真剣に燃えるか燃えないか考えているお爺さんが○ぬほど可笑しくて腹を抱えて笑った記憶がありますが、
その時の感覚に近いですね。
もちろんこれは芝居なので本があるのですが、
限りなくリアルに作り込んであって、
どこかのオフィスを覗きこんでいるよう。
コピー機の使い方というシンプルなワンイシュー、
あれやこれやの試行錯誤で100分のうちの大半の時間を費やすのも感心しました。
本来、私はコメディがここまで完成していれば枝葉のストーリーは不要と思う派なのですが、
シンギュラリティ後の世界は今年後半、
まさに急速に意識下に現れた外せないテーマだと思うので、
それをさりげなく持ってきているところには慧眼を感じます。