丘田ミイ子の観てきた!クチコミ一覧

1-20件 / 173件中
廃グランド・ホテル別館

廃グランド・ホテル別館

システム個人

小劇場 楽園(東京都)

2025/06/25 (水) ~ 2025/06/29 (日)公演終了

実演鑑賞

満足度★★★★★

チラシ、タイトル、そしてキャストを見た時から絶対観ようと思っていたシステム個人『廃グランド・ホテル別館』。こういう直感がバチーンっとハマる喜びもまた観劇の醍醐味。大好きな世界観でした。
怪異たちの暮らすホテルが舞台のコメディだけど全然それだけじゃなかった。自分とは何もかもが異なる他者、そんな誰かのことを好きになったり、恋しく思うこと。会いたいと思うことや、会えなくなりたくないと思うこと。この演劇はその瞬間を掬い上げ続けていたように私には見えた。だって今の私がもうそうなっている。あのホテルに暮らしていたみんなのこと好きになって、会いたくなって、恋しくなってる。そういう気持ちって、記憶ってなかなか消えない。25年くらい平気で消えないのかも。なんてことを思った。

私がもし幽霊になったら、なかなか成仏できない気がする。
好きな人に会いたいって気持ちがそうさせてしまう気がする。
そんなことも思った。友愛とか恋愛とか家族愛とかどれも違う気がするしでも全部当てはまる気もする。そんな名前のつけられない愛着や関係をそのまま抱きしめてくれるような作品でした。

可笑しく愛らしいキャラクターが出てくるコメディが観たい人はもちろん、お話としてうねりのあるドラマが観たい人も楽しめるのでは?と思いました。
以下ネタバレBOXヘ

ネタバレBOX

アルバムを眺める八重子さんの慈悲深い眼差しと声色が忘れられないし、吸血鬼と狸のやりとりに泣いちゃったのはさすがに想定外!やられた!いずれも哀切の滲む美しいシーンだった。あと、ヒデキはあのビジュとパフォーマンスできっと平成令和の歌謡界でもバズれるし、豆腐小僧と凸凹デュオという道もあるのでは!とにもかくにも俳優がひとり残らず魅力的(だし技術もすごい)で、配役もぴったり、というか、ぴったりに魅せていることが本当に素晴らしくて、素敵なことなのだと思った。

あと、実はめっちゃ伏線ある。
観終わった時にもう一回最初から確かめたいと思うようなドラマ構成&展開...!
音楽がまためちゃくちゃいいなあと思ったら、やみ・あがりシアター『あるアルル』と同じく小山優梨さんだった。
小山さんの作る楽曲は劇中の風景が走馬灯のごとく駆け巡る音楽で、演劇の中にただ音楽があるのではなく、音楽の中でも演劇が上演されているのだ、としみじみ感じるのです。
センスセンスセンス・オブ・ワンダー

センスセンスセンス・オブ・ワンダー

三月倶楽部

OFF OFFシアター(東京都)

2025/06/20 (金) ~ 2025/06/29 (日)公演終了

実演鑑賞

満足度★★★★★

窓のない、しかしそれそのものが窓である劇場でこの旅に立ち会えたことが嬉しかった。若くなくても、子どもを育てていても、私たちは遠くに行ける。冒険ができる。私もそう信じています。

(上演前に公式HPに稽古場日記をお寄せしました。後ほど劇評もお寄せします)

リトルサマー

リトルサマー

リトルビット

浅草九劇(東京都)

2025/06/25 (水) ~ 2025/06/29 (日)公演終了

実演鑑賞

満足度★★★★

ありがちなAI対人間の構造に収めず、かと言って容易にその共存やAI礼賛にもしておらず、絶妙にありそうでなかった話だった。

以下ネタバレBOXへ

ネタバレBOX

それでいて痛烈なのがAIの効果音が人間の呼吸と声でアテレコされる点。あれはもう発明。テクノロジーの最先端に挑むボイパ格好よすぎるし、最後はもはや文字通り花火師技...。あそこで無闇に映像やカラフル照明使わないのも演劇に託した、ひいては人間を信じた演出に感じて示唆的で結構グッときちゃったな。私は音がする方に耳をすませるし、光れば目で追いかけるし、夏はあなたと落ち合って一緒に花火を見たいんだけど、ねえChatGPTはどう思う?
みどりの栞、挟んでおく

みどりの栞、挟んでおく

宝宝(bǎo・bǎo)

水性(東京都)

2025/06/18 (水) ~ 2025/06/22 (日)公演終了

実演鑑賞

満足度★★★★★

子どもが寝たらやろうと思ってたこと、話そうと思っていたこと、聞こうと思っていたこと...そうしてそれらをできないまま時が過ぎてしまうこと。

子育てってまさに、流れてく時間に栞を挟んでそのまま忘れちゃうことの連続だから、「挟んでおく」って言ってくれる人、そのことを一緒に思い出してくれる人に救われてばかりの12年だったってことに改めて気づいた。
気づかされる演劇だった。それと同時にその人が私にそうしてくれたことを私はその人にしていただろうか、ということも考えさせられる演劇だった。

圧倒的にちがうあなたとわたしが「互いにできるだけ傷つかずに一緒にいるためにしているはずのこと」が、少しずつあなたからわたしを、わたしからあなたを遠ざけてしまう。挟んでいたはずの栞はパラパラと落ちて、何を読んでいたのか、どこを読めばいいのかわからなくなる。
でもこの作品は、「もう一回一緒に読めばいい」を信じようとしていた。他者と生きることを自分なりのやり方で諦めない、不器用で懸命な人々の姿がそこにあった。

「出産や育児によって"失われる自分"がある」ということ、そして「子どもから離れてひとりになりたい」ということをはっきり言ってくれたことにも私は本当に救われた。12年ずっとこのことばかり考えている。
「子育てに没頭できず自分を優先してしまう罪悪感」と「子どもを産んだだけで私は私でしかないという祈り」の挟み撃ちで引き裂かれそうになる時「それでもやっぱり子どもが大事」という結末や感触をしばしば物語やドラマは用意したがる。最低のままでいさせてもらえない不自由と、最低じゃないよと誰かに言ってほしい切実の狭間で何度途方に暮れただろう。
だから、そのどちらでもない、そしてどちらにもとれる「いいじゃん」を聞いた時涙が止まらなかった。
「いいじゃん」も栞だった。私が私を適当に読み終わらないための栞だった。
そして、どこからでも「あなたのことが大好き」ってことから始めるための栞だった。

余談。かなた書店の選書と私の本棚の本の並びがあまりに似ていて他人には思えなかった!遠目でざっと数えただけで20は同じ本があった(笑)そして私はそのことがすごく嬉しかった。私も必ずあの本屋に行くだろう。きっとあの場にいるだろう。そう思える時間と空間、それから人々だった。
あともうひとつ。これは何度でも言わせて下さい。
「セルフ託児ありがと割」をありがとう。ずっと欲しかった言葉でした。そのことに気づかせてくれました。誰かの生活や支度を見つめる試みはやっぱりこの演劇そのものの魅力に通じていました。

サウナが身体に良いわけねぇだろうが(仮)

サウナが身体に良いわけねぇだろうが(仮)

劇団ドラマティックゆうや

恵比寿・エコー劇場(東京都)

2025/06/12 (木) ~ 2025/06/15 (日)公演終了

実演鑑賞

満足度★★★★★

劇団ドラマティックゆうや『サウナが身体にいいわけねえだろうが』(仮)改め『嘘の教育』。

「言ってくれた嘘」と「言わない本当」果たしてどちらが価値がある?
そんな世界の、人間のバカデカ命題に今日も今日とて男が二人きりで食らいつき、同時に食らわされ、皮肉のジャブと愛のハグを繰り返すサウナより熱い100分。今回の主題歌も最高だった。劇団の持ち味である、そんな愛と皮肉の絶妙配合によって、"教育における嘘"が暴かれる?なんて思っていたら、いい意味で裏切られた。

以下ネタバレBOXヘ

ネタバレBOX

社会との接点を失った息子の再起を願って、母が"処世術"として嘘を教育する。その嘘こそが演劇である、という入れ子構造含めて鮮やかな構成だった。演劇における「嘘」を舞台上で多分に活用しながら、しかしそれらと私たちの日常におけるあらゆる演技=嘘は一体何が違うのか、という提題をさらっと突き付けてくる。

"この世は舞台、人はみな役者"なんてシェイクスピアの名言をナラティブに挟み込みながらコミカルかつ真摯に。ドラマティックに。短編でありながらシームレスに接続する主題、多数の役に忍ばされる世界の解像度の高さも今作でまた一つ確かな強度を築いていた。

毎度ながら感嘆してしまうのは、喫緊の社会問題を盛り込みつつも、皮肉や批判に振り切りそうになったギリギリのところで愛や誠実がわずかに多い分量でまぶされる点。
例えば陰謀論を語る老人を描く時に「悪いのは社会だ」という一言が即座に発されるとか、「9000万の示談金」という言葉だけには首を縦には振らないだとか、誰かを闇雲に悪者や笑い者にしたり、誰かの傷口を軽く扱うことがない点においてドラマティックゆうやの演劇は鋭利であっても安心して観れる。広告というマスの世界で日々大衆に向けながら個人の心に刺さる表現と対峙しているドラマたけし(泉田岳)ならではのまなざし。その示したいスタイルをキャリアに裏打ちされた演技力で鮮やかに立ち上がらせてみせるドラマゆうや(田中佑弥)の胆力。
そんな二人が高校の同級生で、今もなお一年に一度、互いの仕事や生活の傍らともに演劇をやってるなんて、そんなのもうドラマティッカー以外何者でもないだろう。

「金木犀は日本では自生しない。つまりそこには必ず金木犀が好きだった人がいるってこと。世界にたった一人だけ自分を愛してくれる人がいたら、人は歴史に名を残せる」こんなグッとくるセリフが笑いと笑いの狭間から煌々と輝くのだから、やはりこの演劇はドラマティック以外何物でもないと思う。

「言ってくれた嘘」と「言わない本当」、この世界では果たしてどちらが価値がある?
どちらの経験も同じだけ重ねてきた気がして、その選択はやはり難しい。
だけど、「言ってくれた嘘」の中に少しでも本当があるかも、と信じてるから、信じたいから、私は演劇を観る今日を、人と出会う人生を選んでるのかもしれない。そしてその実感を綴る時には「言った本当」を無添加の言葉に託したいと思う。だから書く。
劇団ドラマティックゆうや『嘘の教育』は本当の演劇だった。

ちはみに後説によると「劇団ドラマティックゆうやのお客さんは大半が広告関係者」(それはそれで珍しい!)らしく、(その因果関係は定かでないが)「感想が全然あがらない」らしい。ちなみに現在の私の仕事はざっと広告1割、演劇9割...つまり1割だけ広告関係者とも言えるけどいつもの如くバリバリ感想書きました!
プレイ・モデュロール

プレイ・モデュロール

ハラサオリ

シアタートラム(東京都)

2025/06/13 (金) ~ 2025/06/15 (日)公演終了

実演鑑賞

満足度★★★★★

テクノロジーの進化が与えた影響をリアルな身体を通じて受講する高密度なレクチャーパフォーマンス。
「携帯の電源お切り下さい」から即没入、幅と高さそして奥行きのある"振付"に高揚!
バレエとダンスを習う11歳の娘と、ハラサオリさんならではのユーモアとエッジの効いた構成とパフォーマンスを堪能しました。すごくいい時間だった。生まれて初めて「北海道」と叫んだ日!

燃える花嫁

燃える花嫁

名取事務所

吉祥寺シアター(東京都)

2025/06/11 (水) ~ 2025/06/15 (日)公演終了

実演鑑賞

満足度★★★★

"架空の日本"を舞台に描かれる、外見ではその"しゅつし"がわからない移民の生きる今、背負う過去、そして見えぬ未来...。あまりに自然に溶け込む「ザ行が濁らぬ関西弁」が現実の隣人の存在に、人生に、そしてそれらを透明化してしまうことに輪郭を持たせていく。ラストに立ち上がるタイトルの風景に震えるとともに、「花嫁」という言葉が意味する本当のところを考えさせられたりも。

「シスターフッド」と一口に呼ぶには憚られる複雑な憧れと思慕と共鳴...誤解を恐れず言うならば、私はそこに同性愛/同性婚を巡る問題をも見た気がしたのだった。男女二元論を前提とした結婚あるいは求婚や、女性同士という理由だけで連帯を余儀なくされる昨今のシスターフッドの汎用化に異を忍ばせる意味も含んでの「花嫁」だとしたならば...。そう考えたとき、現実に隣人を透明化してしまう実感がよりリアリティを持って身に迫ってくる。
移民問題を見つめると同時に、"移民"というラベルのみに個人を収めてしまう社会や世界の横暴をも見つめた作品だったのではないか。振り返れば振り返る程そんな気持ちになって仕方ない。
いずれにしても今を生きる私にとって、同じく今を生きる隣人の息づかいを切々と伝える作品、俳優陣の見事な緩急あってこそ辿り着けた実感だった。

ENCOUNTERS with TOO MICHI

ENCOUNTERS with TOO MICHI

THE ROB CARLTON

赤坂RED/THEATER(東京都)

2025/06/11 (水) ~ 2025/06/15 (日)公演終了

実演鑑賞

満足度★★★★★

もう本当に「一体なにをみせられてるんだ」と笑いながら、「もっともっとみせてくれ」と思った80分のチャーミングな爆笑遭遇劇でした。
"未知すぎるもの"について議論を重ねると、その"未知すぎ"を凌駕する、"さらなる未知すぎ"が爆誕するのだと知りました。馬鹿馬鹿しいのに、俳優陣の突き抜けた姿がかっこよく、上質なコメディでした。

『bitter』

『bitter』

Ollegent

スタジオ空洞(東京都)

2025/06/05 (木) ~ 2025/06/15 (日)公演終了

実演鑑賞

満足度★★★★

一部衣裳をお貸出し(李そじんさん着用分)しました。
色々考えて選んで下さっただけあり、衣裳が劇の内側としっかり手を繋ぎあってて装いの意義を改めて実感。
彼女は自暴自棄と後ろめたさの狭間で過剰に装飾が施された服で武装し、麻痺させる様に乱世を生きていたのだな、と思うなどしました。コーヒーの苦さを消し去るために大量の砂糖入れちゃうみたいに。そうして溶けきらずじゃりじゃりと砂が歯に当たる様なあの感触は彼女の罪の暗喩だったのかもしれない。

面白く観ながら、この物語を面白く観てしまうことそのものにこの作品の本質があるのだと感じたりもしました。
過激化するインフルエンス、スキャンダラスな刺激を求める好奇心や欲求、そうしたものが潜在的にあるということが舞台から跳ね返って観客に向かうようでもあった。
あと、男性から男性への嫉妬や支配欲や征服欲ががっつり描かれていて、こうした場合、どちらかというと男→女あるいは女→女で描かれるパターンが多い気がするので、男性間の軋轢や破綻にズームがなされていたことにすごく意味があると思いました。これもまたホモソーシャルであり、トキシックマスキュリニティだなと。人が人を消費することについて考える帰路でした。

私は日頃から「女同士は怖い」、「女の揉め事はネチネチドロドロで嫌だ」といった言説や、(それに比べて)「男はさっぱりしたもんよ」的ムーブには断固否定派なので、男性間の嫉妬や軋轢、支配/征服欲が相応の粘度で描かれていたことがまずいいなと思ったのでした。

セザンヌによろしく!

セザンヌによろしく!

バストリオ

調布市せんがわ劇場(東京都)

2025/06/01 (日) ~ 2025/06/08 (日)公演終了

実演鑑賞

舞台が散らかる毎に鮮明になる心象風景。散らかった所から何かを探し出す必要がある事、流れるこの涙が水である事、叫ばれるその声が振動である事、海や山水平線や稜線がこの身体に在る事をバストリオの演劇は教えてくれる。潮騒や山彦の様に繊細で心強い応答だった。

作品から受け取ったテーマを鑑みたときに「満足度」をつけることが憚られたためお控えしますが、
今必要な演劇であったと痛感します。
(せんがわ劇場のHPに劇評をお寄せしました)

kaguya

kaguya

まぼろしのくに

ザ・ポケット(東京都)

2025/04/03 (木) ~ 2025/04/06 (日)公演終了

実演鑑賞

満足度★★★★

日本最古の物語『竹取物語』を下敷きに据えつつ、しかし単なる月の昔話の再現にはとどまらず、宇宙から現代を望遠する新たな“かぐや”の物語が生まれていた。

ネタバレBOX

舞台はかぐや姫所縁の奈良ではなく、隣の三重。そこに日本最古の歴史を持つ家具屋がある。その「かぐや」一家は、一族が「かぐや姫の末裔」だと信じてやまない。そのせいか、周囲からはオカルト一家として周知されている。そこで暮らす15歳の少年・ノゾム(二瓶大河)の夢は月に還ったとされる先祖のかぐや姫が実存するのか確かめることであった。ノゾムは自作の望遠鏡で夜な夜な月を覗く。

アダムスファミリー顔負けの白塗り、デコラティブな衣装、ユーモラスな美術など視覚的に追いたくなるようなアングラ的仕掛けが随所に施されており、そのことが劇の内部とどう繋がっているのかを考えながら観る楽しさがあった。
俳優のキャラクター造形の豊かさやその豊かさを生き生きと表現する俳優陣のプレイフルな芝居も含め、風景として飽きさせないシーンの連なりに興味をそそられた。

かぐやを家具屋へ、かぐや姫を少年へ、竹取の竹は宇宙望遠鏡へと変換させながら、中盤くらいまでは正直なところ何が何だかわからぬファンタジーとオカルトが手を繋ぎあったような世界観でストーリーが爆進していく。
空想とも妄想ともとれるようなふんわりとしたやりとり、混沌と混沌のその継ぎ目に時折意味深なセリフが差し込まれるも、その全貌や核心がなかなか見えてこない。観客をスペクタクルな世界へと誘いながらも、ある意味では放置しているような清々しさがありつつ、やはりもう少しストーリーラインを追った上で本作のセリフやシーンを噛み締めたいという衝動にも駆られた。登場人物たちの脳内を遊泳するような感覚に陥ることはできたが、そこからの広がりについては決め手に欠ける部分があった。リリカルなセリフ選びや、その中に施された言葉遊びなど、特徴的なテキストが目立ち、1センテンスに放たれる言葉の輝きに思わず前のめりになる瞬間もあったからこそ、そこが一つのところへと集積して行く「うねり」をつい期待してしまった点もあると思う。

しかし、「うねり」が全くないわけではない。物語の終盤である「カルト事件」と「銃撃事件」が浮かび上がり、現実に起きている問題に望遠の焦点が当てられ始めてからは、風景が一気に反転していくような体感がたしかにあった。これまで闇雲に紡がれていたと思っていたシーンが一気に生々しく襲ってくるような。そんな心持ちである。
誰かにとっての切実を容易に妄想と判断するときに失われるもの。
遠くにあるものを見つめすぎて、近くにあるものがぼやけること。
ラストにかけて痛々しく疾走していく現実の走馬灯を前に、この物語はそこに手を伸ばしていたのかもしれないと感じたりもした。

煌びやかな装飾に反して、俳優陣の芝居が緻密であったことも特筆したい。とりわけkaguyaを演じた高畑亜実の沈黙の表情、言葉を言い終えた瞬間の眼差しが印象に残り、観劇中も思わずその姿を目で追ってしまった。
スペクタルな想像の世界に見せかけて、その実焦点は超現実に当てられていたこと。観劇後すぐにその実感には辿り着けずとも、帰路の中で振り返る毎にあらゆるシーンの別の触感を感じるような余韻があった。この物語を経て、今後劇団が展開するビジョンにも関心が強まる観劇となった。
僕は肉が食べたくて裸(ラ)

僕は肉が食べたくて裸(ラ)

南京豆NAMENAME

新宿シアタートップス(東京都)

2025/05/28 (水) ~ 2025/06/01 (日)公演終了

実演鑑賞

満足度★★★★

やりたい事をどっと詰め込みつつも昨今の演劇に設けられている様々な前提や理屈を一度ぶち壊し、語られづらい人々の人生や姿を生々しく見つめた社会劇だとも感じた。お腹を空かせながら生きる人々に、観終わった時この題に何を思うか。

※公式に稽古場レポートもお寄せしました

秘密

秘密

劇団普通

三鷹市芸術文化センター 星のホール(東京都)

2025/05/30 (金) ~ 2025/06/08 (日)公演終了

実演鑑賞

満足度★★★★

演出の緻密さ、言語と身体性をものにし景色として叶える俳優陣が一人残らず凄まじい(用松亮さんもはや職人の域)。

以下ネタバレBOXへ

ネタバレBOX

反発を忘れる程自然に展開する家父長制@食卓のリアリティ。年老いて親が親でなくなっていく様とそれでも尚親であり続ける様の何方もが同濃度で浮かび上がり最後は決壊。。過去作でも思ったけど、出演の俳優さんが舞台上でしっかり年輪を背負われている、平たく言うとあの時間だけ人物の年齢分ちゃんと老けていらっしゃる故に多分誰と道端ですれ違っても同一人物と気づかないと思う。劇場の外で会うと当然皆さん若くて驚いちゃう。それって凄いことだ。
第15回せんがわ劇場演劇コンクール

第15回せんがわ劇場演劇コンクール

せんがわ劇場

調布市せんがわ劇場(東京都)

2025/05/24 (土) ~ 2025/05/25 (日)公演終了

実演鑑賞

満足度★★★★★

「今年(去年)ベストは?」などと聞かれた時に自分の中に部門がありすぎてはっきり1本選べない性格なのですが、そこは一旦さておき2024年説明できんがただただ興奮した演劇=偏愛ベストは迷いなく劇団不労社だった。そして今さらにその気持ちを確信。また革新。劇団不労社『サイキック・サイファー』。

ずっとずっと観たかった念願のお寿司。そしてずっと観てたいくらい面白くて観たことない母娘劇だった(故郷の訛り、落ち着くうう!)グッときたとこ沢山あるけど「経膣出産も帝王切開も一緒や」的一言、女性間の不要な分断を斬る大事な言葉だと思った。最初と最後のセリフ最高だしTシャツズルすぎる。あのお母さんと娘が話しているところをまた見たいし、そのやりとりの明け透けさと、だからこそ軽やかに接着できる愛情や切実に、時々自分と母や、自分と娘や、はたまた母と自分と娘を重ねたりしたいんやわ〜。お寿司『おすしえジプト』。

劇団不労社『サイキック・サイファー』もお寿司『おすしえジプト』も体感時間10分位だった。面白かったなあ。
去年初めて観た不労社の公演とはまた違うタイプの作品が観られて嬉しかったし、初めて観たお寿司のことはもうすっかり大好きになっちゃった。昨日3団体観られなかったのはやっぱ悔しいな。来年こそはコンプリートしたい!


マライア・マーティンの物語

マライア・マーティンの物語

On7

サンモールスタジオ(東京都)

2025/05/17 (土) ~ 2025/05/25 (日)公演終了

実演鑑賞

1827年イギリスで実際に起きた事件は、幸せそうだから、という理由で電車で突然刺されてしまうかもしれない現代と確実に繋がっている。凄惨な人生の淵に立ち、彼女は、彼女たちはまさしく今、私達に問うている。「あなたはこれがみたかったんでしょ?」と。「こうなるのを待っていたんでしょう?」と。

以下ネタバレBOXへ

ネタバレBOX

不幸をたしかに描きながら、しかしその人生の最後だけがまるで全てであるかのような描き方はせず、抵抗と連帯示す女性たちの姿が描かれていた。
彼女たちは赤い炎を宿した鋭い眼光で世界を睨んでいた。終わらないフェミサイドを、そして女性が死してなお不幸な物語として消費されることを。泣きながら見たけど、私のその涙の成分もやっぱり怒りや悔しさだった。いつからだろう。女性がただ不幸になっていくだけの、その人生が悲劇に回収されてくだけの物語を受け付けなくなったのは。でもこの作品は全く違った。戯曲も演出も俳優も凄まじかった。

※”満足”してはならない気がするので、満足度の記入は控えます。しかし、できる限り多くの人には観てほしい。ただただ凄まじい演劇だった。
マッチョと亡霊

マッチョと亡霊

桑折 現

水性(東京都)

2025/05/19 (月) ~ 2025/05/20 (火)公演終了

実演鑑賞

満足度★★★★

心身ともに筋肉至上主義になった、ならざるをえなかった男の話。「女」が蔑称ニュアンスで連呼される度にちゃんと嫌な気持ちになり、そして嫌な気持ちにさせることにちゃんと自覚的であることに意味がある、丁寧なパフォーマンスだった。観られてよかった。1人の俳優のための5人の演出家による上演 、贅沢で興味深い試みだと思う。今後もできる限り追いたい。

ダダルズ♯5『家系図』

ダダルズ♯5『家系図』

ダダルズ

新宿バティオス(東京都)

2025/05/19 (月) ~ 2025/05/19 (月)公演終了

実演鑑賞

満足度★★★★★

過去公演の感想を誰でもなく自分が読み返したくて...な、誰のためでもないタイムラインを、自分だけのコマ割りを正気で生きてますよね、生きていいですよね、私たちは。
そんなことを思って、思わず外向きの感想を投げ出して、ひたすらに感傷に浸る帰路だった。

文字というより声に残したく、初めて一人でXのスペースで感想を語った。今回も今まで通り、衝撃に射抜かれながら、しかしこれまで感じたことのない種類の希望を手渡されたようでもあり感涙。隣で一緒に泣いた人と帰る帰路。死ぬまで生きる。以前から公言しているし、この先も檻に触れては何度でも言いたい。大石恵美さんは私が今もっとも追いかけたい、今度も追いかけ続けたい表現者の一人だ。

ロマンス

ロマンス

ダウ90000

飛行船シアター(東京都)

2025/05/14 (水) ~ 2025/05/18 (日)公演終了

実演鑑賞

満足度★★★★

笑いは勿論、構成、台詞回し、出ハケに至るまで技巧が光る緻密で高度な会話劇。全伏線全回収が軽々想像を越える離着陸の鮮やかさ。自分が覚えてもない言動が相手にとっては特別で逆もまた然り。「影響」の交換で回る人生と創作、世界。その循環の継ぎ目を掬い上げる演劇だった。

東スPO 2025

東スPO 2025

東葛スポーツ

シアター1010稽古場1(ミニシアター)(東京都)

2025/05/15 (木) ~ 2025/05/19 (月)公演終了

実演鑑賞

満足度★★★★

EXPO2025には行かねえが、東スPO2025は是が非でも!

東葛スポーツ、演劇に縁のない友人と観る機会が多かったけど、そんな友人らもすっかり沼り、いつしか当然の如く10Fで会う展開に...。"特定の層の観客"として演劇を消費している自覚を持っておきたい。今回も斬られまくった。

以下ネタバレBOXへ

ネタバレBOX

リリックやトラックのキレはさることながらメロディアスな瞬間にこそかえってその鋭角に迫られる様でもあって。お馴染みの川﨑麻里子、名古屋愛の低音に痺れ、『K演劇』に続きFUNIの説得力に唸り、そして楽しみにしてたアンゴラ村長と川合凜の飛ばしっぷりに息を飲む。サングラスの奥の目つきに撃ち抜かれる様な心持ち。
『ベイジルタウンの女神』

『ベイジルタウンの女神』

キューブ

世田谷パブリックシアター(東京都)

2025/05/09 (金) ~ 2025/05/18 (日)公演終了

実演鑑賞

満足度★★★★★

時間とお金をかけるにふさわしい、むしろあの空間で得たものを思うと、人生スパンにおいてその支出は決して大きくないと思えるほどに、3時間半ずっと素晴らしい時間で体験だった。生まれ変わってもこの作品と出会う選択をしたいと心から思った。
同時に、貧困によって行き場や居場所を失いかけている人々の物語をそれなりのお金を払って観に行く、という行為についても考え続けていかなくてはと思う。

以下ネタバレBOXへ

ネタバレBOX

当然それはこの作品に限ったことではなく、全ての物語や演劇や芸術に、いやむしろ国や時代そのものへの問題提起として言えることだ。2025年の今は人々が芸術を生活に取り込むことに全く寛容でない。それは「無事完遂できるか」という不安と隣り合わせの中、収支の見えぬ創作や表現に取り組む作り手にとってもまた然りなのだと思う。そこそこ頑張って働いても、その時間や労力に対して残るものは少なく、今を生きている人々は一部の人を除き、みんながとても苦しい。今日をなんとか生き抜いてやり込むので精一杯。まさにベイジルタウンに生きる人々のように。

物理的にも精神的にも人と人の間に様々な隔たりが生じ、その距離が意図せぬ分断や軋轢を招き、他者を愛したり信じたりする力が底をついていた。『ベイジルタウンの女神』は、そんな2020年をまるごと抱擁する作品だった。時を経て生きて再演に立ち会えたこと、あの人々と互いに生きて再会できたことが本当に嬉しかった。
再開発に揺れる街(杉並)で暮らしている実感をふと舞台上の人々の姿に重ねる瞬間もあったし、街に限らず、都を、国を、世界を見渡す心持ちにもなった。値上げやそれによる貧困は加速していくばかりで戦争も差別も偏見もなくならないし、世界が良くなっているとは到底思えない。
だけど、そんな世界にも決して全部は奪えない。奪われてたまるかと思う。魂のそれぞれ違う人と人が思いがけず出会うこと、出会ってその違いを認め合ったり、同じ冗談に笑ったり、似た未来を夢見たり、それでも異なる心をめいっぱい寄せ合い生きていくこと。その幸福は何にも誰にも止められない。そして、その力は決して小さなものではない。あの物語は、そこで生きる人々は繰り返しそのことを伝えてくれた。見せてくれた。時間や日常に追われて、たとえそのことを忘れても、また思い出せるような温度と質感で。

"忘れてしまっても、それがなくなったとは私は思わない"。
あるシーンのそんな台詞に私は一際心が震えたのだった。
私たちはどうしたって忘れて失って生きていくことしかできないけれど、だからこそ、"忘却と喪失は違うのだ"と、あんなに力強く明言してくれる人がいることに、忘れてしまった記憶ごと掬われ/救われる様な気持ちだった。忘れも失いもしたくない気持ちだった。同じ物語に5年分の世界の手触りが溶けていた。今観る意味を感じる物語だった。だからこそ、やっぱり世界なんかに私を奪われてたまるかと。心からそう思う。

このページのQRコードです。

拡大