実演鑑賞
満足度★★★★★
もう、もうね、すごいことをやっていますよ、劇団スポーツは!という気持ちでいっぱいの、ある意味で本公演ではできないことを試みて、そして成立させていることの凄さ。"むずかしいことをやさしくみせるというむずかしさ"に劇団スポーツはいつも向かっていく。
本作はその劇団の力を存分に活かした作品で試みだった。俳優の力を心底信じないと立ち上がらない風景があった。大宮二郎さんは先週まで自分の公演があり、内田倭史さんもまたロングランのイマーシブに客演していたばかり。その両立を叶えてしまう技量もさることながら、その状態にいる俳優や作家をどっしりと受け止める劇団員田島実紘さんをはじめとする座組ももれなく凄まじい。めちゃくちゃかっこいい劇団であり、俳優たちだと思う。先週末までの怒涛の公演ラッシュを経て、もし「観劇シーズン山場は越えたな」なんて思っていたとしたら、ホッとしないでほしい。劇団スポーツすごいことやってる!1つの役を複数人で演じる俳優らの個性を味わうとともに、1人の人物の多面性に触れる瞬間もあり演劇の内外に発生する変化に感動した。それでいてただ1組の男女の人生を体験した心地も確かにあり一体何が起きてんだ!と。個人的には抜かりない客入れ選曲にもグッと。
実演鑑賞
満足度★★★★
以前の観劇では戸惑いが大きかったのだけど、今回は過去作とは違った手触りもあり観られてよかった。
"球体"化という突然変異を経て、「全能」に生まれ変わる新たな人間と「無能」のまま生きる"旧体"の人間に二分される世界。とはいえSF色よりも現代に置換できる軋轢や分断自他におけるディスコミュニケーションの絶妙な出力が印象に残った。ここが前観た時とはガラッと違う感触だった。
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ネタバレBOX
「全能」と「無能」の感度の差を際立たせる音と光の演出も効果的で、中でも選曲が、歴史上初めて声楽を取り入れた交響曲「第9(歓喜の歌)」であることを示唆的に感じた。「人間の声を交響曲に使う」は当時にしたら旧式と一線を画す革新で、また第9は戦争とも関わりの深い交響曲でもある。今でも年末年始に「◯万人と奏でる第9」などとして、博愛の象徴や復興や平和への祈りとして多く演奏されるこの曲は「声」という「人間の感覚や力」なくして完成はしない。できないそのことは、『球体』で描かれた、世界が進化しているのか/退化しているのか、新しいのか/旧いのかといった命題をコントラストを以て問いかけるのに打って付けだったように思った。
(※極私的な解釈です!)
SFよりドラマにおける演出が印象的だっただけに、この設定(球体)でならなかった理由にもう一歩踏み込まれていく様をみたい気持ちにも駆られたけれど、今後「人間ドラマ」に全振りした作品も生まれるのではないか、という期待の方が大きかった。前に観た時に私が感じた戸惑いがまさにそこで、設定だけが一人歩きをしていたり、またその設定自体にも既視感を覚えたことなどから、内側に流れるドラマを欲してしまった節があった。今回は違った。
「社会規範」という定義の内外で、一人ひとりが抱える圧倒的な寂しさや焦燥や偏執さが生々しく伝わってきた。これは本当に俳優の力も大きい。全員素晴らしかった。
尾上寛之さんはついこの間九劇で観たばかりなのにこの短時間での凄まじい変幻に圧倒されたし、村上さん佐久間さんという喜劇玄人が演じる癖あり人物の解像度。あと常連若手勢イトウハルヒさんと櫻井健人さんの底支えもやはり素晴らしかった。作風上客席もどうしても緊迫するのだが、あんな張り詰めた中でも櫻井さんが随所でしっかり笑わせて、もの凄いことだ!
主人公は最後、「球体はいつも私の人生をぐちゃぐちゃにする」として、子の死因になった飴玉や妊娠(した体)の破壊を選ぼうとするが、結局は飴玉だけだったんじゃないかな?って。
球体とか全能とか無能とかどうでもよくて、飴玉が、それによって我が子を死なせた夫や自分が憎かっただけなんじゃないかな。妊娠出産育児を憶えた私の体はそう思うのを堪えられなかった。妊婦の腹は確かに丸いが、丸いだけじゃない。毎秒変化して突然角張ったり、硬くなったり、中の様子が皮膚に浮き出たり色んな形になる。そこに別の命があるからだ。他者がいるからだ。土村さんの繊細な目と声色を通じて私はその葛藤を追体験した。だから最後はショックで、そうなってないとまだ信じてる
実演鑑賞
満足度★★★★★
人に止められる事ばかり選んできた。
「こんな恋愛やめなよ」、「そんな演劇やめときな」と誰に言われてもやってみないと気が済まなかった。実際、止めなかったがためにやっぱり沢山傷ついた。
だけど今日その傷跡たちをとても大切に思えた。なかないで、毒きのこちゃん『かこちゃんの後悔』を観て。
多分これからも止められる方を選んで生きていく。上手くいかなくても、上手にできなくても、今の自分の気が済むように。過去の自分の名にかけて。未来の自分が後悔しないように。たとえ、未来の自分が「それみたことか」と言いにきても「知ったことか」と言い返せるように。
後悔なんてしたくないけど、もしするとしたら、後悔したことに後悔をしたい。そういう人生がいいな。
2年前に中止になったこの演劇に再会ができて本当によかった。今日も私は後悔しないように劇場に来た。そんなちょっと過去の自分のことを、今の私はよくやったと思う。未来の私もきっとそう思う。
実演鑑賞
満足度★★★★★
『旅の支度』再演がムリウイにて開幕。本公演ではないけれど、私がウンゲツィーファで一番好きな作品です。
再演初日を見届けて改めて再確認しました。質問タイム気になったけれど旅の余韻をもう少し噛み締めていたくて帰路につきました。帰路であり旅路だなと思います。やっぱりすごく濃密な劇体験でした。何度みても色褪せないひりつきも含めて。
実演鑑賞
満足度★★★★★
子どもも楽しめるビジュアル演劇ということで、私の感想より子ども達がどれだけ楽しんでたかを真っ先に言いたい!
前説で起きた拍手に「みんな◎くんと同じで始まる前から楽しいから拍手してるんじゃない?」(小1)。
「舞台美術もすごかった。全部手作りなんて信じられない」(小6)。
南極は、勢いがあってハイデザインな若手劇団として注目されることが多いけれど、その背後には決して勢いや若さだけではどうにもならない、気が遠くなるような地味で細かい膨大な作業があり、手間暇かかるものを手間暇かけて作り遂げる覚悟がある。勢いがあってハイデザインで、そして愚直なまでに地道。隣の子どもたちがみるみる感動してくのが伝わって胸がいっぱいになった。人の力、それを信じる力がすごい。キャストは勿論ピットチームやスタッフさんの疾走にも拍手、人力で起こすミラクルとマジカルの数々に拍手!
実演鑑賞
満足度★★★★
演劇はもちろん朝ドラ『虎に翼』やドラマ『全領域異常解決室』など映像でも大活躍の名村辰さんの主宰するnamu。
旗揚げ公演も拝見し劇評をお寄せしたのですが、名村さんには(お忙しいとは思いつつ!)今後も是非作品を書いてほしいと改めて思いました。
(以下ネタバレBOXへ)
ネタバレBOX
恋に落ちる瞬間のことを、「◯◯なことをする人を信じられないと思っていたけれど、なぜかその人がやると不快じゃなくて」みたいなセリフがあって、それは人が人に惹かれることが理屈ではどうともいかない領域で発生するという真理を端的に伝える一言であったし、翻ってかつて惹かれ合った人間のその熱が冷めてしまった時の様相を皮肉にもまざまざ握らせる一言でもあって『ロビンソン』という作品全体においてとても重要な役割を果たしている一言に思えました。わかりやすいだけでなくて、本能と理性を往来して考え抜かれた短いながらも丁寧な夫婦奇譚。
2作目の久保田響介さんの『水彩に溶けていく』もまたよかった。感覚過敏で「普通の人ができることがうまくできない」弟と、彼と距離をとっていたものの同居を余儀なくされ、ヤングケアラー的役割を背負うことになった姉。二人の歪な関係と、他者のまなざしや感覚で世界を見つめ、感じることではじめて気づく実感。その様が丁寧に描かれていました。どちらの演目も、ムリウイという空間にハマっていて、窓の外側の風景や音が内側で起きていることにとても効果的に干渉していて、湿度の高く風の強い夜に観られたことも大切に思える作品たち。
私の中の人生指折り心が震えたお芝居に殿堂入りしている名優福田麻由子さん、そして姉の苦悩や葛藤とそれがほどけていく様を繊細に豊かに表現する安川まりさん、2作にわたって正反対に見える男性像を演じ分けた小口隼也さんとキャストも素敵な布陣で。こんな企画なんぼあってもいいですからね!と思いながら、自らの夫婦奇譚なんかも思い返したりしつつ帰りました。名村辰さん俳優としても作家としても今後も追いたいです。
実演鑑賞
満足度★★★★
最大規模の「国家」と最小規模の「個人」、その理屈と感情を往来し、マクロ/ミクロ/ズーム/アウトを重ねながら「戦争」をどう止めるかを考える。「国」という大きな主語には何もかもが含まれている、と切々と伝えるシーンがどこか初恋の告白の様に見える瞬間が鮮烈だった
実演鑑賞
満足度★★★★★
待望の多摩美シアタープロジェクト びびびvol.1『アートマーザー』
大いなる母を安らかに眠らせるべく子どもたちはあの手この手で芸術を尽くす。教員と学生の関係から着想を得た糸井ワールドが起こすビッグバン、一人一人がそれぞれ新しい星であるかの様なエネルギー。私の涙も蒸発して今頃大気圏突入。
母と子での観劇でした。羽衣の『おねしょのように』を観たこの時はまだ1年生だった娘と。
怖くなって膝に座りたがるようなことはさすがになかったけれど、自分で「観たい」と選んで劇場に来たのはこの時と同じだった。羽衣を初めて観た日から15年、私は芸術を志す子の母になっていた。感慨深い観劇でした
実演鑑賞
満足度★★★★
「わたし」と「あなた」と「わたしたち」、そしてそこに含まれない「だれか」。自由と不自由、正気と狂気の縫い目を引き裂く光光光、音音音。そう簡単に「二人」にはなれぬ世界の残存が身体に反響し、やがて私の口からも吐いて出た「だれか、来る」
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ネタバレBOX
公式からも出てますが、一部大きな音や激しい光の演出があり、演劇体験としてもそれに劣らぬ俳優の眼光も凄まじい。結構なデカさ眩しさ!最近は制作がとても丁寧で程度が低くてもアラート出される事もありますが、これはしっかりめ。アトラクション後の如し残像残響抱えながらの帰路。
実演鑑賞
満足度★★★★★
追跡・検閲・統制が不可能という理由で紙媒体はおろか印刷自体が固く禁じられた世界。
(以下ネタバレBOXへ)
ネタバレBOX
というディストピア大筋だけでも面白いのに実際舞台上でプリンタをバリバリ稼働させながら物語を展開するのは作家も俳優ももはや特殊技術の域!観客までを共犯関係に巻き込む凄さ!もうさ〜劇場で何してくれちゃってるの!って毎回なるの最高の劇場の使い方だと思うし、イカれた発想と偏執的な演出を実現してるの凄い。そうよね、何をするにも手間がかかるの。紙を刷るのも、演劇を作るのも観るのも、生きるのだってそう。「辛抱強さ」の果てに味わう快感ったら!
実演鑑賞
満足度★★★
まず言及したいのは舞台美術の再現力の高さでした。
ネタバレBOX
劇場に入るやいなや、そこには緻密に設計された電車の車内空間が広がっていて、思わず歓声が漏れてしまいました。その車内を通らねば客席に辿り着けない造りになっていて、さらにキャスト陣は役としてすでに電車の座席に座っていたりもするため、ドキドキしながら車内を通り抜けました。「物語の世界を経由して客席に着く」という流れが、作品への没入感を手伝う導入として大きな効果を発揮していました。
内容としては、その車内空間で起きる出来事をリフレインして描いたワンシチュエーションもの。ディズニーランドに向かう二人組、泥酔している若い女性、ベビーカーを伴う母親、あまりうまくいっていなさそうなカップルなど、それぞれ属性や背景が異なる人物が乗り合わせていて、リフレインの度に焦点が当てられる乗客や出来事が変わることによって、乗客たちの心の内や社会の暗部が徐々に露わになってくる様子が興味深かったです。
基本的には日常会話が語られているのですが、時折挟まれる独白によって人物造形が具になったり、また角度を変えて同じ場面を繰り返し描くことで、1ターン前には気づかなかった表情や動きを発見できる面白みがありました。なかでも、終始肩身の狭そうな表情をしている母親の、疲弊し切った心が発露するシーンでは、身に覚えのある痛みに胸が詰まる思いがしました。育児中に抱えるストレスや社会からの孤立。「何か手伝いましょうか?」と思わず声をかけたくなるけれど、「乗客」でなく「観客」である私にはそれが許されない。その状況が、奇しくも『では、「乗客」の時は果たしてそれができるのか』という問いとして迫るような思いにもなり、他者に手を伸ばすことの必要と難しさを逡巡しました。
一方で、全ての乗客にスポットが当たるわけではなく、ポイントに絞られているため、テーマが偏り、その一方でメッセージは散漫としてしまっているような感触も受けました。多くが語られないことによって想像力を駆り立てられた節もあるのですが、もう少し一人ひとりを相対的ではなく、絶対的な存在として見てみたかったという心残りがありました。しかしながら、舞台美術こそ素晴らしい虚構であるものの、ここで描かれていたことはほぼ私たちが生きる上で経験する日常でもありました。「帰りの電車での風景が行きと比べて違って見える」という点が、本作が導いた最も大きな体験だったような気がしています。
実演鑑賞
満足度★★★
この演劇が何の誰の話であったかを説明をしようとすると、途端に迷路に入り込んでしまう。しかし、この体感こそが本作のメッセージだったのかもしれない。慣れない北海道の街を「こっちじゃない」「あっちも違う」と時間をかけて移動しながら、私はそんな実感に辿り着きました。
ネタバレBOX
ギルガメシュという人物を主軸にいくつものモチーフやストーリーがコラージュされ、場所、時代、時空さえも「移動」しながら進む物語。地下鉄の路線のように入り組み、まるで行く手を阻むように現れる不条理に次ぐ不条理、ナンセンスオブナンセンス。配達の仕事をしているにも関わらず、客に料理を届けるのを渋るギルガメシュをはじめ、滅茶苦茶な昔話を展開する落語家、電柱相手に路上ラップバトルをする男など、次から次へとヘンテコな人物が現れます。しかしながら、それらが何らかの大きなものや流れに対する「抵抗」や「格闘」であることはそこはかとなく浮かび上がってきて…。そして、最終的にはギルガメシュが抱える家庭や社会からの抑圧や搾取、消費といった問題につながっていく。
呆気に取られながらも、私は日に日に本作に「カウンターの物語」としての手触りを感じるようになりました。劇中で具体的な家庭問題が詳らかにされるわけでも、特定の社会問題が語られるわけでもありません。しかし、登場人物たちは確実に何かに異を唱えていた。それは、この混沌とした現代を生きる人々の姿そのものなのかもしれません。「何処にも行けない」と思っていた人が一歩を踏み出す話にも思えるし、そうしてやがて「何処へでも行ける」ということに気づくまでの話にも思える。そして、「何処へ行く」と問われているのはギルガメシュだけではない。おそらく、観客にも等しく向けられた言葉であるのだと感じました。
一方で、やはり展開が混沌としすぎていて、咀嚼するまで時間がかかり、そういった実感に辿り着くまでにだいぶ苦労したというのも素直な感触でした。同時に、意味がわからなくても見入ってしまう、というのもまた俳優の身体性が導く演劇の魅力でもあるのだと思います。なかでも、身体の部位を執拗に口にしながら、ダンスに満たないダンス的動きが繰り返されるシーンは、心の在処をたしかめるようでもあり、奇妙ながらに何か切実なものを感じました。また、500円を前払いし、終演後に追加料金を決めて支払える「ワンコイン観劇プロジェクト」も興味深いものでした。
実演鑑賞
満足度★★★★★
オリジナル楽曲のバンド演奏と俳優の身体表現を同じ地平で立ち上げること。これが、エリア51が標榜する「音楽演劇」の形です。しかし、そこには、単なるジャンルの融合や横断だけではなく、観客が劇場という場や観劇という機会に対して抱える緊張や不安をできる限り解そうとする、演劇におけるアクセシビリティやケアへの観点が忍ばされていました。
ネタバレBOX
日本において「劇場」という場所はまだまだ多くの人にとって緊張を余儀なくされる場所であると感じます。もちろん、その緊張感も時としては濃密な劇体験の一部ではあるですが、体質や体調など様々な事情を持つ観客にとってはその数時間が喜びどころか苦痛に感じられてしまう。
そんな中で、本公演では飲食しながらの観劇やスマホでの撮影、ゆるやかな退場時間の設定や途中入退場がしやすくなるようなアナウンスと、状況や文脈が異なる他者とともに芸術や文化の喜びを体験する上での様々な工夫が凝らされていました。まるでライブやフェスに来た時のような体感で劇場での時間を過ごせること。そうした演劇公演が決して多くない中で、エリア51はこのフォーマットを追求し続けており、実際に多くの観客の方が前のめりかつ自由に楽しんでいる様子が伺えました。
物語としては、人類が「旧人類」と呼ばれるようになった未来のお話で、旧人類である主人公がかつて深い友情を築いたアンドロイドを探し、ロボットと旅に出る、というスペクタクルな宇宙冒険譚でした。そこにギター、マリンバ、ベースの生演奏とボーカルの歌声が並走していて、時には演劇が詩的なMVのように音楽の魅力を引き出し、またある時は音楽が劇伴として物語に流れる変化や予感を引き立てたりと、効果的な相互作用を生んでいました。会場はいわば、音楽と演劇を相乗りさせた一つの宇宙船。そんな風にも思えてくるパフォーマンスでした。
星を越えて紡がれる友愛を描いたこの音楽演劇は、圧倒的に異なる出自や背景や性質を持つ私たちが他者と生きていくことの困難と、それを越えた先にある喜びを伝えるものでもあったのかもしれません。同時に、アンドロイドやロボットといったAIとの共存という喫緊の社会現象を盛り込んだ劇作でもありました。そうしたメッセージを受け取るにあたって、音楽と演劇という異なる文化が同配分で混ざり合うフォーマットは理に叶うものであるとも感じました。
実演鑑賞
満足度★★★★★
『かいころく』は養蚕農家編、蚕種編、工女編の3部作から成る安住の地のツアー公演で、私が観劇したのは、横浜の若葉町ウォーフで上演された養蚕農家変・工女編でした。
ネタバレBOX
上演に入る前に、作・演出を手がけた私道かぴさんから、本公演の背景や、なぜ「蚕」に関するお話を書こうかと思ったのか、そこにどんな出会いや気づきがあったのかが語られました。簡潔でありながら、公演の意図や思いが伝わるとても丁寧な解説で、演劇作品に入る導入としても、舞台と客席を均すコミュニケーションとしても素晴らしい前説でした。その前説によると、本作の制作は「元養蚕農家で上演する作品を」という依頼をもとに始まり、取材やフィールドワークなどを重ねて作られたそうです。そうした人々の歴史や暮らしといった背景や、そこで発生する生の声からあらゆる言葉やシーンが紡がれたことが実感できる、生々しく繊細な作品でした。
『養蚕農家編』は養蚕農家に生まれた青年の人生やその葛藤を描いた一人芝居で、男手を中心に行われる厳しい肉体労働や母への思い、やがて戦争に召集される様子までもが描かれていました。対して『工女編』は、同じく一人芝居でありながら、養蚕農家に生まれ育った女性が製糸工場に出稼ぎにいくところから結婚や出産などを含み、数世代にわたって女性の姿を描いた作品でした。日本における男性性と女性性をめぐる様々な歴史や問題を考えるにあたって、この二つがセットで上演されている回があることにもとても意味があると感じました。
同じ女性としては、13歳という年齢で家を支えるために自立せねばならなかった少女の姿に、母性との距離感やえも言われぬ寂しさ、戦争がもたらした様々な苦しみや、現代にも通じるヤングケアラーといった問題なども切々と想起させられ、観劇後にもいろんなことを考えました。カンパニーの代表作としてはもちろん、戦争やそれによって人々の暮らしにどんな変化がもたらされたのか、また、性や性差をめぐる問題を考える上でも、今後も何度もさまざまな場所で再演される意味のある公演であると感じました。
関連して、チラシ束には劇場付近で開催されているシルクにまつわる美術展の案内が入っており、そのことに言及がされていたことも素晴らしく、「養蚕」という営みが最終的にどういった形になるのか、人の手に届くのかも含めて、深く考え抜かれたクリエーションであることが伝わる一幕でした。
実演鑑賞
満足度★★★★★
名古屋を拠点に活動する優しい劇団による大恋愛シリーズ第11弾。普段は別の土地で活動する俳優が公演当日の朝に初めて顔を合わせ、稽古、そして本番と“1日限りの演劇”を上演する試みです。
今回は「優しい劇団の浅草演劇祭」から1年を経て「優しい劇団の武蔵野演劇」と題し、一人芝居に大恋愛2本という怒涛のラインナップを3日間吉祥寺シアターで上演。本作『もっと愛してくれよ節』はその最終日に上演されました。
ネタバレBOX
まず、名古屋を拠点に据えつつも地域を横断してこの壮大な企画を立ち上げ、連日大盛況でやり遂げられた気概とエネルギーに拍手を送りたい思いです。
前日に上演された『夕焼け色のダイダラボッチ』は同窓会を巡るお話で、過去を懐かしみながら今を生きる人々の姿が描かれていました。それに対して、『もっと愛してくれよ節』は初の時代劇。キャラクターの名前や役職、流れているムードこそ時代劇のそれなのですが、内容はむしろ未来的、未来への願い、平和への祈りが強く込められた作品であると感じました。
優しい劇団の持ち味である、ペアによる愛の言葉の応酬、愛が積もり、愛が重なり、それによって世界は変わるのではないかという願い、未来をよくしたいという祈り…。
チラシに描かれているように、本作は「花火」がモチーフとなっており、冒頭からキャスト陣が口々に「たまやー」と叫びます。それに対し、綺麗な星があるのに花火なんていらない!と言う者が現れ、いや、花火は消えてほしくない!という者が現れ、いつの世も人は自分の信じる愛や正義に向かって突き進むわけで…。そんな愛らしくも偏屈なキャラクターたちが、今この瞬間に舞い上がる花火の如く熱烈に生きる姿を、文字通り見上げていました。
物語のラスト、時を越え、国を越え、星まで越えて、軌跡が一つの愛へと帰結していく。その音を、始まり同様に俳優らの生声に託していたこと。それらに私は平和への強い祈り、反戦への思いを感じ取りました。1日で出会い、別れる俳優への手紙でもある台本、その手紙に全力で応答する俳優たち。そして、それらによって紡がれた風景の集積が、やがて舞台と客席を越境して、人々を同じ場所へ、同じ歌へ、同じ空の下へと誘っていく。そんな時間や空間が1日で叶えられるということ。そのこともまた、演劇という営みにおける一つの希望であると私は思います。
実演鑑賞
満足度★★★★
かつて投資情報商材マルチに手を染めていた、リリーとブラックのカップルの会話劇から浮かび上がる「宗教二世問題」。
ネタバレBOX
5年の同棲生活の間に二人に起きた変化が、越してきた日と家を出る日の会話のみで生々しく立ち上げられていました。単なる「関係の経年劣化」ではなく「5年かけても分かり合えなかった」という絶望や痛みが滲んでいて、私はそのことに強く惹かれました。
二人は、窓からスカイツリーがギリギリ見える(京王沿線の)マンションに暮らしており、越してきた日に「スカイツリーが見える」とはしゃいだリリーが、去る時に「スカイツリーからこの家は見えなかった」といった旨のセリフを言う。それは互いの、もっと言うならば他者との分かり合えなさや見えている景色の違いをざらざらと伝える一言で、劇全体に大きな効果をもたらしていました。同時に、ややセリフ(≒俳優)に託され過ぎている面もあり、照明などをもう少し活用して心象風景をより効果的に立ち上げることもできたかも、という感触も残りました。おそらくあのシーンは文字で読んだ時にも相応の体感に導かれると思うので、上演でその体感をどう増幅できるか、シーンの強度を上げられるか、その可能性を見てみたかったのだと思います。
本作にはリリーとブラックの他に、ブラックの後輩・へドウィグが出てきます。
外からの来訪者によって、内向きな会話や物語にうねりが生じる、というのはよくある展開ですが、本作はその手法は取らず、ブラック不在の中でリリーとヘドウィグは真新しく会話を重ねます。その会話にブラックとリリーの関係やリリーが抱える宗教二世の問題がまぶされていく様が興味深かったです。3人を描くことよりも、2人を2パターン描くことに注力することで、それぞれの人物造形を具に、露わにしていく。それは自己と他者、その分かり合えなさ、そして分かり合いたさを描いた本作において非常に意味のあることだと感じました。
シリアスな題材ながら絶妙な間合いやリアクションで観客を笑わせたり、俳優も三者三様に見事でした(CoRich舞台芸術まつり!の審査においても、演技賞の議論では出演者3名の名前が挙げられました)。
リリーとブラックがパチパチわたあめを口にして、パチパチ音の余韻を残しながら会話をするシーンは極めて斬新。演劇を観続けてきて良かった。そう思うのは、こうした想像しなかった演出に立ち会った時でもあるのかもしれません。
実演鑑賞
満足度★★★★
書いて字の如くペガサスホールにラスベガスを召喚し、さらに劇中にペガサスも出すという抜かりのなさ。会場だけでなく、北とぴあの建物、もっと言えば東京都北区そのものも巻き込んでの劇作も没入感を手伝い、劇場、いや、会場を大いに盛り上げていました。
ネタバレBOX
タイトルに始まり、舞台セット、シークレットゲストに、マルチエンディングと、まさにギャンブルの如く観客の射幸心を煽りに煽るエンタメ力抜群のステージ。勝つか負けるか。当たりか外れか。回さなくては勝てるかわからない数字と観てみなくては当たるかわからない演劇。「ギャンブル」というテーマが演劇の内外を横断し、どこを切っても薄まることなく貫通しており、清々しい観劇でした。
物語として興味深かったのが、カジノの客を盛り上げるためにうだつの上がらなかった劇団が利用され、イマーシブシアターとしてカジノ向けの劇作と芝居を依頼される、という設定。劇場の中に劇場、演劇の中に演劇という入れ子構造になっており、観客もまた一人の当事者として世界観にグッと引き込まれるような力強いストーリーでした。
大所帯の群像劇ながら、ペアやコンビがきっちり整理され、全員の個性が等しく輝く配役とそれを余すことなく体現するキャスト陣には毎度ながら脱帽です。
もう一つ特筆すべきは、音楽。一度聴いたらたちまち耳から離れない楽曲(小山優梨)に合わせて、自らもルーレットに扮しながら数字を回す俳優たち(=数字に振り回される登場人物たち)の姿が鮮烈で、音楽の力強さが支柱となって観劇の記憶を色濃く彩っていました。スタッフ賞が存在するならば、私は小山さんを推薦したい。そんな風に思いました。
欲を言えば、もう少しドラマ部分が見たかった気もしました。中でも、カジノによって生活が一変してしまった夫婦の姿は物語の主軸でもあるのですが、シンパシーやエンパシーを抱くには展開が速く、ドラマへの没入には及ばなかった感触がありました。とはいえ、押し並べて俳優の表現力が高く、どのキャラもそれぞれスピンオフができそうな味わいがあるので、「もっと見たかった」という感触はそれはそれで正解のような気もしています。
実演鑑賞
満足度★★★★
「中絶手術を終えた主人公・サチコの下半身がイグアナに変身しているところから始まる」というあらすじからも「女性の身体における意思決定がどう紐解かれていくのか」に期待を寄せて観劇に向かいました。
ネタバレBOX
「変身」というものは、カフカの同名小説しかり、様々なカンパニーや作家によって創作の題材とされているものですが、本作における「変身」は、そこに「意思」を伴うか否かということが常にセットで描かれているように感じました。もう少し踏み込んで言うと、セックスに始まり、妊娠、出産、そして中絶といった極めて私的で守られるべきはずの女性の意思決定が、公的な規範を揺るがすような論調で軽んじられることについて明確に「怒り」と「抵抗」を示していると感じました。そして、私はそのことに強い共感と好感を寄せました。
サチコだけでなく、サチコの姉で家族のケアを余儀なくされているアキコや、男性社会の中でその医師(であり意思)に従わねばならない看護師のナスノ、シングルマザーのウオズミと社会で消費される様々な女性の姿に対し、私は等しく共感を寄せながら物語を追っていたように思います。
前作ではあらゆる物語の中で希求され、消費される少女性に対する抵抗を感じましたが、本作ではその先に待ち受ける抑圧や消費にスポットが当てられていて、カンパニーや劇作家の「これを描かずして」という一貫した覚悟を感じる観劇でした。
女性たちが車に相乗りをしてドライブする束の間の解放。そのシーンでJUDY AND MARY『Over Drive』が流れ、「夜に堕ちたら夢においで 宝物を見つけられるよ 信じてるの」の歌詞が重なった瞬間は思わず涙が溢れてしまいました。一方で、冷静になって振り返ると、パートナーであるユキオがサチコの車に轢かれてあっけなく死んでしまう展開や男性医師であるイシダのやや記号的な配置などを含めてどうしても男女の二項対立の構図になってしまう節もあり、もう少し希望を見出したいという思いもありました。
しかしながら身体の構造的にも侵入される側であり、妊娠、出産、そして中絶を経験し得る身体を持ちながら生きていく中で、私個人はどうしても女性たちの怒りに肩入れしてしまう部分もあり、男性の死や記号化を軽んじている自分にも気付かされました。20代の若手劇団にとって本作が果敢な挑戦であることは言うまでもありません。それを全力で讃えつつ、今後の発展に期待を寄せたいと思います。
実演鑑賞
満足度★★★★
香川県・高松市の田町商店街に新しくできた小劇場「絵本の劇場カメレオン」。本作『1万円おじさん』はそのこけら落とし公演でした。
ネタバレBOX
開演前から地元の観客たちで会場は賑わい、地域の演劇シーンの、ささやかながらもたしかな一つの転機のような場に立ち会えたことをまずとても嬉しく思いました。
おかださえによる絵本『しごとってなあに?』(渋沢栄一の『論語と算盤』を元にした絵本で渋沢栄一の玄孫である渋澤健が監修を務めている)を題材に、子どから大人まで誰もがわかるやさしい言葉とストーリーで「お金」と「仕事」の仕組みを紐解くコメディ。
やりたいことに向かって突き進む情熱家のカナコと将来を見据えて慎重に動く理論派のハル、そして突如公園に現れた1万円おじさんこと渋沢栄一を自称する男。対照的な性格で揉めがちな二人に謎の男が文字通り“金言”を告げる、というストーリー展開なのですが、「需要」や「供給」や「経営」と「協働」などについての教訓も盛り込まれていて、たしかに絵本的であるなと思ったりしました。
一方で、若い女性二人に対しおじさんがああだこうだと言って、それに女性たちが納得したり感化されていく、という構図も相まって、ユーモアよりやや説教くささが先行してしまっている印象も受けました。とはいえ、1万円おじさんがあまりにダメおじなので、「いや、あなたに言われても!」というツッコミの余地は確保されているとも感じました。
会場では、渋沢栄一にちなんで、劇中でも重要なアイテムとして出てくるサッポロ黒ラベルが売られていて、「これは飲みながら観るのがいいはずだ!」と思いつつ、審査観劇であることもあり我慢をしました。(今となっては、あれはカナコやおじさんと同じタイミングで缶をプシュッと出来る絶好のイマーシブ演出で、もはや飲酒も1セットの観劇という捉え方で良かったのでは!と後悔しています。飲めば良かった!)
実演鑑賞
満足度★★★★
「AI」という題材や設定だけでなく、それによって人間の深部が揺らいだり、輪郭が解けていくような感覚が随所に忍ばされていることの“超”今日性。あまりに「今」に迫り来るストーリーと上演で、11年前の戯曲であることに改めて唸りました。
ネタバレBOX
(作品に)時代が追いついた感というか、身近にある実体を持たない知能や知性、生命が終わってもSNSアカウントなどで人格や経験がデータとして残り続けることなど、手触りある体験なども想起しながら生々しく受け取りました。
失踪した母親が人工知能の家電(ザマと呼ばれている)として現れるという設定もとても引き込まれるもので、ザマとのあらゆる関わりや共存や乖離を、俳優らが複数の役を演じ分けながら魅せる姿もある種では撹乱的な効果を生んでいて、またある種では散らばったピースが揃っていくような実感にも繋がり、奥行きのある観劇となりました。
AI/人工知能は「人間の経験や知能によって学習させられている」だけあって、当然人間の様々な影響を与える。そして、奇しくもそのことに人間らしい寂しさや物悲しさが宿っていて、その情緒をまざまざと伝える目の前の人間、その集結による総合芸術の凄みに圧倒されました。すごく陳腐な表現かもしれないのですが、人間ってすごいな、と。素晴らしくて、恐ろしい、と感じ入りました。
音楽と空間の持つ可能性を引き上げる額田演出の妙も素晴らしく、リクリエーションとして強度の高い仕上がりでした。これはほとんど好みのようなものなのですが、引きの画の美しさに息を飲むような瞬間もあったのですが、やや余白が多いようにも感じられ、欲を言えば、もうちょっとギュッとした空間で観てみたかった、という気持ちも少し残りました。