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リチャードⅡ 【ご来場ありがとうございました】

リチャードⅡ 【ご来場ありがとうございました】

演劇集団 砂地

【閉館】SPACE 雑遊(東京都)

2011/01/14 (金) ~ 2011/01/26 (水)公演終了

満足度★★

着眼点は面白いが作りこみ不足。また脇役の扱いがひどい
シェイクスピアの比較的マイナーな作品を使って政治批判、という手腕は面白いと思ったし、演出も色々凝っていたとは思うのだが、はっきり言って作りこみが甘い。
原作の世界と表現したい世界がぶつかってしまっている。
現代日本の政治劇としてみるには原作の枠組みが邪魔になるし、かといって「リチャード二世」としては崩壊しているので、どっちつかずだ。
もっと原作から大胆に離れて自分達の世界を構築した方がよかった。

彼らがウェブサイトで謳っているように原作を全く知らなければそんなことは無く☆4にできたのだろうが、しっかり原作(の和訳)を読んでしまった身としては……。
原作なんてどうでもいいといってしまえばそれまでだが、シェイクスピアを下敷きにする以上、シェイクスピア劇のファン(マニア)も見に来てしまうということを納得いただきたい。

どうせなら、原作に変に忠実に王の物語にせず、いっそ舞台を日本(あるいは架空の国)にして、そこの首相の話にした方がよかった。
リチャード二世そのものを登場させてしまうと、どうしても原作の方も意識せざるを得ないので、どうにも話にのめりこめないのだ。

舞台を日本にしても、政治劇なのにボカボカ殴り合ってばかりなのは世界観に合わないと思う。
国会中継などでも議員が殴り合っているのなんて滅多に見ないのだが……。

リチャード二世の枠組みを使っているのに、リチャード2世とヘンリー4世以外の男性登場人物の扱いが杜撰なのも気になった。
全員スーツなもんだから全く見分けがつかないし、名前も一切出てこない。
私はヨーク公しか認識できなかった。
演出するほうは役者のことを全員把握しているからあれでいいのかもしれないが、下手をすると観客側は「誰か知らないけど色々べらべらと喋っている」と認識するだけで終わってしまう。
せめて登場人物紹介のパンフレットくらい用意してほしい。

あと王妃のエピソードを登場させる必要性がわからないし、王妃のキャラクター自体も疑問。
全然共感も同情もできない。
さらに言えば、男たちの政治劇なのに最初に出てくる事件が王妃がらみなのもおかしいと感じた。
結局王妃は政治には絡まなかったし。
政治に絡むのは男だけ、というのは、ヨーク夫人の削除からも見てとれる。

個人的には、店員二人が舞台の服の上に上がってしまったのは演出上のミスだと思う。
服が何を象徴しているかを考えると、あれは絶対にやってはいけなかった。

詳しい話はネタバレになるのでBOXへどうぞ。

ネタバレBOX

スーツ軍団に関しては、もっと個人のキャラクター色を出してもよかったと思う。
終盤になって退位したリチャード王を崇める男が出てくるが、誰だかわからないのに唐突にそんなこと言われても困るし、もうちょっと伏線が欲しい。
原作では単にヘンリー暗殺計画なので余計なことを考えなくて済むのだが、なぜわざわざあんな演出にしたのか、するんだったらもっと観客に分かりやすくしてほしい。
リチャードを崇めているキャラクターは原作にもいるのだから、それを生かして話を組み立てるか、あるいはリチャードを孤立無援と描きたいのなら、いきなりリチャード崇拝者なんか出さないことだ。

ラストのヘンリーの「身内をひいきしない」も、冒頭のリチャードの台詞のエコーとしては効果的なのだが、そもそも誰が身内なのか把握できていた人は少ないんじゃないかと思う。
ヨークなんてそれ以前からボコられまくっていたし……。

ヘンリーが原作でどういう扱いをされているかを知っていると、ラストがグダグダに見える。
もっと皮肉を利かせて、TV局の名前をシェイクスピアにしたらよかったのに。


王妃に関しては、買い物依存症で国家財政を傾けさせたくせに新政権からなんのお咎めもないというのも変だし、そもそもなんでそこに王妃を出すかがわからない。
別にリチャードの政策失敗で多数の損害が出た、でいいと思う。
不妊症のせいで、買い物依存症・露出狂・男狂いになったというエピソードだけど、あれは今やったら陳腐だと思う。
キャラクターとして酷すぎて吐き気がした。
周りの男たちも誰が誰だか分からないので、何がどうなっているのかさっぱり分からないし。
1人目の男は途中までは認識できたが、2人目の方なんて唐突に登場してすぐ出番が終わってしまったので人物関係が全く把握できなかった。
この演出家は人物関係のことをどうでもいいと思っているのだろうか。
そういう演出家なら今後は見たいと思わない。
『夏の夜の夢』『じゃじゃ馬ならし』

『夏の夜の夢』『じゃじゃ馬ならし』

シェイクスピア・シアター

俳優座劇場(東京都)

2008/04/29 (火) ~ 2008/05/05 (月)公演終了

満足度★★★★

テーマは「虚構」
この芝居は「虚構」である。
スライに始まってスライに終わるのがいいね。
つまり、原作では劇中劇の終わり=芝居の終わりだが、本公演ではスライ(≒ペトルーキオ)が闖入者として女将(≒カタリーナ)に追い出されるところまで描いていて、「つくりごと」ということを観客に思い出させて幕切れとなる。

本で読んでいるときよりも登場人物たちの「とりかえっこ」(≒「虚構」?)が目立つ。
目の前で服を取り替える演出とか。

結婚式のシーンでカタリーナが普通の(新婦らしい)表情をしていたのには「あれっ」と思ったが、あれは生まれて初めて求婚されて(つまり、妹でなく自分が求められて)嬉しかったのかな。

カタリーナが馴らされた後はどうなのか?
馴らされたのはペトルーキオに愛されている、ペトルーキオも本気で愛している、というのが希望的観測。

リーフレットにあるようにカタリーナの包容力の大きさを強調するならば、月と太陽のシーン以降は「全部分かっててやってる」ってことか?
「まったくしょうがないんだからうちの人は(笑)」みたいな感じだろうか。

DVぽい話で、ともすると暴力沙汰の暗い雰囲気になるところだが、積極的に笑わせようという演出なので終始楽しい雰囲気だった。
後半はちょっと暗かったけど。

ラテン語とシェイクスピア時代の観客との心理的距離は、ラテン語と現代日本人とのそれより遥かに近いことをなんとなく感じた。
ペトルーキオが友人に会う場面で、いきなり「ナイスツーミーチュー」とめっちゃカタカナ英語で挨拶したのでなんだこりゃと思ったが、召使が「ご主人様達はラテン語で挨拶しているけどおいらにゃさっぱり」と言うから、おそらく原文はラテン語なのだろう。
当時の民衆は貴族でなくてもグラマースクールでラテン語を学んだわけだし、そもそもシェイクスピアの学力がその程度だったって説もあるので、みんな聞いて分かるんだろうね。
だから、ラテン語と観客の距離は、日本人だと英語との距離に置き換えると近いのかも。

福田訳を読んだときには気付かなかったが、本公演は小田島の翻訳だから駄洒落満載。
こんな軽妙な会話だったのか、と改めて笑った。

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