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<身体>に対する態度表明

<身体>に対する態度表明

木村愛子・林慶一 共同企画

d-倉庫(東京都)

2015/10/06 (火) ~ 2015/10/07 (水)公演終了

満足度★★★★

林慶一 公共について
林慶一
公共について

開演前、舞台上にリトグラフを作るための?万力に挟まれ、ハンドル式で紙を送る仕掛けがあり、林がひたすらその紙に向かってクレパスのようなものでその紙いっぱいに自分の名前を書いている。会場には時報を伝えるシグナル音、携帯のスイッチ音。少々ホワイトノイズ?
林は時々テーブルを自分の手や足、時におでこを使いステージのあちこちに移動させながら、名前を書くという行為をただひたすら繰り返している。時々場内を見回したりしながら、ただ書くという行為をひたすらやっている。時々水を飲んだり、手を拭いたりして。
手元にある公演のチラシ。林の経歴を見ると、「美術大学油絵科の受験に失敗し」とある。クレパス、紙というものが林にとって自分のアイデンテティを獲得するための重要な時期があったのだろうか、単純に芸術への関心と技能との乖離、苦悩のようなもの…。着席し、舞台を観はじめた観客たちは、それ位の「ぬるい集中力」と関心で林のパフォーマンスを観はじめる。
林の仕掛けていく世界に観客は少しずつピントを合わせてゆく。
林は書く行為をどんどんやっている。側から見ると狂気染みている。しかしそれは、しばらく何が起こっているかわからず、見ることが辛くなって、瞳を閉じた観客の意見だろう。私には、「瞳を閉じているだろう観客の瞬きの音」が会場に聴こえた気がした。林の一連のパフォーマンスが途切れ目がない。意識の流れが断絶されることなく、次の舞台上の行為へと移り変わってゆく(個人的には林の数年来の作品も見ているので、そこはとても際立って滑らかに感じた)。
舞台奥の汚しがかけられたズタ袋の中から、林の顔をプリントした生首が出てくる。袋は6つほどあって、それに全部重石が仕掛けられた生首がたくさん入っている。それ自体絵としてキッチュさはあるから、会場からは笑いも起こっていた。勿論生首は「戦争」や「災害」といった理不尽な社会現象を簡単に思い起こさせる。林は其れを自分の生首にすることによって、公共圏で起こりうる理不尽な暴力に対して、自分の内側に対して原因を追究するような、怠慢を可視化するような試みを仕掛けたのではないだろうか。その問いかけは一見、文字の上では果てがない。直ぐに自分とは切り離して命題のように、日々追いやってしまう。林もその机上の空論に答えを出すつもりなど毛頭ないだろう。
生首がばら撒かれたところで、林はマイクスタンドを用意し、ボイスパフォーマンスをはじめる。林の音に対する感性は尋常じゃないと思うことがよくある。毛穴がそばだつ。ある種禅の修行僧のような、荒修行の僧侶のような荘厳で深い其れ。用意された音響も多分林のオリジナル。太鼓、ドローン、太鼓。
再び机に向かい、書く。顔に時々炭が塗られる。顔に何か塗る。。。自意識が林の中で突然邪魔になったんだろう。何かそれらを剥ぎ取るための死化粧。
極限状態に自分自身を追い込んでゆく。身につけた衣装のボトムスもハイレグカット位までたくしあげる。身体の思考のスピードが加速していくように見える。舞台上で林の身体は性的に興奮しているようにすら見えた。ハイレグカットのボトムスの影で。
舞台上のスピードはどんどん加速してゆく。もうそこからはあまり思い出せない。灯りが変わり、林が息があがるのを抑えつつ、俯き加減のままお辞儀し、幕。
会場は少し間があり、終演したことに気づき、拍手がゆっくりしたスピードで鳴りだす。




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