満足度★★★★★
華と散るな、月よ剥がれるな
凄まじい作品だった。
命が失われることに涙を流す私たちは、一方で決死に美しさを感じ続けている。
尊い犠牲を誰も無下にはできず、ミシマの自決にさえ浪漫をみる。
命の華が花火のように散るその様を忘れられない。
その音に意味があるなら、意志があるなら、それをどうか掴みたい。
そう思わずにはいられないのだろうか?
ネタバレBOX
華と、月に表象された「命」とはなんなのか。
華、命の華。美しく散った後にだけ、それを華と呼びたがる。
月、剥がれなければ命。卵が流れていくときの血液を私たちは、月経(月の経る)といったり生理(生のことわり)だなんて意味深に呼ぶ。
願い事ひとつ叶えられるなら、「昼間の月も黄色くして。」白いのは納得いかない。
と「転校生」の美耶(みや)がいう。
「黄」体ホルモンがなければ子宮(子の「みや」)に卵は着床しない。流れ行く卵は命にならない。
クラスメイトのソラは、象徴的なフレーズを繰り返す。「おはようって言葉がkill youって意味に変わったらどうする?」
子宮という「まっくら」な場所から光あふれる朝をみて、「おはよう」の言葉をきいたときには、流れた卵は命(の可能性)を剥奪されている。
美耶は、報復の正当性を疑わない。カラスにつつかれたら、石を投げかえす。カラスに目をつつかれた見知らぬおばあさんの分まで石をなげつける。
やられたらやりかえす、では憎しみの連鎖が増すばかり、と信じている私たちの前で、生まれる前に命を剥ぎ取られた者は、別の誰かの命を剥ぎ取ることはできない。報復の正当性を無邪気に話す彼女は、誰にも報復できない者の化身として立ち現れ、そして夢のようにいなくなってしまう。トイレにいきたいといってお腹をおさえる美耶、保健室につき添おうとする恋人の南部を、「男子がいってどうする」と制止して、付き添うソラ。観客が既視感をもつだろう生理痛の暗示のシーンのあと、もう美耶のことを覚えているものはソラ以外にいない。寝起きのソラが「美耶はどこ?」と問うと、南部は「美耶?夢の中の友達か?」と答える。
劇は、もう、美耶の生まれなかった世界にスライドしている。
美耶という不可思議な存在を含みながら行われる学校授業で「ミシマ先生」から語られるのは、「散華(サンゲ)」の歴史だ。
人は人を殺してはいけない、戦争はいけない、70年間、平和に祈りをただ捧げてきた私たちは、戦争がなくならない世界の中に浮かぶ平和の国に生きている。どうやったら戦争がなくなるのか。赤羽という青年の思いつきは、羽田の寂しさと目蓮の金と太地の純朴さとを糧として、世界的な影響を与える平和運動へと発展する。
「人が人を殺したら、私も私を殺す」という脅迫。
母国が他国の者を殺したら、私は私を殺す。
母国よ私を生かしたいのであれば、誰も殺すな。
赤羽は妹と愛しあっている。その設定は、散華の思想に、繁殖の発想が欠如していることを教えている。
太地という兄を、散華で失い、
太地の意志を無碍にはできないもう一人の兄とは決裂し、
そして夫までもが散華に与しようとする、という運命のただなかで「朝桐」菜津は、
美耶を生まないことという決断をもって、
散華に抗議する。
ここにある小さな幸せを守ることをしないで、
美しく命を散らして平和を問うなんて、間違っている。
サンゲが終焉を迎えた「大抗議」という歴史的大事件は、
私たちに怒りの感情を放棄することを選択させる契機となった。
怒りを放棄した私たちは、報復をおこさない。
月の剥がれるまえに、散った命よ、どうか還ってきてくれないか。
『月の剥がれる』というひとつの舞台作品が、
生者である私たちに、命を懸けることを問うている。