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2022年度 1-9位と総評
老いた蛙は海を目指す

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老いた蛙は海を目指す

劇団桟敷童子

実演鑑賞

桟敷童子の公演は決して期待外れにはならない安定感があるが、【桟敷童子版「どん底」】と銘打たれた今回は、原口健太郎と大手忍がこまつ座「イヌの仇討」九州巡演のために不在(大手は本公演を休むのは入団以来初めてとか)にも関わらず、従来にも増して深みのあるどっしりとした人間ドラマを観せてくれた。

舞台となるのは昭和大不況下のスラム長屋。貧乏のどん底の住人たちと強欲な家主夫婦、流れてきた医者と時として哲学的な言葉を発する珍妙な婆さん、そして追われて逃げこんだ3人の労働運動家がもつれた人間関係を繰り広げる。「(スラムという)地獄を出ると不幸になる」アイロニーが悲痛なまでに描かれる2時間。

この劇団の代表作である炭鉱三部作(初演の順でいえば「泥花」「オバケの太陽」「泳ぐ機関車」)に匹敵する、というか、それらを凌駕したやもしれぬと思える密度のドラマが展開された。

ところで、青山勝が演じた箕輪惣兵衛はメイクといい、役柄といい、原田大二郎へのアテ書きだったんじゃないんだろうか。

帰還不能点(8/17~8/21)、短編連続上演(8/25・26)、ガマ(8/29~9/4)

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帰還不能点(8/17~8/21)、短編連続上演(8/25・26)、ガマ(8/29~9/4)

劇団チョコレートケーキ

実演鑑賞

『ガマ』
8月17日から2週間以上の期間、東京芸術劇場のシアターイーストとシアターウエストの両方を使って続けられてきた「生き残った子孫たちへ 戦争六篇」の最終作品であり、かつ唯一の新作。
この公演は[日本の戦争]に焦点を当て、過去にチョコレートケーキが発表してきた5作品に新作1篇を加えての6作品を一挙上演しようというもので、当然ながら全て観たかったのだが、いろいろと多忙のために、他の5作品は観たことがあるからと涙をのんで、結局は「ガマ」の、しかも千穐楽しか観れないということに。

1945年の5月、首里から少し離れたガマ(自然洞窟)に女子学徒隊の少女と、生徒を鉄血勤皇隊に送り出した中学教師、米軍から逃れる際に崖から落ちて左足を骨折した少尉がやってくる。そこに2名の兵士(上等兵と二等兵だと言っていたが、実は中野学校出身の上官から護郷隊の少年たちへのゲリラ戦の指導のために北に向かう軍曹と伍長)とその案内人の老人が加わる。

男たちの会話には端々に日本が沖縄を見捨てたという事実が滲み出る(事実、現地の第32軍司令部は当時想定されていた本土決戦に向けた時間稼ぎの「捨石作戦」だった)。それに対して、沖縄は日本であり、天皇陛下のために立派な日本人として立派に死にたいと悲愴な決意の少女が、その思いが熱烈なだけに哀れだ。それぞれの思惑を持った5人の男たちは、やがてこの少女だけは生き延びさせねばならないと思い始める…この戦争の意味そして沖縄戦の意味を自ら考えその答を見つけさせるために。

ガマの中という設定だけに2時間超の舞台が暗い中で展開し、濃密な空気が支配する。

ラストは、年齢は異なるものの、あの白旗の少女(およびベトナム戦争で爆撃を受けて裸で逃げる9歳の少女の写真「戦争の恐怖」)を思わせる。

沖縄に上陸した米軍が、こうしたガマを片端から火炎放射器で焼き払ったというのは有名な話だが、考えてみるとなんと残虐な方法なのだろう。

笑顔の砦

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笑顔の砦

庭劇団ペニノ

実演鑑賞

この作品は2019年にKAAT神奈川芸術劇場で観ているが、昨年の海外公演を経て、今回が国内最終公演だという。最終公演となるのは、2015年初演の岸田國士賞受賞作品「地獄谷温泉 無明ノ宿」(私は17年の冬にやはりKAATで観て打ちのめされた)が18年のフランス公演の後に老朽化したセットを焼却して封印されたのと同じく、セットの老朽化が理由らしい。

全自由席だが、最前列のセンターに座ることができ、実に幸運。

開演前は舞台前面に黒幕が下りているが、そこには北斎の「神奈川沖浪裏」のような波が描かれ、入場時から客席にはかもめの鳴き声が流されている。

きっつい仕事をした後は、たらふく食って呑み、笑って寝るというそれなりに充実した生活を送っている漁師たちが住み込む壁の薄い平屋の小汚いアパートの隣室に、ほぼ寝たきりで認知症の老婆を介護する家族が引っ越してくる。生活の時間帯も異なり、接点がある訳でもなかったこの2つの部屋の日常がやがて…。

藤田家が隣室に越してきたのは、海の傍で暮らしたいと言う85歳の母・瀧子の最後になるであろう望みを叶えるためだったのだが、孫のさくらは専門学校に通う傍らバイトも忙しく、瀧子の世話も投げやりで面倒さを隠そうともしない。

何らかの大きい事件が起こる訳でもないが、役になりきった役者陣の的確な演技も含めて、対照的な2つの部屋の生活がこれ以上はない人間ドラマとして迫ってくる。
庭から盗み見た介護の実態が船長・蘆田剛史の中に染み入っていく場面が胸を打つ。
介護する55歳の息子・勉の姿は同年代で同じ経験をした私にとって他人事ではない。

冒頭の漁師たちの朝食のシーンで、缶ビールのプルタブを引くとプシュッと飛沫が飛ぶなど、細かい点が実にリアルだ。
室内の場面ばかりなのに、舞台外から照明を当てているとも思えない場面も多く、どうやっているのだろうと不思議だったのだが…。

終演後は作・演出のタニノクロウ氏の案内によるバックステージツアー(今回が最終公演ということもあって企画されたのだろうが、要予約)で、私が劇団桟敷童子のものと並んでスゴイと感じているペニノならではの知恵が詰まった舞台美術をじっくり目に焼き付けたのだった。
※吉祥寺シアターの舞台にはセットが入りきらず、両側(押入やトイレの扉の内側となる部分)を切断したとのことだった。缶ビールの開栓時の飛沫はビール空缶の内側に高炭酸の缶を入れていたのだという。

欲望という名の電車

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欲望という名の電車

文学座

実演鑑賞

いうまでもなくテネシー・ウィリアムズの代表作のひとつだが、この作品を日本で最初に上演したのが文学座でありヒロインのブランチ役は同座の杉村春子の当たり役ともなった。
後年高齢となった杉村自身を始め、文学座の多くの関係者が「ブランチ役を杉村から太地喜和子にバトンタッチしたい」と熱望していたというが、その矢先太地が事故死したというエピソードも残っている。
映画版のスタンリー役は舞台で演じていたマーロン・ブランドが起用されたが、これが彼の映画デビュー作になり、妹・ステラ役も映画では同じく舞台初演時のキム・ハンターが演じたのだが、彼女は後年オリジナル版の「猿の惑星」シリーズのチンパンジー・ジーラ役の方が有名になってしまった。

閑話休題。今回は2019年に「ガラスの動物園」を新訳した小田島恒志と演出を担当した高橋正徳が新キャスト・スタッフとともに創造した新たな「欲望という名の電車」だ。

ブランチ役の山本郁子も良かったが、何と言ってもステラ役の渋谷はるかが素晴らしかった。

サド侯爵夫人

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サド侯爵夫人

遊戯空間

実演鑑賞

三島由紀夫の「サド侯爵夫人」を本格的な能舞台で上演しようという意欲的な公演。しかもタイトルロールのサド侯爵夫人・ルネを演じる男優は能面(小面)をつけての演技だ。

上演時間は途中10分の休憩を2回含んで3時間半という長尺。

正面の白洲梯子前に着席。この階(きざはし)には緋毛氈が掛けられ、赤い花をつけた薔薇が枝を張ったように置かれている。この薔薇は柱や橋懸の欄干にも巻き付けられており、また切戸口の手前(上手奥)に二十五弦筝が置かれ、脇正面側の上部バルコニーにスポットライトが設置されているのが本格的な能との違いか。

各幕の冒頭と最後に黒い着物の多田彩子が切戸口から登場し、二十五弦筝を奏でるのだが、その調べが舞台に一層の緊張感を与え、見事である。それに際立って美人だ。当日パンフによれば多田は某都立高校の非常勤講師も勤めているというが、さぞかし人気があるだろうな(笑)。

登場人物は6人だが、全員が白一色の衣装。家政婦のシャルロット以外は幕口の揚幕があがり橋懸を通って舞台に進み出る。能舞台であるから全員がドレスの下に白足袋を履いており、足の運びは能の様式に沿ったすり足である。
台詞も能舞台では鏡板や床が反響板として働くために、通常の小劇場以上にビンビンと伝わってくる。

ルネ役の篠本賢一を含め全員が故観世榮夫の門下もしくは関わりがある俳優だということだが、それぞれがしっかりした演技力を持つだけに、長時間の舞台でも緊張感が途切れることがない。

観応えのある舞台だった。

獄中蛮歌

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獄中蛮歌

生きることから逃げないために、あの日僕らは逃げ出した

実演鑑賞

このライブハウスに来るのは初めて、というかそもそもライブハウスに行くこと自体がほとんどない。
“生きることから逃げないために、あの日僕らは逃げ出した”(生き逃げ)という長い名の団体、「生き逃げ」と略すようだが、もはや正式劇団名は思い出せない「熱ら。」(主宰は夢麻呂といったっけか)みたいだ。第5回公演とのことだったが、中に入ると客のほとんどは若い女性。私も含めてちらほらと浮いて見える高齢者の男はCoRichのチケプレで来場したものか。場違いさを覚えながらも、下手側前方に座って開演を待つ。

演劇とハード・ロックライブの中間ともいえる内容だったが、この種のステージでこれほど大きな満足感と感動を覚えたのは初めて。

白塗りの上にメイクをした顔に横縞の囚人服姿の30代と思しき7人の男たち(他にバンド3人)によって繰り広げられるのだが、ステージに賭ける真剣さと意気込み、熱量の強さが並大抵のものではない。
「脱獄するためにはしっかりと手を握り合い、前を向いて進んでいこう」ということが何度も繰り返されるのだが、やがてこの脱獄というのが物理的ないわゆる監獄からの脱走ではなく、自分自身で作り上げ自身を閉じ込めている(心理的な)監獄だということもわかってくる。テーマ性もしっかりと打ち出しているのだ。

佐世保出身の私には駆逐艦・時雨(「呉の雪風、佐世保の時雨」と賞された駆逐艦だったが、現在は2つに分断された状態でマレー半島沖に沈んだまま)のモノローグと続く戦闘シーンでは、(声を大にして「戦争反対!」と叫ぶよりもはるかに強く)戦争の悲しさ・虚しさが胸に響いた。

「カレル・チャペック〜水の足音〜」

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「カレル・チャペック〜水の足音〜」

劇団印象-indian elephant-

実演鑑賞

中国によるチベットやウイグルでの弾圧や香港や台湾に対する姿勢が舞台上の物語に重なってくる。
国語の重要性を再認識させる内容だった。

畳屋のあけび

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畳屋のあけび

CROWNS

実演鑑賞

おぼんろの末原拓馬が出演しているので観たのだが、予想外に素晴らしい作品だった。

ピアフ【4月9日公演中止】

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ピアフ【4月9日公演中止】

東宝

実演鑑賞

前回この作品を観た時(2018年11月)は、最後列のそのまた後ろの壁際に1列並べられたパイプ椅子であったので、舞台を充分に味わうといった感じとはほど遠く、ただ大竹しのぶの歌声を堪能したといった感じだったのだが、今回は7列目下手側とまずまずの位置。

上演時間は途中休憩25分を含んで2時間55分。

圧倒された-端的に言えばその一言につきる。

総評

2022年の観劇本数はちょうど240本。コロナ禍の中で、現在もなお公演中止や延期が相次いでいるが、個人的には観劇数は3年ぶりに200本を超えた。
密度の濃い舞台も次第に戻ってきたが、内容的にスカスカの、ただ上演することだけが目的と思える公演も多かった。
一日も早く演劇に関わる人々が演劇に注力できる日々が戻ってほしい。

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