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カナリヤ【追加公演決定!3日19時】

カナリヤ【追加公演決定!3日19時】

日本のラジオ

新宿眼科画廊(東京都)

2015/05/29 (金) ~ 2015/06/03 (水)公演終了

満足度★★★★★

日本のラジオ『カナリヤ』感想
開かれた監獄。
眼科画廊の地下。狭い空間に、味気無い壁。ここは監獄であり、観客である私たちは傍聴席にいる裁判ウォッチャーなのだ。

白の装束を纏った新興宗教団体の面々は、某大事件を起こした彼らを想起させる。しかし、白装束に身を包む彼らは、この空間に於いては至極真っ当な人々として描写され、逆に、カラフルな衣装を纏う、外の(普段私たちが属している)世界からの来訪者は異様な趣きを以って描かれる。作中の言葉を借りるならば、外の世界の住人は魂の次元が低いのである。

ここで、観客は決断を迫られる。すなわち、白装束の彼らの価値観に従って事の成り行きを見つめるのか、或いは色のある私たちの世界の価値観を持ち続けるのか。



以下ネタバレBOXに記入。

ネタバレBOX

しかしその決断を待つ事なく物語は進行し、怪しい空気がそこかしこに飛び交う。そのまま食べると毒になる、蒟蒻芋のお土産から始まって、ハムスター何号が薬の分量を間違えた為に死んだだの、明らかに不審な小包を運ぶヤクザ者だの、父親を惨殺して少年院に入っていた女だの、引っかかりを覚えずにはいられないエピソードが次々に挿入されていくが、彼らはそれらの物騒な言動を極々自然に、何事もないかの様に流して日常を進めて行く。

(この辺りは出演者の演技でそのリアリティを作る所であって、色付きから白装束へ移行する言わば観客と舞台内を繋ぐ重要なパイプ役を担っていた女性が、出て最初の台詞でえーっと思わせる様な、まあ物凄い下手な演技で終始した為に極めて危うい部分であったのだが、その分教団幹部を演じた奥村宅さんの名演によって何とか救われて整合性を保てていた。)


これらの怪しげなエピソードは、彼らの視点に立って見守る事に決めた人にとっては聞き流せる出来事かも知れない(何故なら彼らの価値観に於いては何らおかしい事ではないから)が、そうではない人、又、彼らの視点に立とうと決めたものの私の様な凡俗な人々にとっては、違和感というか、モヤモヤというか、何だか不安な気持ちがどんどんと積まれていく。
結果、目の前で繰り広げられる怪しげな出来事に対してのカタストロフィが激しく待ち望まれる事となる。早く救ってくれ。早く真実を教えてくれ。そのえも言われぬ不安感の中で私たちは、救済を求める白装束の集団と知らず知らず同化していく。高まる終末への期待が最高潮に達し、傍聴席に居たはずの私たちが、宗教という監獄の中に囚われているはずの白装束の彼らと心を通わせた、ここぞ!という瞬間、そんな気持ち見透かしたかの様にカタストロフィは回避される。そして残された虚無の中誦される教団歌の不穏な響きによって、舞台は幕引きとなる。
その唐突な終幕に、納まり所のない気持ちのままで、強制的に私たちの世界への帰還は命じられる。

しかし、劇場を出て、見慣れた私たちの街を見た時、先程の開かれた監獄が私たちに問うていた事柄に気づくのである。
檻の中にいるのはどちらなのだ?世界の毒を試す為に、生贄に捧げられるカナリヤは、どちらなのだと。

アダムの肋骨

アダムの肋骨

劇団肋骨蜜柑同好会

王子小劇場(東京都)

2015/04/01 (水) ~ 2015/04/05 (日)公演終了

アダムの肋骨
フジタタイセイの肋骨から生み出された13体の土の塊。アダムの肋骨から作られた少し出来の悪い13人のイブは、蛇に騙されたのと同じ様にアダムであるフジタタイセイに騙される。皆、愛して欲しい、分かって欲しいと言うけれど、全てが嘘っぱちで、用意されたテクストを恐ろしい程の薄さと浅さで只々反復するだけである。
これが俳優の自発なら、こんなに酷い事はない。これが演出の仕業なら、こんなに酷い事もない。どちらが正解でも、彼らは皆フジタタイセイの手の中で踊らされているただの土塊でしかない。
『伝えたい事があるけど、それを伝えるには中身がないと』と彼は言う。13人はその中身を埋める為だけに集められた生贄なのだ。与えられた状況で与えられた言葉を与えられた通りに発する為だけに、肋骨から作られた人形なのだ。アダムの肋骨とはフジタタイセイの一人芝居である。彼は神であり、アダムであり、ユダなのだ。脚本家であり、演出家であり、俳優である一人の人間、フジタタイセイの恐ろしい程の執念が詰まった大傑作である事に疑う余地はない。

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