満足度★★★★★
心を抉られるような
脚本と役者の方々の表現力の高さに、初めて見る劇団でしたが惚れました。
なによりも表情と叫び、嘆きの声色などひとつひとつが強い迫力と突き刺さるほどの鋭さを持っており、観客であるはずの私がすっかり物語の中に取り込まれてしまいました。
それはやはり私自身に、そしておそらく役者の方々にも、登場人物の誰かと同じ境遇に立つことがあったからなのでしょうか。
観劇中は自分の記憶を掘り起こされ続けているように感じました。
私の中には、9人全員が混在していたように思えます。
ネタバレBOX
子どもはなぜこの世に生まれてきたかの意味もわからないままに、人であることを、人の中で生きることを強いられます。
全ての人間がそうなのです。
なぜ自分がそこにいるのか、なぜそこで回り続けなければならないのか。
そう問い続けている人は多いのではないでしょうか。
特に若い者ならば、なおさら。
綺麗に回っているように見える星たちも、その横を少しの間だけ回るように通り過ぎる星も、その意味など知らなかったでしょうね。
そんな不安定な自分が、目に見えるような確固とした繋がりでなくとも他者と共存できるということに安心し、自分を強く保てるようになる。
共感できます。
そしてその輪に入りきれなかった「きみ」の焦燥感と、輪を崩してしまった哀しみにも。
私は悪くない。私は悪かった。
「かいこ」と「てんこ」の掛け合いはこうだったでしょうか。
誰が悪かったのか。
しかしそこに答えは出せないのではないかと思います。
誰もが何もわからないままに生き、自分という生き物を作り出し、自分の居場所ができたならばそれを守らなければならなかったのですから。
誰も、自分がどうすればいいのかなど簡単に答えを出せるわけがないのですから。
じゃあ、誰も悪くないのだろうか……。
『でも「私たち」はどうだったんだろうね』
劇中放たれたこの言葉が、強烈で重要な問題意識を持っているように感じます。
彗星は太陽の輪の中には入れなくとも、光り輝きますよね。
「きみ」にも光り輝いて人の目をひきつけるような生き方をさせてあげたかったです。
劇場に張り付いた無数のカセットテープ全てが「きみ」が長い年月の中で抱えていたものだったならば、それら全てを聞いてあげたかったなと思います。
「そこに私はいなかったよね」は「そこに私はいないほうが良かったよね」と自身を責める「きみ」の気持ちなのでしょうか……これは行き過ぎた深読みになるかと思いますが、読み返す度に涙が出そうになります。
私は感情を引き込まれすぎたために、他の方のように客観的な観劇評価ができずこのような感想になってしまいました。
理解しやすいストーリーの流れでした。
「きぼし」の「せが」に対する感情は人によって受け取りきれないことがあるかもしれませんが、それは脚本演出の方があえて入れてみた葛藤の部分なのかなと思います。
壊したくない関係、いつかなくなってしまうだろうという不安は、とてもよく伝わりました。
脚本演出の方へ。
今後の作品だけでなく、過去の作品も遡って見たいです。
ありがとうございました。