この手でふれた揺れ
空間がとてもくつろげるようにつくられかつ劇場の外に対して開かれていたことに好感がもてる。美術も可愛らしかった。ただ照明がやや明るすぎかつ単調すぎて演者の表情がみづらかったり情景の訴えかける力が弱くなっていたように思う。
ネタバレBOX
前回の『SとNの香り』を観たときにも思ったがあのとき以上にエロティックであった。特に花に埋もれる夢の話が。母親(と彼女との関係性において男)にもうちょっと前に出てきてほしかったかも。終盤、男が娘に夜うるさくなかった?と訊いたのは、母親と口論していたのか、セックスしていたのか……。カステラ食べたい。
満足度★★★★★
誰もが前を向いている
何を書いてもネタバレになるのでネタバレBOXに書く。
ネタバレBOX
僕たちは互いに互いを騙し合って傷つけあって生きているし、何よりも自分を騙して傷つけていて、そんなぐちゃぐちゃな傷だらけの(もちろん一度ついた傷は消えることはない、忘れることはできても)状態のもとで自らの正しさを声高に叫んでみても残響に怯えるだけで、それでも自分が前だと思う方を向いて歩いていくしかないのだろう。
序盤、不快なほどのノイズに包まれ、それでも言葉が通じないさまは喜劇的ですらあった。それが進行とともに沈静化しイメージがひとつに収斂し一定の距離を保つようになる(したがって表面上リアリスティックなものになる)のは、ついには天井底が自分だけで世界を完結させてしまうことへの伏線だったのだろうか。
岡田太郎の音楽はどことなくNirvanaに似ていた。演者のひとりとして舞台に立ち(そう、彼がいるところはもはや舞台の一部である)、空気の流れを自在に変容させる魔術師のような姿に圧倒される。
各辺の長さが不揃いな三角形のシンプルな舞台はスムーズに距離感を狂わせてくれた。
俳優に見えているものは観客にも見える――山崎彬は昨年末の谷賢一、岡田あがさとの共同作業の折にそう語ったという。僕にはたしかに天井底や免罪符揺が見ているものが見えた。それだけに慮公平や美里多里綺麗が何を見ているのかもっと知りたかった。
戦泰平の情けなさ、やるせなさは身につまされるものがあり観ていて辛かったが、そのために彼が良い「入口」になっていた。
最後、「四十六歳」は蛇足だと感じた。というのも、あのシーンを見たために僕には時間の先にある死が救いに見えたのである。しかし天上底はそういう意味で救われてはいけないと思う。
次回公演も行きたい。