ハルナナイロのもらったコメント

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末原拓馬 末原拓馬 ご来場ありがとうございました! コメントありがとうございます。ブログまで、読ませていただきました。 がんばります。うれしいんです、がんばれと言われるの。 必死でやります。 このスタイルについて書いていただけて、とてもうれしく思いました。なにせ、どんなに戦略を立てようとも、参加者と一緒に物語れる本番中にしか、実際のところはわからないところが多々あるのが当然の事実なのです。ましてや、演出家本人が語り手として物語世界にいるため、参加者の意見と言うものに、ものすごく重要な意味合いを感じています。 いかがでしたでしょうか。 おっしゃるとおり、試行錯誤の日々です。もともとは僕が路上で一人芝居をやっていた経験をもとに、いまのようなスタイルがやんわりとできてきました。大道芸と言うのはそもそもが、観客とのコミュニケーションの上に成り立つものでもありますし。その頃もいまのような化粧や衣装で行っていたのですが、大前提、僕はスエハラタクマとしてそこに立っていますし、始まる前には、「このお菓子食べ終わるまでは、ここにいて。あなたがサクラ役になってくれたら、他の人もよってくるんだから!」などと会話をしてから、始めるわけです。もちろん、路上にあるのは、街だけ。語りと身体表現だけで、物語を成立させねばなりません。 この体験は、とても大切なものだったようにおもいます。それまでは、とにかくお金を懸ければいいものが創れて、逆もまた然り、そんな思いに、どことなく縛られていました。いっぽうで、そういう資本的なものが問題になってくるのであれば、すでに売れている劇団には、いかんともしがたく劣るのであり、他に劣っていると自覚しながら表現をするなんて、いったい、なんだそれ。 そういうジレンマがありました。他現場に入り、流れるお金の勢いを目の当たりにして腰を抜かすこともたびたびでした。 では自分が観客ならばどうか?というところなのですが、そもそもが貧乏性なのがわるいのか、振り切ってしまって、もはや高級なものを見ても感動できない、というところがあるのも事実でした。絢爛豪華なセットを観ても、やはりハリウッドの3Dのほうが迫力があるように感じてしまい、ましてや、「豆粒」な距離でどんなに叫ばれようとも、傍観者でしかいられない。 その、芸術的な価値は重々理解でいるいっぽうで、それらによって、自分の感性や人生が変わってしまうことは、もしかしてないのではにのだろうか、そう感じたのでした。 (もちろん、一概にそんなことはないのですが) 記憶。 いま、生まれてきてからの記憶を検索してみて、思い出せるもの、それは、観た映画や舞台ではなく、僕にとっては、家族であったい、友人であったりとともに、体験したものごとであったりします。そう、体験です。 この、体験と言うラインにこそ、僕は光明を観ています。 映画、テレビ、音楽、ゲーム。 本当に、おもしろく派手なものは無限にあふれてしまっている。では、心は豊かになったか?というのはよく話されることで、どうも、いろいろな感覚が鈍麻しているなあ、と自ら思うのです。 長々とかいてしまいましたが、 これからも、より体験として根強く感じていただけるよな物語りを繰り返していくことがでいたらと思います。もしよろしければ、一緒に考えていただけたらと思うのです。このスタイルは、全員のものだと思っています。 またお会いできるときには、さらに濃密な物語りをしましょう。 その日を楽しみに。 感謝のうちに。 キンキラキンのラブをあなたに。 たくま
2011/10/25 11:05
末原拓馬 末原拓馬 コメントありがとうございます。 久しぶりのお芝居鑑賞! でしたらば、その公演としてこの演目をお選びになられたハルナナイロさんの嗅覚は素晴らしいとしかいいようがございません。 今回のこの『狼少年二星屑ヲ』という演目、有史上あまたある数多くの演劇作品の中でも、とりわけ、“久しぶりのお芝居鑑賞にうってつけ”な演目として知れ渡っているのです。 心を込めて作品をご用意させていただく心づもりです。 もしよろしければ、大切な方とご覧になっていただくのも素敵かもしれません。 ハルナナイロさん、素敵なお名前ですね。 秋口の公演にはなりますが、七色の景色をお見せできるよう、 魂を研ぎ澄ましてお待ちしております。 お会いできることを楽しみにしております。 キンキラキンのラブをあなたに。 たくま
2011/09/22 23:05

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