団体
サラヴァ東京
サラヴァトウキョウ
(東京都)
所在地 | 〒1500046 東京都渋谷区松濤 |
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カテゴリ | 演劇、舞踊・バレエ、その他 |
公式サイトURL | http://l-amusee.com/saravah/ |
設立 | - |
受賞歴 | |
メンバー | |
活動紹介 | サラヴァ東京はフランスのインディレーベルSARAVAHの日本における拠点として2011年の2月19日にオープンしました。 ヨーロッパ最古(たぶん世界で)のインディレーベル、SARAVAHは1966年にピエール・バルーがはじめました。14歳の時から放浪し、歌を作り歌ってきた吟遊詩人であるバルーは「30歳までは何もしない」という不思議な誓いを立てていました。「30歳までは何もしないが30歳になったらすべてがうまくいく」と、何の根拠もなく漠然と思っていたのでした。 はたして30歳になったとき、まず演劇の「ガラスの動物園」のジム役に抜擢され、見に来ていた映画のプロデューサーにスカウトされ、映画の俳優になり、音楽でもAZからシングル盤数枚とアルバムが出され期待の大型新人として毎週ラジオ番組で90分番組を持つなど、一気にフランスで認められるようになりました。そのころ友人たちと自主制作した映画「男と女」がカンヌ映画祭でグランプリをもらうことによって彼の音楽と名前は世界的に知られるようになりました。一躍スターになったバルーですが、根っからの反骨と、自由な放浪の精神のままにハリウッドから去り、ヒットした自作の歌から生み出された著作権を使い、自分の好きな音楽を世に出す仕事をはじめます。 SARAVAHは「才能の実験室」「ジャンルを超えた発見の場」などと言われ、当時無名だったブリジット・フォンテーヌ、ジャック・イジュラン、ナナ・バスコンセロスなどのアーチストのプロデュースをしてきました。私が参加したのは1983年からですが、毎日、サラヴァの事務所には世界中からアーチストやミュージシャンがカセットテープやギターを持って訪ねて来ましたし、我々は毎晩のように、小さいバーや、ライブハウスでダイヤの原石を探すべく、無名の人たちの演奏を聞きに行きました。そのうちの何人かが世に出る手伝いをしてきました。 彼らの音楽は荒削りで不器用ですが、可能性を感じさせるパワーにはドキドキしたものです。そのパワーこそがいわゆる才能の芽、失敗を恐れない雄々しい勇気でもあったように思います。そんな長年の経験でわかったことは、ときめく、というファクターはとても大切で、そこに完璧さは必要ではない、ということです。 大きなホールでは完成度の高いステージが要求されます。でも小さいところでは冒険しても楽しんでもいいのです。そういう場所で観客は呼応しつつ、自分たちも創造に参加する醍醐味に胸を熱くし、アーチストはそれを養分に成長してゆきます。 そして音楽だけでなく、いろいろな表現をする人たちが発表できて、年齢も、出身国も様々な人たちが、食べ物を楽しみや酒を酌み交わしながら語り合える「オシャレじゃない」サロン、詩の朗読もあれば、芝居も、ダンスも、お笑いも、ジャムセッションもあるような・・・そんな場所が東京にもないものか? 日本の音楽や若者のアートは実にユニークで力強いものがある。アーチストという職業がかなり管理されサラリーマン化されたフランスに比べ、日本はまだ、破天荒な要素が残っているのです。 もちろん、良い場所はいくつかありました、戸川昌子さん率いる「青い部屋」や中央線沿線に点在する、小さいライブハウス。でもサラヴァ的な、自分たちの店を持ちたい。という気持ちがバルーと私の中にずっとありました。 2010年の夏に、渋谷にクロスロードビルを発見しました。まさに、文化の薫り高い松濤と古い色街、円山町、駅まで続く喧噪の商店街とを橋渡しする場所にあり、私の提案したい「人の個性や才能をクロスしたい」という趣旨にぴったりの場所でした。 ここに、サラヴァのスピリットを引き継ぐ文化発信の基地を作りました。ライブハウスだけでも何十軒とある街ですが、自分たちのカラーが出るように努めています。スタッフは店長はじめ全員がミュージシャン、俳優、コメディアン、ダンサーなどパフォーマーです。舞台がふと途切れるときにはスタッフが舞台に駆け上がります。またライブの後にも出演者やお客さんで語り飲み明けせるように毎晩2時まで店を開けています。 ライブパフォーマンスのみならず、本の出版、CD制作、結婚式や誕生日のオリジナルな演出。サラヴァで出会った素晴らしいアーチストたちと遠征(出前サラヴァ)もいたします。我々は楽しみながら文化の発信をしていきます。 サラヴァ東京店主 アツコ・バルー |
問い合わせ先 | contact@saravah.jp |