団体
劇団たんぽぽ
ゲキダンタンポポ
(静岡県)
所在地 | 〒4350015 静岡県浜松市子安町 |
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カテゴリ | 演劇 |
公式サイトURL | http://www.gekidan-tanpopo.com |
設立 | - |
受賞歴 | |
メンバー | |
活動紹介 | 1901年、小百合葉子は、静岡県の浜松市滝沢町(たきさわちょう)で生まれました。そのころは、山下みえという名前でした。 小学校を卒業すると、みえは西遠女子学園に入りました。ある日、先生に連れられて、みんなで日本ではじめての子どもの見る劇、おとぎげきを見に行きました。それは『桃太郎』のげきで、わかりやすくておもしろいお芝居に、みえは夢中になりました。 子ども達といつもいっしょにいる小学校の先生になりたいと思ったみえは、いっしょうけんめい勉強して試験を受けました。試験はよくできたはずなのに、合格の知らせが来ません。みえのお父さんとお母さんが結婚の届けを役所に出していなかったからなのでした。みえのお父さんは長男で、お母さんは長女で、2人とも古い家のあととりだったので、その頃の法律では、届けを出せなかったのです。 みえは、がっかりしてごはんものどを通らなくなりました。とうとう病気になって入院し、病院の窓からぼんやり外をながめてばかりいました。ある日、病院の庭の通り道に、たんぽぽの花が咲いているのをみつけました。たんぽぽの花は、いそがしい病院の人達が知らずに踏みつけたりしているのに、次の日の朝には、もう、しゃんとして元気に咲いていました。そんな強くてたくましい たんぽぽの花を見て、先生にはなれなかったけど、自分には他にも好きなことがあった、子どもの見る劇(げき)をやる俳優(はい ゆう)に なろうと思いました。みえは、ぐんぐん元気になりました。 そして、東京に行き、働きながらお芝居の勉強をしました。坪内逍遥という劇と文学の先生に弟子入りし、お芝居の仕事をする時には小百合葉子という名前を名乗ることになりました。 小百合葉子は若い俳優でしたが、おばあさんの役をたくさんやって活躍しました。舞台の他に映画やラジオのも出て、自分の劇団もつくりました。 ところが、戦争が始まって、東京には食べ物がなくなり、いつ爆弾が落ちてくるかわからないので長野県へ引っ越しました。そこで学校や工場で人形劇をやったり教えたりしました。 戦争が終わり、大きな町は焼け野原になり、食べ物もなく、やせた子どもたちが日本中におおぜいいました。子どもたちの元気な笑顔が見たいと思った小百合葉子は、劇団を子どものための劇団に変えて、「劇団たんぽぽ」と名付けました。 はじめての公演は『そら豆の煮えるまで』という劇でした。子ども達は夢中になって、お芝居の世界にひたりきっていました。 それから葉子達は、リュックサックに衣装(いしょう)や道具をつめて、かついで歩き、子ども達の所へ行って劇を見せました。 その後、たんぽぽは長野県から小百合葉子のふるさと、静岡県浜松市に移りました。旅も歩きからオ-ト3輪に変わりました。 劇を始める前に、小百合葉子は子どもたちに話しました。 「ふまれても雨にたたかれても、土にしっかり根をはり、きれいな花を咲かせるたんぽぽが大好きです。」 それからさらに、トラック・マイクロバスでの旅に変わり、北海道から沖縄まで、日本全国の子ども達に劇を見てもらえるようになりました。 そして、1986年、小百合葉子は84歳でこの世を去りました。「子どもたちに夢を」をつらぬいた生涯(しょうがい)でした。 |
問い合わせ先 | tanpopo@gekidan‐tanpopo.com |