団体
44 Produce Unit
ヨシプロデュースユニット
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所在地 | 〒 |
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カテゴリ | 演劇 |
公式サイトURL | http://www.44good.com/index.html |
設立 | - |
受賞歴 | |
メンバー | 44北川 |
活動紹介 | 加藤健一事務所俳優養成教室・桜組出身の44北川(よし きたがわ)が主宰する演劇ユニット。もともとは定期的な舞台公演をする団体に所属していない故、自らで公演を企画・立案しなければ舞台に立てないというシチュエーションからの結成ではあったが、現在はお金を頂いて芝居を打つ「プロ」として、世の中に五万とある娯楽の中からわざわざ"お芝居"を選んで足を運んでいただいた人達に満足して帰ってもらう為に、エンターテイメント性の高い舞台製作を目指し始めている。 第1回公演では、「お客様本位」の芝居作りを推進して活躍中の元劇団SET・小野真一氏を作/演出に招き、大塚・ジェルスホールにて『チョロチョロ』を上演。居酒屋の店長と常連のお客さんとの日常を切り取ったアット・ホームな人情喜劇の舞台となった。プロデューサーを兼任している44北川は、芝居製作に必要な資金は最終的には集客数に頼らざるをえない、という見解から、「個人的に100人以上お客さんを呼べる役者」を中心にプロデュース。現段階では100人は無理だが、現状に甘んじない、アグレッシブな姿勢を持っている役者にも積極的にアプローチし、お互い切磋琢磨しあい、無名の役者でも公演を成功させることができるんだ、という各自の将来的な自信につなげる公演を目指す。結果、700人近い動員があり、キャスト全員にギャラも出た公演となった。 第2回公演では、44北川が『清水宏のサタデーナイトライブ』の舞台監督をしている時に知り合った映画監督、じんのひろあき氏(氏は同ライブの構成を担当)に作・構成・演出を依頼。中野ウエストエンド・スタジオにおいて『自由を我らに』を上演。終戦直後、GHQに集められた言葉を仕事にしている人達が「憲法草案」について卓上で会議をする、という一幕・会話劇で、二回目の公演にもかかわらず、動員が1000人を突破、その二ヶ月後にこの『自由を我らに』の再演(第3回公演)と、じんの氏の新作『努力しないで出世する方法』(第4回公演)を中野・スタジオあくとれで2作連続上演。二つの芝居で同じ役者が全く違ったキャラで、というコンセプトで挑む。キャパ70人という小劇場での2週間、18ステージというロングラン公演で、それでも前回を上回る1338人の動員があった。『努力しないで出世する方法』は、狭い稽古場に全く演劇形態の異なる仲の悪い二つの劇団(キャラメルボックスと惑星ピスタチオ)が鉢合わせし、互いに牽制しあいながらも、最終的には一本の舞台を作っていく、というサクセス・痛快ストーリー。 結成から11ヶ月という短期間で芝居を打つことができた小劇場の老舗、下北沢ザ・スズナリでは第5回公演『宝島』を上演(作・構成・演出 じんのひろあき)。「15青年漂流記」的な、一場・つか調の登場人物紹介、二場・パワーマイム調の海上遭難シーン、三場・無人島でのワン・シチュエーション会話劇と、それまでこのユニットで上演してきたテクニック、芝居形態を全てミックスした舞台となった。また、下北沢こども劇場の演劇鑑賞会から1ステージ買取り公演の話も頂き、終演後には会員の皆さんとキャストを交えての交流会も執り行われた。(動員1501人) 『BACK TO THE FUTURE Ⅰ・Ⅱ・Ⅲ』(第6回公演)は、ブロードウェイの様にそこに行けばいつでもお芝居が観ることができる、という環境を作ってみたかったので、1ヶ月のロングラン公演を敢行。知り合いの女子高演劇部の女の子が言った「私達に合った台本がない」という一言に端を 発し、「1作品1時間という高校生の演劇コンクールでも上演が可能な三本立て。どの作品から見てもストーリーが理解でき、しかも面白い」というコンセプトの下で作られたもので、なおかつクオリティが高く、エンタテイメント性あふれる作品に挑戦した舞台だった。「時間旅行会社の添乗員と旅行客がさまざまな時空を旅してまわる」芝居で、男性7人、女性8人、計15人の登場人物が現在・過去・未来をなんらかの形で関係・関連性を保ったままストーリーは展開していった。最終的に 41ステージ、2629人の動員があり、リピーターが増えたことも大きな特徴の一つだった。 そして3年ぶりの再始動の第7回公演として2001年12月にキャパ80人の中野 劇場MOMOで、その三週間後の2002年1月にはキャパ400人の下北沢 本多劇場にて第8回公演を上演。(『努力しないで出世する方法 2001/2002』)キャパシティも舞台上の広さも5倍違う空間で同じキャストが連続公演を敢行、44北川の個人的な『本多劇場の舞台に自力で立つ』という夢を達成できた 舞台でもあった。この夢の本多劇場にて『POWER DREAMER 2002』という若手アーティストの展示会も同時に開催。演劇とアートとのセッションを狙ったこの展示会、本多のロビーを勢いも野心も ある彼らの作品で埋め尽くし、お客様からは好評のアンケートを多数いただいた。 2002年6月には4年ぶりとなる下北沢 ザ・スズナリで青年座文芸部所属の藤井清美女史の作・演出による第9回公演『INDY ~I'm not dead yet~』(命の長さを決める遺伝子)を上演。日本TV・シナリオ登竜門優秀賞受賞作家による、平和な島で起こったたった一つの殺人事件を通して殺人と暴力の意味を問う書き下ろし作品、それまでのエンタメ作品とは趣を異にした44プロ初のシリアスな舞台にチャレンジ、新境地を開拓しアンケートでは「こんな舞台もできるのか」と驚かれた。 更に2003年4月、小劇場の老舗、聖域(サンキュチュアリ)とも言える新宿 紀伊國屋ホールで第10回公演『フツーの生活』を上演。「劇団・道学先生」の座付き作家、中島淳彦氏による「戦中戦後三部作」の第一弾として、「戦争中の普通、敗戦後の普通、何が普通かわからないけど今を普通と信じて生きていくより仕方のなかった人々の生活を描いたおかしくて切ない物語」を展開。紀伊國屋の客席に補助席が出るくらいに盛況のうちに幕を閉じた。 2004年12月、この『中島淳彦 戦中戦後三部作』の第二弾、『フツーの生活2』沖縄編を紀伊國屋サザンシアターにて。(44 Produce Unit第11回公演) 太平洋戦争中、唯一地上戦の行われた沖縄で米軍の上陸によってガマと呼ばれる自然洞窟に追い詰められた一般市民や兵隊達の地獄の ような日々を描き、若い戦争を知らない世代のお客様からたくさんの感想を送られる公演となった。 『中島淳彦 戦中戦後三部作』第三弾 完結/長崎編『フツーの生活3』を終戦後60周年の2005年8月に再び新宿・紀伊國屋ホールにて上演。千秋楽が長崎原爆投下の8月9日という日程であったため、カーテンコールではスタンディング・オベーションもいただき、キャスト・スタッフ・観客、この芝居に携わったすべての人達で戦没者の皆様に黙祷を捧げ、平和な世界を願いながら幕を閉じた。 世界各国で戦争が今だに起きており、現在の日本も巻き込まれている現状。戦争を回避する事はできないのか。自分達に何ができるのか。戦争って、なんだろう。生きるってなんだろう。 44 Produce Unit はこれからの舞台制作において、これらのことを模索しながら進んでいきたいのです。 『「生きている」ということを実感しながら生きていきたい』 登録されたURLが異常なようです。 |
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