ある家族に起こった大切な人の喪失というできごとを、登場人物達がどのように受け入れていくのかを描いた群像劇です。
また、物語の大きな特徴として、2015年の今を生きる登場人物達の日常の中に、現代の日本にはない「戦争」という非日常的な出来事を挿入しています。
どんなに悲しい出来事があっても、とまっていることはできない、否応なしに前へ前へと進まなければいけないその中で、それでも喪失の悲しみにあしぶみをする人々が、帰って来ない彼の「ただいま」を探す物語です。
今年は、戦後70年の節目の年になります。新聞やニュースの報道、通う大学の講義の中でも「戦争」が話題にのぼることは多く、戦争について自分自身も考える機会が増えました。その中で、幼いころに母方の祖父母から聞いた「戦争」の話を思い出しました。母は戦後に生まれたのですが、戦時中に生まれた母の兄弟(私の叔父や叔母)の育児に祖父がいない間、祖母は一人であたりました。祖母が言うには、戦争にいった祖父をただ待っている暇などなく、毎日の生活に追われていたら祖父は帰ってきたそうです。「あの頃は、バタバタしていていつ帰ってきたかなんて覚えていないよ」そんなことを言って、祖母は笑っていました。
大人になった今、改めてその祖母の言葉について考えたとき、進み続ける日常が少し恐くなりました。
もし祖母と同じ立場であったなら「ただ祖父の帰りを待ち続けていたい」と思っていたかもしれません。しかし、日常はそれを許さない。戦時下という非日常的な出来事のさなかでも、日常は前へ前へ進み続けることを強いてきます。
どんなに悲しいことがあっても、非常時であっても、止まることはできない。「あしぶみ」をすることは叶わなかったその状況に胸が締め付けられました。
そんなことを考えながら脚本を読み返すと、戦争にいって帰って来ない誠一という登場人物を想う彼の周囲の人々が、進み続ける日常に逆らって必死に彼を待つ様子にたまらなく胸が苦しくなりました。そして、私の中だけではとどめられないこの気持ちを、舞台という形を通してお客様と共有し、考え合いたいと思ったのです。
立ち止まりたくても止まれない、進まなければならない。祖母ほど大きな出来事ではありませんが、私もそんな出来事に直面することはあります。そして、きっとこの作品に触れるお客様にも。
普段は、それこそ日常に追われる中では考えることがない「進み続ける日常と立ち止まりたい思いの葛藤」について、この舞台を通し、ともに考えていきたい。それがこの舞台に込める思いです。
ゲキダンコックピット
(福岡県)





