満足度★★★★
悲しい話だけど いい芝居でした
最後、母親の選択がわがまますぎかな、と思いましたが
関西でONEOR8見れて良かった
高橋恵子さんが素人目にもすごかった。キレイなのはもちろん、存在感も
ゼブラの再演をお願いしたいです。あとDVDも
満足度★★★★★
必見
初演も素晴らしかった。再演も、やはり素晴らしかった。新たに気づくこともあった。前回は、母の綺麗さに目が奪われていた。今日は、「キレイ」になろうとした母に、「キレイ」にならずに済んでいるコトを願った。●高橋恵子さんの美しさにはウットリする。シュシュひとつで時間を飛び越えてしまう演出と技量に敬服する。●ずっと受け入れ態勢だった千夏が守ろうとした「キレイ」な母。30年の償いに「キレイ」になろうとした母。それが娘の願いだと思ってしまう母は「キレイ」ではない。二度も…いや最も傷付ける行為だと解らなかった母を詰ってやる時が二人に訪れますように。●東京千秋楽のカーテンコールでの高橋恵子さんの挨拶が素敵だった。感激している劇団の皆さんの表情がまた素敵だった。これからひと月、旅公演だそうな。最寄りの街で、是非とも目撃して欲しい。
満足度★★★
絆をめぐる人間模様
世田谷のシアタートラムで上演された、劇団ONEOR8の『そして母はキレイになった』東京公演千秋楽を観てきた。これは、女優の高橋恵子が珍しく小劇場系の舞台に主演で立つというので、彼女の生の舞台を観たかったので出掛けたわけであるが、結果的に期待が大きかっただけに出来が平凡だったような気がしてならない。
プログラムによると、本作誕生のきっかけは、京都・清水寺の住職(ママ)が前年のイメージを漢字一文字で表すという催しで、2011年のイメージを「絆」としたことだとか。今回のテーマは確かに、夫婦・親子・恋人同士の絆というものに触れている。
駆け落ち同然にある街に住み着き喫茶店を営む夫婦。女の子二人という子宝にも恵まれながらも、妻(本作の主人公)は好きな男ができ、夫と子供姉妹を残して男と消え去る。
やがて夫であった男も亡くなり、残された姉妹が喫茶店を引き継ぐのであったが、或る日母がひょっこり立ち寄り、連日通ってくるようになる。その母に冷たく対応する妹と、暖かく迎える姉。母は近所の人からずっと姉妹のことや喫茶店の情報を得たいたらしい。たとえ目の前から消え去っても、親子の絆は断ちきれなかった。では姉妹はどうか。実は冷たく当たる妹のほうが母を思い、姉の方が内心母を許していなかった。姉妹にとって、自分たちを裏切った母を許せるかどうか。これが絆の強さ弱さの問題と言えるのか。まして、亡くなった夫はどうだったろう。結局、母親は海に身を投げる。(舞台ではその後が語られないので母が助かったのか亡くなったのかは不明。まぁ、亡くなったというのが暗黙の了解ごとなのだろう)
最後まで妻の行動を自分への裏切りと受けとりたくなかった夫の行動や、姉妹の母への応対がこの舞台の鍵であり、戻ってきた母の子どもたちへの想いが彼女にとって子どもとの絆の深さ(一方的かもしれないが)を物語っている。舞台はその夫婦・親子の絆を軸に姉妹の恋愛にも触れていたり、隣家親子や常連の会社員たちの演技で笑えたりとかなりヴァラエティに富んだ仕上がり。
ただ、それが総じて舞台全体のテーマを散漫なものにしていたことも否定出来ない。笑いとちょっと間延びした演技の間のあり方の問題なのだろうと思う。
そして、その結果高橋恵子の演技も表面的なものに終わってしまった感があった。
それと、舞台内容とタイトルがどうも一致しないような気がしてならなかった。素直に『家族の絆』とでもした方が妥当だったろう。もしタイトル通り「母がキレイになった」なら、夫や子供を裏切った行動を肯定してしまうことになりかねないからだ。ラストで海に飛び込んで亡くなった結果、姉妹の記憶の中で母がキレイになったと解釈すれば、また話は別なのだが・・・・
まぁ、作家が本作に投影した絆のイメージが曖昧なものであった結果なのかもしれない。
なお、出演者各位はなかなかの熱演。作品の不備を少なからず薄めてくれた。
満足度★★★★
モラル
ある程度具体的に言えば、「人の倫理に反した親族をどこまで許せるのか」ですが、かなり抽象的に言えば「人とつぃての度量」なのでしょうか。
そして、その「度量」は言い換えれば「絆への依存度」とでもいえば良いでしょうか。
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暗黙的に、ただ単直に信じるか、そうしないか。
おそらくそれは過去の共有してきた時間と空間の量が左右するんでしょう。
言い換えれば、過去の共有量が多ければ、それが親族でなくても。
そしてそれをこの舞台では示唆しているのかと。