満足度★★★★
流されて、見る夢
ラストシーンは何だか泣けてきた。朴訥で、一歩一歩踏みしめて生きるような最後の場面に、希望が透けて見える。
生まれ落ちて、家族で助け合って生活し、老いていく。世の中に流されるようにして生きるしかない私たち。その流れに抗するすべもなく、受け入れて生きていく。自分の生きる分だけ稼ぎ、家族と共にいるという、本当にささやかな幸せを願っている。
猟師の言葉が印象的だ。
自分は獲物を殺すが、自分が食べるためだ。戦争は人を殺すが、お前は人を食べるのか。
電気が通り、家財道具が増え、便利になっていく。舞台はそれを真正面から否定はしないが、「身の程」を考えさせる。国土を拡大する、電気を使うために原発を作る。いつの間にか「身の程」はどんどん大きくなっていく。
老夫婦が、縄をなう。材料は子どもたちが「いらない」として捨てた服だ。「この縄を見ると、写真のアルバムのようにその時のことを思い出す」とおばあちゃんは言うのだ。
大量の物品に囲まれるアンチテーゼとして、断捨離などという。
この舞台では、そのいずれも、「身の程」とは違うのではないかとそっと伝えているようだ。
今日が東京公演最終日。カーテンコールで拍手が鳴り止まない中、倉本聰さんが姿を見せた。見てよかった、と思える舞台だった。