主宰挨拶
どういうわけかここの文章を書く時はなんらかの理由で急かされることになる。
公演を間近に控えた、或る一日の朝に書いている。
朝、目を覚ます為には幾つかの方法があって、
気が向くか向かないかは別として、何かを口にしてみるとか、
TVのスイッチを入れて、飛び込んでくる映像を見るとか(僕の場合は主にニュースを見る。
ワイドショーなら多くの場合それは逆効果になってしまうみたい)
そんなことをしてみる。
新聞を読んでみるのもその一つなのだけど、
いつも国際面ばかりは時間をかけて読んでしまう。
これは暫く前から気づいていたことなのだけど、
行ったこともない国の見たこともない人たちの出来事に
なぜ自分は興味を惹かれてしまうのだろう。
ある国では内紛が絶えないだとか、
ある国では水害で被害総額が幾らだとか、
またどこそこの国とその隣国との間では何らかの利権を争っているだとか、
そんな様々なこと。
客観的に考えればそれは茫洋な情報に過ぎないはずだ。
自分にとって。
それらを外郭的に捉え、自分の中で反芻する事は出来ても、
ことの本質に迫ることは困難だ。
世界においてアメリカがヘゲモニーを握っているという漠然とした感覚は
日本人特有のものなのだろう。
それは教育というものの内側に潜んでいるのかもしれない。
人はそう長く生きられるものではないから、歴史から情報を得るしかないとしても、
新しく産まれるまっさらな『人』に土俗が侵略していくのは避けて通れないものなのか。
外郭的に捉えることしかできない僕でも思うことはある。
もともと一つだった「考え方」がずっとずっと昔に二つに分かれ、
更に多岐に別れ、それによって傷つけあわなければならない
そんな現実なら、虚偽の教育・歴史なら、
いっそその国を捨てて隠棲したほうがマシだと思う。
もちろんそんなことを考える前に
銃の使い方を憶えなければならないのだろうけど。
それはあまりにも悲しい。
他人の出自にも託宣にも興味はない。
ただ、「考え方」というのは
「絶えることのない笑顔」に包摂されるものであってほしい。
今回のお話はそんな想いへのオマージュです。
どうぞ笑ってください。
本日はお忙しい中ご来場いただいたこと、誠に嬉しく思います。
どうもありがとうございます。
脚本 渋谷 真一朗
どういうわけかここの文章を書く時はなんらかの理由で急かされることになる。
公演を間近に控えた、或る一日の朝に書いている。
朝、目を覚ます為には幾つかの方法があって、
気が向くか向かないかは別として、何かを口にしてみるとか、
TVのスイッチを入れて、飛び込んでくる映像を見るとか(僕の場合は主にニュースを見る。
ワイドショーなら多くの場合それは逆効果になってしまうみたい)
そんなことをしてみる。
新聞を読んでみるのもその一つなのだけど、
いつも国際面ばかりは時間をかけて読んでしまう。
これは暫く前から気づいていたことなのだけど、
行ったこともない国の見たこともない人たちの出来事に
なぜ自分は興味を惹かれてしまうのだろう。
ある国では内紛が絶えないだとか、
ある国では水害で被害総額が幾らだとか、
またどこそこの国とその隣国との間では何らかの利権を争っているだとか、
そんな様々なこと。
客観的に考えればそれは茫洋な情報に過ぎないはずだ。
自分にとって。
それらを外郭的に捉え、自分の中で反芻する事は出来ても、
ことの本質に迫ることは困難だ。
世界においてアメリカがヘゲモニーを握っているという漠然とした感覚は
日本人特有のものなのだろう。
それは教育というものの内側に潜んでいるのかもしれない。
人はそう長く生きられるものではないから、歴史から情報を得るしかないとしても、
新しく産まれるまっさらな『人』に土俗が侵略していくのは避けて通れないものなのか。
外郭的に捉えることしかできない僕でも思うことはある。
もともと一つだった「考え方」がずっとずっと昔に二つに分かれ、
更に多岐に別れ、それによって傷つけあわなければならない
そんな現実なら、虚偽の教育・歴史なら、
いっそその国を捨てて隠棲したほうがマシだと思う。
もちろんそんなことを考える前に
銃の使い方を憶えなければならないのだろうけど。
それはあまりにも悲しい。
他人の出自にも託宣にも興味はない。
ただ、「考え方」というのは
「絶えることのない笑顔」に包摂されるものであってほしい。
今回のお話はそんな想いへのオマージュです。
どうぞ笑ってください。
本日はお忙しい中ご来場いただいたこと、誠に嬉しく思います。
どうもありがとうございます。
脚本 渋谷 真一朗