12人の生まない日本人 公演情報 12人の生まない日本人」の観てきた!クチコミ一覧

満足度の平均 5.0
1-2件 / 2件中
  • 実演鑑賞

    満足度★★★★★

    アフタートークを見て思ったのだけど、こちらが本題だと思った。大丈夫、みんなを死なせたいと思った社会のほうが病んで発狂しているんですよ、みんな普通です、安心してください。

    …とはなかなか言いづらかった(苦笑

    ちなみに物語全体で見ると、…これはなんか喫茶店で仕事サボって人を煽ることに夢中になって若手に仕事ぶん投げてたら若手が勝手に暴走して住民抽出に失敗、尖った人ばかり集まって…、みたいな感じにも見えたけど…気のせいかな。(ネタバレというほどではない)

    そこはもっと掘り下げたいが、以下、ネタバレへ。

    【補足】社会や集団の「発狂」について

    ここでいう**「発狂」**は、医学的・精神医学的な診断名を指すものではない。

    社会や集団が、現実認識・判断・感情の調整・自己修正能力などを大きく損ない、外部から見ると極端に非合理な状態へ集団的に傾いていくことを指す比喩的な表現として用いる。

    また、これは「その集団に属する人間が一人ひとり精神的に異常になる」という意味でもない。むしろ、個々人は必ずしも異常ではなくても、集団内の相互作用によって全体として異常な状態が形成されることを問題にしている。

    特に重要なのは、集団がその状態に入ると、内部の個人が自分たちの異常に気づきにくくなることである。

    何の問題もない人間に対して粘着的に執拗にエビデンスなく妄想的に攻撃する個人、あるいは集団は、このような排他的で攻撃的な集団に属しているため、自分の異常性に気づかないことがある。

    また、そうした状況にある人に『あなたがたの言ってることは支離滅裂で異常ですよ、法的にきちんとしたエビデンスの確認をして、妄想的なナラティブ中毒をやめたら?』みたいに言うと火に油を注ぐことになる。

    つまり、何の落ち度もない人を過剰に無意味に攻撃する人たちに何かを言っても消耗するだけである。ただ、周囲から見るとその異常性は歴然としている。

    社会や集団がそのような異常な状態になることがある、と認識するだけで、個人個人の反応もしやすくなり、無駄な攻撃が減り、ひいては子どもを産みやすい社会になる、みたいな。

    ネタバレBOX

    今回の舞台は、「反出生主義」という強い言葉を軸にしたことで、親子関係や「子どもを生むことの責任」というかなり嫌なところまで踏み込めていたのは面白かった。一方で、この言葉自体はかなり固定的な西洋思想でもあり、仏教や禅の文化が重層する京都で、そこまで素直に共有されるテーマなのかは少し疑問が残った。

    また、舞台上では関西のそれぞれの「マスな意見」を体現するような役者が住民として登場し、そこに突然、主宰者が神様として介入してくる。本人たちはギリシャ神話的な構造と説明していたが、観客としては「いや、これ赤塚不二夫だろ」とツッコミたくなる。作者が突然マンガの中に入ってきて、登場人物をさらに暴れさせるような、あの無茶苦茶な感じである。むしろこの仕掛けによって、役者が「住民」という役柄から逸脱して暴れる余地がどんどん増幅されていたように思う。

    むしろ環境問題は、最後のほうに「可能性」として少しだけ出したほうが強かったのではないかと思う。例えば、環境省が過去に「日本海深層の無酸素化に関するメカニズム解明と将来予測」を研究課題として扱っており、日本海では温暖化に伴って深層水の水温上昇と溶存酸素濃度の低下が確認されている。近年の研究でも、底層水形成量の大幅な減少や深層循環の弱化が指摘されている。つまり「将来、日本海が死の海になる」と断定する話ではないが、温暖化が進めば日本海の海洋環境が大きく変わり、無酸素化が進む可能性を考えること自体には科学的な背景がある。

    しかも舞台が想定しているのが日本海側に比較的近い都市だとすれば、この話は単なる地球環境問題ではなく、その土地の未来そのものになる。禅でも仏教でもキリスト教でも、保守でもリベラルでも、「思想としてどちらが正しいか」ではなく、「この海が本当に駄目になったらどうする」というところでは、とりあえず一緒に考えざるを得ない。環境問題には宗派や政治思想を超えて、時間制限のある現実的な共同課題にできる強さがある。

    だから最後に登場人物が散り散りになるのは少し惜しい。「お前の言ってること頭おかしくない?」と思いながらでも、「でも海のために、一緒にできることから始めよう」となる。全員が分かり合う必要はない。むしろ、思想はバラバラのまま、合意できる一点だけで一緒に動く。そのくらいの雑な連帯のほうが、今回の舞台には似合っていた気がする。

    「地球のためにみんなで頑張ろう」という綺麗な結論ではなく、「日本海が本当におかしくなる可能性があるなら、とりあえず海のために一緒にやろう」。その程度の合意で十分だったのではないかと思う。

    【ここでも補足】

    これは都心に住んでいる人にはなじみが薄いが、過疎地域の統合校建設には「過疎債」という制度が使える。

    例えば目黒区では、学校建て替えが1校132億円に達するケースがある。

    同じ132億円の学校を過疎地域で建てると、統合校なら国庫負担が55%、残りも過疎債で100%充当でき、元利償還の70%が交付税措置される。

    単純計算では自治体の実質負担は約18億円となり、目黒区の約66億円とは約48億円もの差になる。

    国庫負担と交付税措置によって、自治体の負担感が大きく圧縮されるのだ。

    つまり、同じ学校でも過疎債の有無で「建てられる規模」の感覚は大きく変わる。都心の人とは切実さの感覚が違う場合もある。

    なお、現行の過疎地域持続的発展特別措置法は2030年度が一つの大きな区切りとなっており、その後の制度がどうなるかは現時点では確定していない。


    【補足そのに】

    「集団バイアスがかかって暴走し、発狂状態になった集団に、認知の歪みをセルフチェックしていただくには……」

    江戸時代に金髪でタイムスリップして、村人たちに「赤鬼だ!」と勘違いされ、山狩りで追い詰められて火あぶりにされそうになったとする。

    「冷静になって!」とか「何かの勘違いです。エビデンスは?」ではなく、

    「皆さん、ちょっとメタ認知が足りてないんじゃないですか?」

    のほうが正解です。

    最初は
    「金髪だ! → 赤鬼かもしれない!」

    だったはずなのに、

    「逃げた! → やっぱり赤鬼だ!」
    「抵抗した! → 赤鬼だから人間の話が通じない!」
    「みんな赤鬼だと言ってる! → やはり赤鬼に違いない!」

    と、「赤鬼かもしれない」という仮説が、いつの間にか「赤鬼である」という事実に昇格している。

    そして最後には、

    「赤鬼だから逃げる」
    「逃げるから赤鬼だ」
    「赤鬼を追っているから、俺たちの判断は正しい」

    という、赤鬼認定だけで何でも説明できる世界が完成する。

    そこで、

    「ボクが赤鬼かどうかを議論する前に、皆さん、一回『ボクを赤鬼だと思っている自分たち』を観察してみませんか?」

    と問いかける。

    〜集団バイアスで赤鬼が生まれる前に、メタ認知でセルフチェック♫〜

    (ノークレーム・ノーリターン♨️)

    ※別ルートもあり

    金髪(オタク)
    「これ、異世界転生イベントでは?俺の人生拓けてきた!」

    → 村人に赤鬼認定される
    →「あ、これ髪切ればいいムーブか!」
    → 一瞬で丸坊主(迷わない)
    → 即、寺に逃げ込む
    → 生存
    → むしろ尖った禅っぽいことをなんとなく言って、現代より女性にモテる
    「丸坊主になったら僧侶ルート即開放、南無……」

    〜スマートボールより速くほぼ異世界(江戸時代)を全肯定。帰還の必要なし〜

    ノーリターン♨️
  • 実演鑑賞

    満足度★★★★★

    子供減少で学校の統廃合の話し合いが、人類滅亡のお話になっていく過程が面白かった。
    反出世主義ねぇ、その時を楽しく生きていくしかないねぇ。
    お芝居観られてありがとう

このページのQRコードです。

拡大