ハムレット 公演情報 ハムレット」の観たい!クチコミ一覧

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    演劇の原点でもある「ストレートプレー」
    ミュージカルは,ミュージカルで完成度が高い素晴らしい芸術にちがいない。一方,演劇の原点でもある「ストレートプレー」と呼ばれるものにも引かれる。

    レーマンの本では,演劇のことが書かれている。そこでは,演劇は,演じることと,観ることが,同時に起こる空間である。同じ空気を感じながら,役者と観客は,生の時間を共有し,消費するのだ。ここでは,発信と受信が同時に起こる。舞台と観客席の間で,共有されるテクストがある。といった趣旨だ。

    たしかに,現代は,映画やテレビになれてしまった人が多い。だから,分厚い文学書をゆっくり読むこともない。ましてや,その名作に心引かれ,劇場で演劇を鑑賞するのも,面倒であろう。演劇そのものが,市場化されにくいものであるのは,皆言うことだ。さらに,演劇人は,いつの時代もどこか反体制的だったから,助成金ともうまくおつきあいできない人たちなのだ。

    演劇の一番良いところは,ずばり,演じる行為と観る行為の一体化にある。芸術的行為の中でも,この点がどうやらずば抜けて優れている。ただ,この美点は,そのままデメリットにもなってしまう。新しいテクノロジーは,なんでも大量頒布して,撒き散らすような特徴があるが,演劇行為は,この点重くて動きが悪い。劇場(舞台)というものに,制約されることが大きい。

    「制作」というものを考えても,絵画・音楽という場合によっては,単独でもできそうな分野とちがって,人間くさくて,重たい。テクノロジー,メディアの力を借りて,非物質化し,大量生産的なものに向かう,たとえば,DVD化などをすると,演劇(Straight Play)の本質は,どこか色あせていく。

    思想やその描写は,理想的に翻訳され,十分な理解で読まれてもなお,ひとつの言語空間から他の言語空間への,あるいはひとつの文化・地域から他の文化・地域への移行において,別のものになってしまうことはままあることだ。(Hans‐ Thies Lehmann)。

    たしかに,演劇行為というのは,ひとつには,海外に持っていくと,どうも別のものになるらしい。劇空間をそこに求め,決めて上演する場合,カメラなどに焼付け,商品化すると,別のものになる。いずれにせよ,演劇が死んでしまうことになる・・・ということになるだろうか。

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