ボニー&クライド 公演情報 ボニー&クライド」の観てきた!クチコミ一覧

満足度の平均 2.0
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  • 実演鑑賞

    満足度★★

    鑑賞日2025/05/04 (日) 18:00

    ■【舞台写真】ミュージカル『ボニー&クライド』本日初日開幕!
    https://horipro-stage.jp/special/bonnieandclyde20250310/

    キャスト:
    クライド・バロウ:矢崎 広
    ボニー・パーカー:海乃美月
    テッド:太田将熙

     言わずと知れたアメリカン・ニューシネマの名作『俺たちに明日はない』(原題:BONNIE&CLYDE)のミュージカル舞台化。
     ではあるが、往年の名画も未見という若い観客も多い現代日本においては、ボニーとクライドのカップル・ギャングが、当時のアメリカでなぜヒーロー扱いされ、銀行強盗を繰り返すたびに喝采を浴びていたか、その理由が今ひとつピンと来ないのではないかと思う。
     劇中でもクライド・バロウが自分たちの行動を「アメリカン・ドリームだ!」と叫ぶシーンがあったが、実際には彼らが活躍した1930年代、開拓時代はとっくの昔に終わっていて、勝ち組と負け組の格差は歴然としており、「成り上がり」としてのアメリカン・ドリームは望むべくもなかった。
     その「勝ち組」と「負け組」の差にしたところで、元々は同じ「開拓者」だったわけで、一方が「うまくやってのけた」のに対して「やり損ねた」側の人間は、言いがかりに近いやっかみを持つようになるわけである。「銀行」という「搾取する側」ばかりを狙うバロウギャング団が、時代のヒーローとなっていったのには、「虐げられた人々」の暗い願望を満たしてくれるカタルシスがあったからだと言える。
     『俺たちに明日はない』が評価を受けたのは、ボニーとクライドを過剰にヒーロー扱いせず、ごく小さな幸せを願っていた個々の人間として捉え直した点にある。
     クライドはビリー・ザ・キッドに憧れてはいたが、最初から犯罪に走るつもりだったわけではない。小さな罪に対する過剰な罰、その理不尽さに対する憤りが彼の暴走を誘った。ボニーに至っては女優クララ・ボウに憧れる平凡な主婦にすぎない。それがバロウギャング団の中核となるとは運命のいたずらとしか言いようがない。
     はっきりと断言できることは、ほんの些細な躓きさえなければ、彼らはごく平凡な一生を終えていたであろうということだ。クライドは酒場の下働きで、ボニーは別れた夫とよりを戻して、普通に老境を迎えていただろう。
     しかし、侵略と支配、不正と欺瞞の上に成立したアメリカという国は、ボニーとクライドのような「負け組」の人々の犠牲を強いることを厭わなかった。がんじがらめの不自由を意識した時、そこからの脱却を図らない者がいるだろうか? たとえそれが「犯罪」という手段であったとしてもだ。
     強盗、殺人を繰り返すそのさなかにあっても、彼らが望んでいたのはささやかな幸せでしかなかった。それが切ない。そしてその幸せすら奪われてしまう悲劇。何か一つ、道を間違えれば、我々だって同じ道を辿りかねない。実際、闇バイトで強盗を繰り返すような人間が、ごく普通の青少年だったってこと、現代ではよくあることじゃないかな?
     誰もが「負け組」に成り果てた現代において、ボニーとクライドはもはやヒーローではない。明日の我々自身の姿なのだ。

    ネタバレBOX

     気のいい隣人が実はとんでもない犯罪者だった、なんてことが現実にあり得る現代、ボニーとクライドの物語を再構成することの意義は高いように思われる。
     その割にボニーにもクライドにもあまり共感を覚えないのはなぜだろうか。基本、ミュージカルはファンタジーであって、感情を歌い上げるキャラクターに対して、一歩引いて見てしまう観客も多いと思われる。
     しかしそれでも『俺たちに明日はない』では名曲『雨に濡れても』が流れるシーンで、つかの間の幸せに戯れる二人の姿に涙を誘われたものだったが、今回のミュージカル版は、はっきり言って「歌い過ぎ」であった。舞台上の二人だけが盛り上がっていて、観客は置いてきぼりって感じが強くてねえ。
     これは俳優たちの問題だけとは言えないだろう。曲想が本作のキャラクターたちと合っていないのである。『雨に濡れても』が使えなかったのは版権の関係で仕方なかったのだろうが、テーマ曲を『雨に濡れても』っぽくして二人のダンスで見せるシーンなどは、かえって他のシーンとの違和感が生じていて、「浮いて」しまっている。いや、もうミュージカルにこだわらなくて、ストレートプレイで演じてくれたほうが良かったのではなかろうか。
     史実のクライドはゲイだったという説があるが、映画では、ボニーを愛そうとしても愛せない、切なさを感じさせるシーンもある。舞台ではボニーとクライドは終始いちゃつき過ぎである。愛し合えない二人が、それでも行動を共にする、共にせざるを得ない葛藤が、映画の肝でもあったのに、舞台はなぜこの重大なシークエンスをカットしたのだろうか。
     やっぱり無理にミュージカルにしなくても……と、結論はそこに落ち着いちゃうのだね。

    ●ミュージカル『ボニー&クライド』PV(舞台映像:Ver.)
    https://youtu.be/oEVgyY6KuDQ?si=FGP9EqVsRy74kfRw

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