実演鑑賞
満足度★★★★
前進座は恐らく十年近いブランクで二度目の観劇。
前回は「南の島に雪が降る」という演目が目当てで武蔵野市民文化会館まで足を延ばしたのだが、役者が登場すると拍手、見栄の演技にスポット照明と、演目とそぐわない歌舞伎風の演出に奇妙な感覚をおぼえた記憶。この演目は、黒澤映画の常連加東大助(前進座所属)が自らの従軍体験を元に記した(に違いない)同名の著作によるもので南洋での珍しい逸話をなぞった舞台。
いわゆる時代物ではないのにあの演出?という疑問からすると、今回の作は時代物だがそれにしては「現代の演劇」としてごく自然に見られた。
利休という人物をめぐる話をを史実に基づきながら翻案した話で、茶道の精神を利休本人からでなく、真摯に道を究めようと勤しむ利休の娘と弟子を通して語らせるのが効いている。秀吉とのフラットな関係の空気から、朝鮮出兵という野望に対し反対の立場に立つ事で利休の前に大きな権力が立ちはだかる。この急転回に至るくだりのみ、(突如の睡魔で)私は見逃し、観劇としては骨抜きになってしまったが、それはともかく。。
戦争が持ち上がる事によって、それが茶道と相容れないものである事が浮かび上る。利休は秀吉の実弟から兄に出兵を思いとどまらせるよう説得を頼まれた格好で、それがゆえに切腹を命じられ、終盤のクライマックスとなるが、大団円は場面変って茶畑のある村。本編中ロマンスのあった利休の娘と弟子が夫婦となって移住しており、村人らの「茶」を巡っての交流がある。剣呑な権力の中枢と対置された「平和」が象徴され、村の長老的人物が顔を出し利休の成り代わり?と思わせる台詞で客席に笑いを起こす。
史実では利休は朝鮮出兵の折は利休の地元である堺に蟄居を命じられ、その後その地で行なった行状が秀吉の逆鱗に触れ切腹となる、とされるが、あらゆる説があり、秀吉を怒らせた直接の原因は不明。ただ切腹斬首、さらし首というのは事実のよう。
芝居にある茶畑のある村は、九州の何処かと思われるがこの部分は翻案だろう。大名らに親しまれた「茶道」から、温暖で天候の良い土地を選ぶお茶を作る農村の場面への展開が鮮やか。