実演鑑賞
満足度★★★
猫たちが、迫りくるタレミミ(犬)の脅威にどうたちむかうか。冒頭、一匹の猫が大きな生きものたちに食われるところから始まる。その死骸のあった場所に現れた猫がヨゴロウザ(中島裕翔)。彼を片目(柄本時生)が猫たちのくらすナナツカマツカの丘へ連れていく。
食われた猫はなみだといい、片目に「(犬に対して)猫たちはまとまらなければならない」と言っていた。片目はその遺志を継いで、ヨゴロウザを猫たちのリーダーにしようとするが、ふと「俺がなみだをタレミミに差し出した」とつぶやく…。
猫たちは自分勝手で互いに自分がリーダーといって譲らない。そんな猫の丘に、タレミミの側近ナキワスレ(石田佳央)が現れ、「誰がリーダーだ」と勝負をもうしこむ。一番威張っていた黒ひげ(一ノ瀬ワタル)は決闘を迫られると、腰が抜けて命乞い。そんななか、ヨゴロウザが「タレミミと話がしたい」と単身、犬の住むアカゲラフセゴへのりこむ。しかし…。
外から襲われる危険への対応という話は「七人の侍」の設定を思わせる。対応のなかには戦前の日本を戯画したようなところもある。ヨゴロウザが強権的なリーダーになって、みんなを軍隊にしてスパルタ的に特訓したり。いやがっていたねこたちも、しだいに「不思議な連帯感」が生まれるのは日本ぽい。しかし「不思議な団結」が生まれ、そして抵抗に立ち上がるのは、日本の過去からずれていく。
みんなが一致団結して犬を追い払うという単純な話にしないところがみそ。戦争をできればしたくないという思いや、「俺たちは服従(?)も支配も屈服もしない。猫としての覚悟をもって生きていく」というヨゴロウザのセリフに、蓬莱竜太のメッセージが感じられた(劇トモの意見)
全体としては大味だが、学者猫(音月桂)の、息子なみだを遠ざけ失った後悔と傷心には、蓬莱竜太らしい心理描写がある。片目の裏切りも、もう一つのカギなのだが、こちらは「命が惜しかった」「(なみだが)そこにいたから」という答えの、その裏が描かれず、物足りない。
原作では学者猫は犬に食われて死に、片目も焼死する。芝居で猫はなみだ以外は死なない。原作よりはソフトに、ハッピーエンドに作ってある。ただ、冒頭のなみだが食われるシーンは、象徴的にえがきつつ、イメージが目に浮かび、怖く、ぞっとする。この恐怖とおぞましさが底流にあることは、この芝居のポイントである。