バカみたいにスコーンとしたタイトルにしてみました。座長です。脚本、演出、役者をやっています。キンキラキンのラブで世界を救えると信じていた自分にとって、本当に手も足も出ない力を目の当たりにしたことは、言いようのないショックでした。なによりも、本当に悲しくて、おもしろいくらいに悪夢しかみることができなくなってしまった。実をいうと、震災が起きた三日後に、路上でチャリティー公演をしたけれど、感じたのは、自分の無力さだけでした。なにもできやしない。そのときにほとんど出来上がっていた脚本を、僕はチャラにしました。
ただ、自粛という考え方は自分にはなくて、「電気を使わないでやろう」くらいに思っていた。
悲しいときにやるのが、祭であって、演劇であって、歌なのじゃないんだろうか、という拙い感覚がすごく自分の中にはあって、なんでたぶん、ケチャ、とか、原始の部族ダンスのようなニュアンスが、自分の中の演劇なのだと思う。神様にささげるものだし、神様のようになった者たちにささげるものだし、神様につくられた自分たちが生きるという形なのだとおもう。そうでなければ、紀元前にああいったものが発祥するはずがない。答えの出ない問題が相手だから、どうにも難航したけれど、また、書き直せました。ご覧になっていただければ幸いです。とびっきりのハッピーをどうぞ。
劇場へは白い服できてください!
あ、あと髪の毛盛らないで下さい!