公演情報
「芙蓉咲く路地のサーガ」の観てきた!クチコミ一覧
満足度★★★★
「毒おんな」(@スズナリ)以来の椿組観劇(@花園神社は2年振り)。汗まみれを覚悟して出掛けたが、夜になると気温は落ち、そのせいか劇場に近い集中度で芝居に入る事ができた。土着性を扱う中上文学の世界が、椿組「夏の野外劇」の祝祭性をも飲み込み、厚みのある芝居になっていた。
今回で4回目の野外劇体験だが、劇的高揚感は最も大きかった。サイドの自由席でも比較的前列の内寄りに陣取る事ができ、距離感は最適で台詞はよく聞こえ役者の表情も見えた。主役級の常連俳優の他、久々に見た佐藤銀次やこの所ご無沙汰の張ち切れの二女優、初見の役者も力を寄せ合い弾け合う一夏のお祭り公演である。
舞台の高揚は、劇作のうまさというより取り扱う対象、中上が描く土着的神秘性に由来したのだろう。中上健次の小説はどれも未読だが、映画では幾つか観た(『青春の殺人者』『火まつり』『千年の愉楽』等)。ザッツ中上と言えば二番目になるか。三番目のは近作で(高良健吾主演)、血にまつわるスキャンダラスな筋書は追えていたが空気感まではフィルムに捉えていない。殆ど説明のない(台詞も少ない)『火まつり』が忘れ難い。その他評論等で言及された中上論から作られた私的中上像を、見出そうと構えて芝居を観たが、正体不明の土着に踏み入れた作家と「向かい合う」のでなく、同じテーマに迫ろうとする作り手のベクトルを見出した事で、良しとした所がある。
舞台は紀州の新宮という地名が出てくるので南西部(中上所縁の熊野に近い)である。
母の手で育った路地の青年・秋幸(主人公)の実父は、かつて織田信長に協力し、後に対立して討死する浜村一族の末裔を自認する。秋幸にとって「悪」そのものである父の人物像は後半変化し、浜村一族の末裔としての自覚(?)へ向かうか否かという物語の線がある。一方、彼らが育ち様々な出来事が生起する「路地」は彼らの生活世界そのものであり歴史を形成しており、ところがこの路地を消失させる張本人が父であり、土地を取得して財を成す父は「皆は恨みを自分に向けるが、皆路地を出たいと思っている」と秋幸に言う。路地を愛した秋幸の葛藤は極まる。ところが旅から戻った秋幸が目撃したのは父の自死の瞬間であった・・筋を見て行くと相当な端折りがあり、小説ではどう書かれたのだろうと想像する時間がある(劇中ではナレーションで小説の文が読まれる)。あらゆる有機物質を分解する土壌のように猥雑さを許容する「路地」が、彼の屈折の源でありながらも包み込む母胎である、これを主題とすれば、父の浜村一族信仰は寄る辺に過ぎず、行動規範は近代の拡張主義のそれで、いずれ破綻を見るものである・・といった文明批評を読み取るのが作品の正しい読みだろうか。しかし舞台で見ると、織田信長に反旗を翻して戦わざるを得なかったという浜村一族の歴史紹介に始まり、その霊魂が超然と語ったりする。一方、秋幸の他にも二人の女を孕ませていたという父こそ路地の権化に思われ、浜村信仰に寄って行くべきは秋幸で、やがて父と対峙する、という図をなぞろうと劇を見ていた所もある。
が、そうした筋立ての問題はともかく、中上文学が発掘した太古に繋がる人間像に現代人である私は見入ってしまう。そこには理性がとらえがたい活力があり、逆に現代とは何なのかを捉え直す入口を示すようにも思われる。
満足度★★★★
総勢36名の新劇団から小劇場まで、さまざまな出自の俳優が土の舞台を駆けまわる、年に一度の野外テント劇である。
今年の題材は中上健二。作家としては評価も定まった感じの昭和の逸材で、かつて、何度も映画化、舞台化が試みられたが、あまり成功したものはない。日本の原点とも言える土着文化を掘り起こしているのだから、切り口がつかめそうなのにうまく具象化できない。
ナマの人間で見せる演劇には有利に思えるのだが、既成の俳優だと、俳優個人のキャラクターが邪魔をしてしまう。それだけ原作が日本人の多様な側面を深く描いているとも言えるのだが、なかなか抽象的な文字の世界には及ばない。しかも、その世界は、今は消えてしまった昭和アンダークラスの路地である。
この舞台で、その空気をいささかでも体現出来た俳優は残念ながら少ない。それは当たり前で、日常生活で手掛かりがない若い俳優には雲を掴むような話なのであろう。ほとんどの若い役者は浅い知識でそれらしくやっているだけだ。そのなかで、主演の加治将樹は、よく中上の世界を体現していた。ほかの舞台も見てみたいと思った。山本亨は幅広くこの役を掬ってまとめ上げて、好演。柄は違うのに存在感を出した水野あや。作・演出の青木豪も身体的には知らない世界だから、ときに原作に遠慮してか(全体としてはご苦労様と言う出来なのだが)最後の肝心なところでは、中上頼りのナレーションになってしまう。結局、芝居にし切れていないのである。まぁ、それほど、中上健二と言うのは難物なのだ。この野外劇公演では、アンダークラスから日本の原点に迫ろうとした企画は多いが、中上の場合は「路地」に籠めた土着の精神性がある。今回は、類型的公演は脱したとはいえ、すこし荷が重かった。
しかし、夏の一夜、普段は様々な劇場で主に脇役で舞台を締めいる俳優たちが様々な場所から集まったテント公演を見るのは、解放的なフェスティバルの雰囲気もあって観客にとっては楽しい芝居見物だった。
満足度★★★
鑑賞日2019/07/16 (火) 19:00
座席B列3番
中上健次の自伝的な作品「岬」「枯木灘」「地の果て至上の時」を1つにまとめた舞台。
中上健次の生い立ちを調べると、主人公秋幸はまさに健次の立ち位置であり、名前こそ改変されているが、血縁関係はそのままといってよい。あくまで創作なのだが、実父の本名「留造」が作品では「龍造」と読みは同じで文字だけ変えられているところなどは、かなり人物像が酷似しているのかもしれない。異父兄の自殺などはそのままだ。
さて、私は小説未読なので、かなり的外れなことを書くかもしれない。
どうも、この舞台、話の据わりが悪い気がしてならない。かなり散漫な感じがする。
タイトルにある「芙蓉咲く」の芙蓉の意味が解らないし、「路地」という土地への主人公の執着も、やっと後半にならないと感じられない。ここで「サーガ」というのは、連作をまとめあげた長編ドラマといった意味なのだろうけれど。
この原作3つは、確かに話としては時系列に繋がっているのだけれど、おそらくそれぞれの作品で描かれるテーマと表現方法が異なるのだと思う。それを1つに繋げたことにより、各テーマが薄まり、ただただ秋幸が苦悩する話になってしまい、タイトルのような話にならなかったのだと思う。
おそらく、①複雑な血縁関係への秋幸の懊悩②龍造という人物と彼への秋幸の憎悪③路地を起源とした秋幸の存在証明 というように3作は作られていたのでは、と思う。
例えば、映画「ゴッドファーザー」と「ゴッドファーザーPart2」は連作だけれど、それを1つにまとめられないのと同じ。テーマも違うし、表現方法も違う。あくまで、別作品として個々に観て、はじめて「サーガ」である。
むしろ、この夏舞台に持ってこずに、スズナリなどで、3部公演で、じっくり描いたらよかったのではないかな。
つまらないわけではない(役者さん各自の力量でしっかり芝居は魅せている)が、これといってやられた感、なるほど感もない。
外部の役者さんについて
山本亨さん、相変わらず複雑で、心のうちに何を持っているのか判らない役柄はうまいなあ。
驚くくらいに天真爛漫で鷹揚(ある意味、薄情)な一方、貪欲な野心と殺める凶器を懐に隠すようなアンビバレントな表現、いつもながら感心します。
天動虫のジョニーさん。けして出番は多くないですが、インパクトは女優陣の中で1,2.
アラサーになって、ついに娼婦や妊婦の役をやるようになったのですね。天動虫では、同じ役柄でも、どうしてもコメディ寄りになりますから、外部出演は大事です。とはいえ、16歳の役をやっても、それなりに見えてしまうのが恐ろしい。
満足度★★★★
鑑賞日2019/07/11 (木) 19:00
中上健次の長編三部作「岬」「枯木灘」「地の果て至上の時」を2時間半に圧縮。
当日パンフレットの人物相関図や語り手(?)によるあらましの説明部分にユーモラスかつワカり易い表現を取り入れるなど工夫がこらされており、複雑な人間関係もほぼ理解できたかと思う。
そうして描かれるのは複雑に捻れた血縁で結ばれた者たちとその周囲の人々。土着的、骨太、武骨な感覚が花園神社野外劇に相応しい?
いやしかし終盤の「写真」の場面にはヤラれた。
なお、今年から従来の小椅子指定席に加えて以前の自由席の半分以上(?)をベンチ指定席として新設したが、事前に各エリアを色分けした客席略図をアップし、当日は指定席は大きく座背番号を書いた布を縫い付けたカラフルな座布団、自由席は黒い座布団と一目瞭然としたのも見事。