満足度★★★★
「再生」のダンスバージョン。KAATでの岩井秀人演出版、本家(東京デスロック)版の上演と観てきた事でこのバージョンに大きな関心。が、「RE/PLAY」上演は今回初めてではなく、また舞踊家きたまりと多田淳之介との仕事も定例化して長いとか。
多田氏考案の「再生」とは、曲が流れ、それに合わせて動作が主体の芝居があり、30~40分続いて終わると、暫時の沈黙の後、同じパターンを繰り返す、というもの。通常3回。本家版はカラオケを順々に歌う形、岩井演出版は曲を聴きながら楽しんでいるパーティの風景。これの醍醐味は、選曲の妙と、役者らが段々と疲れて動作がいい加減になっていく所。厳密な意味での「再生」は(機械でない人体では)できない事を現象を通して実感し、「身体機能の延長」である機械の発達した現代という時代の身体性に思いを馳せる作品、と私は位置づけていた。
ダンス・バージョンでは、ダンスなりムーブなり、身体動作のプロがやる。しかも出演にAokid、岩渕貞太、きたまりと私でも知る名前に、アジア諸国のダンサー。彼らの「疲れる姿」を見ようと身構えたが、トークでの多田氏の話では、彼らは強靭な肉体の持ち主で「疲れない」事を特徴として見出し、その面白さを見ていた事が判った。また、「踊らないでくれ」とのダメをよく出したという。演劇では「芝居をするな」とよく言われるが・・
「RE/PLAY」はやや複雑な構成となっていた。一曲数分の動きを2回、また別曲(オブラディ・オブラダ)を10回リプレイし、そろそろ息遣いも荒くなった頃に、床にへばった彼らが会話を始める。日本語、英語、タガログ。その「生」の感じが良く、またそういうやり取りが設定されている。「出し物」としての身体性と異なる局面が見え、ここではダンサーから役者的身体(個性、人格が滲む所)として身を晒しているのが鮮やかな対照をみせる。
そして曲が流れ始める。躍動感ある曲に、ダンサーらは前半とは異なり、水を得たように得意な「ダンス」を披露する。面目躍如、ひたすら身体と動きの美に圧倒される時間となり、大団円と思いきや、これが終息すると再度同じ曲が流れ、「再生」プログラムがスタートする。たっぷり1時間半強の内容だったが、肉体の限界を味わう「再生」のコンセプトはここでは形態のみ継承され発展系となっていた。舞踊そのものがそうであるように言語化は難しいが、非舞踊の要素をノイズ的に混入する事により、舞踊の快楽を再照射するもの、だったろうか。