The Dark City 公演情報 The Dark City」の観てきた!クチコミ一覧

満足度の平均 4.2
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  • 満足度★★★★

    来年3月で40年の歴史に幕を閉じる芝居小屋での上演とあって駆け付けた。雛壇式のオーソドックスな客席は初めてか、久々で新鮮。八面六臂のシライケイタ氏の人脈か、俳優・劇評家多数来場。今回出演しない阪本篤も会場整理に出て、客席が収まった頃、4人が舞台上に並び、開幕を宣した(5分押し)。
    敗戦直後の1948年に埼玉県本庄町で起きた住民+朝日新聞記者と暴力団の「闘い」の軌跡を通して、民主主義、ジャーナリズムとは何か(何であるべきか)を問うた舞台。
    交錯するのは、事件の舞台、朝日記者らの逗留の場所となった老舗旅館が廃業し、取り壊しを迎えようとする「現在」。取り壊しの知らせを聞いた次女(清水直子)が20年ぶりに長女(みやなおこ)、弟(いわいのふ健)、老いた父(大久保鷹)が住む実家へ戻って来る、という場面が冒頭である。物書き(劇作家か脚本家か)で都内に住む次女と、実家のある地方に住む家族との確執など、「現在」のドラマは展開するが、中心は、事件の時点では旅館の長男であった父。彼を媒介して過去が蘇り、民主主義のためにペンと住民の団結で勝ち取った精神を眩しく振り返るという構図である。シライケイタ氏の脚本では、過去を照らす「現在」のドラマは完結したとは言えないが、「過去」を現在のように立ち上げる手法は演出と相まって成果があった。
    大久保鷹がストレートプレイな場面で役者としての真価を発揮するのを非常に興味深くみた。

    ネタバレBOX

    「現在」で残念だったのは、姉と妹の確執の背景がぼやけてしまった瞬間だ。長年実家に寄りつかなかった妹の心の奥に燻っていたのは、姉の夫(筑波竜一)との恋愛で、つまり姉が男を奪った、寝取ったという記憶だ。それを機に家を出た。だがそれは誤解で、姉は妹が出ていってから初めて男を意識するようになったという時系列だ。妹は姉との関係を疑った。そこには決定的な場面(誤解を必然とする)があったはずで、本来ならその場面に具体的に言及して、事の真偽を確認しようとするはずが、そこはぼかして妹の思い違いとし、20年も何やってたんだろうね・・とまとめてしまった。ドラマの嘘はそれを上回るドラマの使命によって正当化される場合があるが、この場合はその事実に乗っかってその先へと展開する(といっても姉妹の和解という程度だが)ため、成立しない嘘となってしまった。もっとも主眼は本編=事件の顛末にあるので、そちらに観る側も重心を移した。
    「妹が誤解した」と結論を出すのでなく、グレーゾーンのままに置くのも手ではなかったか・・などと考えたが、あの場面では笑いが欲しかったのかな。
  • 満足度★★★★

    国民のほとんどが新しい体制の中で新しい幸せが訪れると信じた幻のような時期があった。終戦直後の一時期。民主主義が新しいモラルとして国民の太陽だった。このドラマの実話・本庄事件は新劇団名優総出演で「ペン偽らず・暴力の街」と言う映画になった。同時期のもっとやさしい例では「青い山脈」の大ヒット。あの主題歌を、ほんの一部の国民を覗いて,みなが合唱して幸せを感じられたのだ。だが、それは幻で、世間はそれほど単純でなく、誰もが生きるモラルを失っている70年後の今の現実だ。この横文字のタイトルの小劇場のドラマは、70年前の地方都市の街の支配者と新聞社支局との攻防の中でジャーナリズムが民主主義政治成立させる基本要素だと言う事を、過去の事件と過疎となったその町を交差させながら描いていく。
    昔、昭和20年代から30年代にはよく新劇団が上演したプロテスト劇の味わいだが、その後、この路線はすっかり観客に飽きられて、わすれられて久しい。この舞台を作っている人たちは、最年長の大久保鷹ですら、その実感はないだろう。ドラマの空気が懐メロ風になってしまうのも時代の流れだ。
    だが、それは無意味と言う事ではない。歴史の中で土地に沁み込んだ記憶は、どこかで、今を生きる人に影響を与えることは必ずある。劇場はいつ閉館するかと危ぶまれている旧三期会のブレヒトの芝居小屋。何十年ぶりかで、ここで芝居を見たが、古びているが手入れはされていて、機能している。芝居と共にそのことに心を打たれた。

  • 満足度★★★★

    鑑賞日2018/10/16 (火) 19:30

     昭和23年の「本庄事件」を扱った作品だが、事件そのものは知らなかった。ヤクザが支配する本庄の町で、朝日新聞の記者が元ヤクザの議員に殴られ、立ち上がる…という物語。現在と昭和23年の時間軸が何回も前後し、役者はそれぞれの時期で異なる役割を演じるが、そこをシッカリ演じられるだけの力量の役者が集まっていた。シライ自身は「社会派」と呼ばれることに戸惑いを感じるそうだが、それが見える、家族の物語として出来上がっているのは巧かった。ただ、当時の記者たちが、やたらと「民主主義」を言うのは違和感があったが、それが語れる時代になったことの誇りが出ているからでは、とは、観劇後に話した方の意見で、腑に落ちた。大久保鷹の存在感は見事としか言いようがない。

  • 満足度★★★★★

    鑑賞日2018/10/16 (火) 14:00

    座席1階

    価格4,000円

    終戦直後の埼玉県本庄町(現・本庄市)。銘仙の闇取引で暴力団が牛耳り、警察も検察もその仲間という小さな町。そんな暴力の街はおかしいと書いた朝日新聞本庄通信部の記者に対する元暴力団組員の町議による殴打事件をきっかけに、新聞がキャンペーンを張り、市民が立ち上がる。本庄事件と呼ばれるこの経緯を題材に、社会派劇作家シライケイタが今に暮らす市民に訴える。「本当に、生きているか。立ち上がっているか」と。
    唐組で暮らした怪優・大久保鷹がひときわ、光を放つ。舞台が現代と70年前を行き来する構成で、出演俳優は一人何役もこなすのだが、70年後の今に生きる老人を演じる大久保が、この70年前の事件の意味をストレートに客席に問い掛けるさまは、圧巻だ。まさにぴったりの配役であると言える。
    フェイクニュースなどが横行し、ジャーナリズムに背を向ける人が目立つ今。しかし、ジャーナリズムとは民主主義を支える基盤であり、書く自由はすなわち、私たちが生きる自由だ。これが政権や暴力団で切り取られていくとすれば、それは、生きる自由を制限された戦前・戦中に戻ることになる。
    新聞は書いているのか。市民はそれを手に立ち上がっているのか。
    民主主義であるはずのわが国で、独裁政権のようなやりたい放題が通る今。声を上げることの重要性を、見た人たちに強く訴えかける。70年前の市民の力を今、思い起こしたい。

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