しんしゃく源氏物語 公演情報 「しんしゃく源氏物語」の観てきた!クチコミ一覧

★ 満足度の平均 ★ ★ ★ ★ ★ 5.0
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  • 満足度★★★★★

    あー、全部ネタバレboxに突っ込んじゃったw

    ネタバレBOX

     観劇後、私はその余韻に浸りながらある人に言った(といってリプなのだけど)言葉を思い出していた。
    「頑張れ、応援してるよ、君ならできる。そんな風に言われなければ頑張れないようなものを僕は夢とは呼ばない。いいかげん大人になれ、諦めろ、身の程を知れ。そんな風に言われても諦められないもの夢と言うんだ」
     確かそんな内容を含んでいた。

     真に夢を追う者は孤独だ。その孤独を誰も癒すことはできない。ただそんな孤独のあることを知ってくれている人がひとりでもいてくれたら、耐えることはできるかも知れない。光源氏という夢を追う末摘花にとってそれが侍従だった。

     末摘花は劇中何度となく試される。これでもまだ夢を追い続けることができるのか、それでもまだ夢への情熱を維持できるのか。彼女はその度に大切なものを失っていく。侍従を手離すとき、彼女は髪を手向けとした。これを自分と思ってと言い添えるのは、侍従がこれから向き合わねばならない孤独を知ってのことだろう。だがそんな気持ちも宰相に嘲笑される。それによって彼女は宰相を失う。
     それだけではない。彼女は少将をも失なう。少将が柱に抱きつくシーン、あれは侍従の幼かった日々を思ってのことだろう。その少し前に末摘花が柱の一本一本に父の思い出があると言っていたのを思えばそのすれ違いが切ない。侍従を失なう少将に甘えて見せるのは末摘花の優しさにも見えるが、少将の反応は鈍いのである。
     そして最後の試練は光源氏の来訪である。彼女は夢を失なうのだ。

     光源氏の来訪は彼女の夢が破れた瞬間である。彼女は生活の支援者を待っていたのではない。門の前で末摘花を思い出したという光源氏の言葉に触れて、彼女は自分の待っていた人はもうどこにもいないのだと悟る。それでも光源氏を追い返してしまえば、名実ともに全員が自分の元を離れていくのがわかる。といって彼女はそれが嫌で我慢するのではない。自分の夢にぶら下がってきた人たち。そんな人たちの生活のために耐えるのだ。美しいべべを着て立つ彼女の背中に現れる孤独は尋常なものではない。

     だが観劇後、私の浸っていた余韻は不思議と悲劇的なものではなかった。私には末摘花は今後不幸にはなるまいという信頼があった。そう、それは信頼だった。彼女は自分の追ってきた夢が光源氏では無かったことに気づくだろうという信頼。そんな不思議な余韻が長く続く作品だった。
  • 満足度★★★★★

    SPAC最多上演レパートリー作品だが、私は見るのは今回がはじめてだった。醜女の末摘花が荒れ果てていく家でひたすら光源氏の来訪を待つという話だ。
    『源氏物語』のエピソードをそのまま使っているが、劇作品となったこの『しんしゃく』は『ゴドーを待ちながら』のバリエーションになっている。

    「もう光源氏はやって来ないかもしれない」という絶望感の中で貧困に喘ぎながらも、退廃することなく矜恃を保ち続け、健気に「待つ」姫を演じた池田真紀子がよかった。彼女の演じた末摘花の高潔さが「待つ」という状況に重層的で形而上的な深さをもたらした。この作品を見た観客は、彼女が到来を待望していた「光源氏」にさまざまなものを投影するだろう。「光源氏」は自分ではどうすることもできない運命の象徴であり、この作品は運命に翻弄されつつ、運命に希望を託し、それにすがって生きていくしかない人間の姿を描いた悲劇だ。現れることのない光源氏は彼女を救い出す「白馬の王子」的な存在から、彼女の生存の本質にかかわる何かに変貌している。

    待望の光源氏の再訪を知らされたとき、彼女は一度「会うのは嫌や」と拒んだ。その言葉のあとの数秒間の沈黙が作り出す緊張感がたまらない。あの数秒間に彼女の思い、悔しさが凝縮されている。最後の場面の末摘花の美しさは崇高さを感じさせるものだった。

    七人の女優の魅力を楽しむことのできる戯曲と演出だった。末摘花に寄り添う老女、少将を演じた舘野百代の芝居がとりわけ印象的だった。
    姫と娘の間で葛藤し、混乱する様をコミカルに丁寧に演じていた。彼女の存在はこの劇の要となっていた。ひたすら待つ状況が続き、停滞するこの物語に心地よいリズムを作り出していた。
    河村若菜が演じた叔母が末摘花をいびり倒す場面もリズミカルなのりがあってとても良かった。関西弁のいびりの勢いが、あの場面に絶妙の緊張感をもたらす。表情や仕草、口調の一つ一つにニュアンスがあり、俳優の細かい配慮と工夫が伝わってきた。意地悪演技は堂にいったもので、観客の笑いを取っていたが、単なる意地悪叔母さんではない思いやりのかけらみたいなところもさりげなく表現に入れているところが心憎い。

    この作品はSPACの中高生鑑賞事業でも上演された。『源氏物語』が題材と言うことで多くの学校から申込みがあったそうだ。思春期のただなかで、希望と不安を抱えながら何か分からないものを待っている彼らがこの作品にどんな感想を持ち、どんな反応を示すのか知りたい。ある種の迷える子供たちにとっては、ひたすら待ち続ける末摘花の物語は、まさに自分の抱える実存への不安をかたちを与えてくれるような、たまらない体験になるのではないだろうか。

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