公演情報
「ビリー・エリオット」の観てきた!クチコミ一覧
満足度★★★★★
同名映画(邦題「リトル・ダンサー」)の舞台化で、映画と同じくリー・ホールが脚本、スティーブン・ダルドリーが演出。
作曲はエルトン・ジョン。
10年以上のロングランを記録し、全世界で80以上の演劇賞を受賞、かつ1000万人以上の観客を動員している、ミュージカル。
この日の主要キャスト、
ビリーは加藤航世くん。
お父さんは吉田鋼太郎さん。
ウィルキンソン先生は島田歌穂さん。
おばあちゃん根岸季衣さん。
最高でした。素晴らし過ぎて。
また観たい。
子供達のパフォーマンスが凄い。
大人とか子供とか関係ない、
プロフェッショナルでしかなかった。
息するの忘れそうになるくらいのダンスシーンでの緊張感たるや。。。。
年単位の厳しい練習があってこそのパフォーマンスなのが伝わりまくる、
素晴らしい舞台でした。
並み大抵の努力ではないと思うし…
泣いちゃった。
とにかく違うキャストでもう一度観たいww
オープニングが3Dみたいに映像が投影されてて凄かった!!
あと1人で生演奏してるとは思わなかったから驚いた。どういう仕組みなのかかなり気になる。
方言なのはちょっと嫌だったけど、、、
でも本当に感動したなあ。。。
何か親が子供を見守る感覚で見てしまった。
前田くんの雰囲気がビリーと合ってたし、歌はそんなに上手じゃないけどそれはそれで思い込めてセリフ調で歌っててよかった、気持ちがこもってて響いたよ。
とにかく踊りが凄すぎ。タップダンスとアクロバット!
合格発表のシーンもっと感動的にやってほしかったあ。
映画と少し違って村の人たちからお金集めてっていうところが良かった。みんなの思いを背負ってて。
先生がもう帰ってこないで、振り返らないで、って言ったシーンめちゃ泣けた。。。
先生があえて突き放して、今の生活に未練を持たせないように、ビリーがダンサーとして飛躍するようにしたのがとても感動した。
マイケルと踊るシーンと、何と言ってもエレクトリシティー!それからangryも!ずっと見てたから余計に泣けた。バレエも頑張ってた、、、
はあ好きだなあ。
オールだービリーが出てくるシーンで、椅子を手で回しながら踊るシーンが凄かった。
他のビリーたちも見たすぎる、、、
満足度★★★★
「市民」の付くミュージカルには何度か巡り合ったが、「本格的」なミュージカルは初めて(映像で『Rent』を見た位)。本格的、の範疇が「ある」と考えている理由はあるのだがそれはともかく・・。音楽(歌)、踊り、芝居(演技)の三要素が拮抗し、相乗効果をなして一つのドラマが構築されるミュージカルでは、技術の鍛錬や稽古、つまり努力によって合格ラインに到達するという舞台裏のストーリーがあり、洗練された技術、芸に対する感動にはこの要素が不可分にある。
今回の「ビリー・エリオット」はリトル・ダンサーという副題(原題)通り、ダンスに目覚めた少年が困難の中、その道を進むという話。イギリスの炭鉱町が舞台だ。
この英国ミュージカルの日本版、私は全国の応募者(確か1000人位)が一年間のワークショップを経て最終的に5人が勝ち残る、との報に触れて単純に興味が湧いた。「舞台裏のストーリー」をウォッチし始め、まんまと宣伝に乗せられた訳である。
「訓練期間」を兼ねたワークショップという手法もうまい。結果的に不合格となった子供たちも一年を無駄とは思わないに違いない。その子らやその親族関係者も一定程度観客動員に見込めるという制作上の戦術もありそうだ。
舞台は「Rent」や映画の「WestsideStory」もそうだが社会性が高い。エネルギー政策の転換時期を迎えた炭鉱町でストライキだ何だと会社との「闘争」に明け暮れる町の人々。日本では1950年代だったがイギリスではサッチャー時代、80年代に今で言う新自由主義路線へ舵切りがなされて労働争議が燃え上がる。その報道映像が冒頭に流される。
少年がダンスに触れ、教室の先生に見込まれていくストーリーと、炭鉱の物語が並行し、時に少年にとって障壁として立ちはだかるが、最初に流れるドラマの基調となる音楽は「闘争」の場面で労働者が機動隊と対峙して正義を問う歌だ。このモチーフが中心に据えられ、ユーモラスで多彩な場面・歌が展開する。そして披露される少年のダンス、そして「成長した(あるいは本人の夢の)ビリー」と競演するシーンには「舞台裏」のストーリーが重なる。「本格的」ミュージカルの本領が発揮される瞬間の一つでもある。だがそれだけでは「本格的」には達しない。楽曲がよくなければならない。ドラマの創造ともう一つの柱が楽曲であり、これが世界観を作る。
ミュージカルファンは(多分)、耳が捉える抵抗しがたい甘味な音を、想定して客席に座る。演劇にも音楽が大きい役割を果たすことがあるが、それは結果論で、ミュージカルを見ようとする心は、その結果を見越しているのだ。この種の感動が、演劇の感動の一つとは言えても中心的なものだと言えるかどうか(否、と私は言うが)。
だが、これはドラマであり、ドラマ性を濃縮した表現だ。