亡国の三人姉妹 公演情報 亡国の三人姉妹」の観てきた!クチコミ一覧

満足度の平均 4.0
1-2件 / 2件中
  • 満足度★★★★

    タイトルからして「亡国の」なんて付けて、「かなりあざといな」と思っていた。
    かもめの舞台を1930年代の日帝時代の朝鮮にする、なんてところも。

    ネタバレBOX

    タイトルからして「亡国の」なんて付けて、「かなりあざといな」と思っていた。
    かもめの舞台を1930年代の日帝時代の朝鮮にする、なんてところも。

    さらに人形を使ったり、バイオリンが出てきたりと、ふざけているのではないか、と思うほどのあざとい演出だ。ラストはあざとさの集大成であった。

    サイレンとともに打たれる半鐘の音は、5年前の震災を思い起こさせる、ようにできているのではないか。もう、この音は聞きたくないと思っていた。舞台で散々聞かされてきたからだ。それをあえて使うのは、それでも観客の耳に届けたいという意思があるのだろう。耳を塞いだ手を無理矢理こじ開けて、記憶を激しく呼び覚ます。
    今日性というか現代を、そこまでして絡め取りたいのか、と思う。

    東京デスロックは、このあざとさが好きなのだ。
    役者を長時間棒で縛ったまま演じさせたり、45分間ただ立たせたり、など。
    その貪欲さがいいのだ。そして常に挑戦的である。
    貪欲すぎて、滑ってしまうときもあるが。

    観客の、いい意味での思い込みや深読みを期待しての演出で、ウケ狙いであるかもしれないし、意外と浅いのかもしれないが、それでも面白いのには間違いないし、前へ出ようとする挑戦的な意思があると思う。なので、やっぱり東京デスロックは好きなカンパニーなのだ。
  • 満足度★★★★

    テキストのコラージュ
    主宰多田淳之介の日韓共同製作「カルメギ」(チェーホフ「かもめ」の翻案)、「台風奇譚」(「テンペスト」の翻案)に続く、同趣向の自劇団版と思されるが(この二つは残念ながら見ていない)、この古典をどういう視点で料理するのか。「カルメギ」「台風」は企画上からも明確に朝鮮史を舞台にとった作品になったが、今回はそうではない。ばかりでなく、物語としての「三人姉妹」はそれとして原作の登場人物名(ロシア人名)で演じられながら、戯曲「外」の要素が折々に浸潤してくる。(幕開きの舞台の光景から既に奇妙だ。)
    場面はおそらく抜粋で、時系列も戯曲通りなのか不明、そのように作られてもいる。場面と場面の間には、前の語り手がゆっくりと歩いて去る間や、「音」が主役になる場(間?)によって、実にスローな時間が流れる。それらの場面は「何」によってチョイスされ、並べられているのか・・ いずれにせよこの舞台は人物がある状況で語るテキストが「固有の状況」を離れて言葉自体として浮かび上がるように切り取られ、強調され、繋げられている。「三人姉妹」はそのコンテキスト(文脈=物語)を語らない、言葉の集合としてそこにあるようであった。
     言葉自体を独立させる事で、言葉は「現在」を指し示そうとする。俳優の「語り」の作法(技術)から、その意図が伝わる。
     つまりこの「亡国の三人姉妹」は現代の「亡国」の風景に翻案した「三人姉妹」だ、ということになるだろう。

     浮かんでくる疑問は、「三人姉妹」である必要はあったのか・・という点だが、連想を逞しくすれば、故郷=モスクワから遠く離れたわびしい田舎の生活に押し込められ、いよいよ待ち望んだ旅立ちの日に望みが断たれる結末は、故郷を思えどいまだ土を踏めない境遇、また故郷が他者のほしいままにされた状況にある人達にも、重ね得るかも知れない。
    にしても、この舞台は知られ過ぎた戯曲だからやれた異色の翻案だったかと思う。

    ネタバレBOX

    被災避難民、災害で死んだ者たちの亡霊も、そのイメージに重なってくるのがラスト。さまざまな物が乱雑に散らばり、中央に大きめの(背の低い)テントが張られた舞台が、どこかの避難所(体育館などの)に形を変えた時(ある意味クライマックス)、この舞台制作者の「演劇が人類に大いなる可能性を有する」こと、への野心を見る思いだった。「物」たちは幕開きから、大小の穴(平均10cmくらいか)が開いているという謎めいた状態で舞台に置かれてあり、その穴たちは(人のいなくなった)避難所が大規模な爆撃を受けた状況をも連想させたが、惜しむらくはイメージが広がりすぎ、現在の「どの状況」という風に光景が凝縮しきれず、印象のレベルに終わったことだろうか。
     しかし・・、日本には「来ない」と思われている惨劇は、なぜシリアやパレスチナだけには「現在」あって、日本には無いのか・・ 本質的な理由など無いのではないか。 そのことに「惨劇」への想像力が気づかせ、舞台は観客の想像を促す。 もっとも、想像や連想には経験や知識も動員せねばならず、多くの若い観客の何人が惨劇の光景を去来させたか・・・気になるところである。

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