くろはえや 公演情報 くろはえや」の観てきた!クチコミ一覧

満足度の平均 4.3
1-4件 / 4件中
  • 満足度★★★★

    新たなJACROW
    うまく言えないが、今までのJACROWとは違う感じがした。
    むせかえるような空気は感じなかったが、行きている人の切実さは前作より、より濃厚に感じる。好みは分かれると思うが、私は非常に好みだった。

  • ぶつかり合う芝居
    吉水恭子さんが書いた芝居を何本か観させていただいているが、それぞれの切り口が興味深い。社会で起こった出来事に翻弄される人々。今回は災害の渦中で起こった事件。それぞれの思いがぶつかり合い、いさかいとなる。こういうリアルな瞬間を同時に体験することこそが演劇の醍醐味だと思った。

  • 満足度★★★★★

    黒だったのか白だったのか
    『消失点』と同様の、脚本:吉水恭子、演出:中村暢明コンビによる作品。
    事件的なテーマを扱う劇団が数多くある中で、JACROWは独自のカラーがある。

    “見苦しさ”がぶつかりあう台詞劇。
    JACROWらしい作品。

    ネタバレBOX

    吉水恭子さんの作風は、当たり前だけど、とてもJACROWのイメージと合っている。
    しかし、中村暢明さんの作品のような重苦しさと後味の悪さ(後味に残る苦さ)のようなものはあまりない。
    一応「終わる」からだろうか。
    と言っても、『消失点』も、この『くろはえや』も「事件(災害)」をストレートに想起させ、さらに事件(災害)のことではなく、そのことによって炙り出されていく人の「気持ち」あるいは「業」について、観劇中も、観劇後も考えさせられることが多いのは、JACROWならではと言っていいのかもしれない。
    その点が、JACROW作品の肝であろう。

    この作品も、まさにそう。

    「脱ダム宣言」をした県知事が長野県にいた頃、平成18年の下諏訪を、作品基本設定としている。
    下諏訪を襲った豪雨対策の災害対策室の一夜を中心に、対策室に集う町役場の人々を描く。

    雨が豪雨となり、想定外の災害を引き起こす可能性が出てくることで、対策室内は、ちょっとしたパニックとなり、普段は口にしないような「本音」が現れ、「人が剥き出し」になっていく様が、なかなか「見苦しく」って良いのだ。

    誰もが何らかの鬱屈した気持ちを抱えていることがわかり、それが「地縁」「血縁」という自縛に囚われていることから起こってくる。

    役所の人たちと言っても、当然そこに暮らす人たちだもあり、災害に遭っている人ということが、その「地縁」「血縁」と絡んでくるところがとても上手い脚本なのだ。
    切り離せないからこそ、人々の間に軋轢が起こり、関係が歪み、ギシギシと悲鳴を上げる。

    「地縁」「血縁」の良さも当然あるのだが、悪さ、醜さもある。
    本人が望まぬ形で出戻ってきた、役場の職員の一人、守屋を通して見せることで、地方から出てきた観客の多くは、自分の故郷のことに重ねたのかもしれなない。
    彼が役場という仕事に就けたのは、まさに「地縁」によるものに違いない。そんな彼が、自分の故郷が自分を縛っていることを呪うように言葉を吐き出す。
    その怒りは自分に向けていることもわかっているのだ。
    そうしたことがわかるからこそ、イライラが募り、この災害発生時のタイミングなのに、周囲に喰って掛かるのだ。
    豪雨により、時々刻々と状況が悪化していく中で、対応策はとっていくものの、それぞれの思惑とイライラがぶつかり合い、外の豪雨に負けない嵐が会議室内で起こっている。

    登場人物たちの表情が、徐々に「悪く」なっていく様が上手い。
    「悪いことを言う」顔なのだ。
    イライラが伝染していくように、さらにそれが助長していく。

    「何言ってるんだ、こいつ(ら)、このタイミングで」と観客の多くは思ったに違いない。しかし、この期に及んでも、いろいろな思惑や、ここで言ってしまえ、といった感覚があるのか、あるいは仕事とプライベートがぐちゃぐちゃしがちな地方ならではの感覚なのか、誰かが何かのタイミングで静止しなければ止まらないのだ。

    平成18年に実際に起こった豪雨災害を下敷きにしているという。
    この「平成18年」という設定が実は効いている。
    「脱ダム宣言」の長野県というだけでなく、東日本大震災も熊本の震災もまだ起こってはいないからだ。
    もし、その後の設定であれば、「避難勧告」についてのためらいは出てこなかっただろうし、「想定外の出来事」は常に起こる可能があること、さらに災害に対する対応方法も異なったに違いない。したがって、こうした内輪もめのような事態に陥ることも少なかったのではないかと思うのだ。
    そのあたりが上手いと思う。

    総務部の危機管理室長・守屋明美は、このゴタゴタの中で、唯一職責をまっとうしようとしている人で、「女が働くことへの風当たり」にも「子どもを残している」ことへの罪悪感のようなものにも、耐えている。
    彼女の存在が、災害対策室の崩壊を免れることになっているのだと思う。
    だから、ストーリーは破綻せずに地に足が着いたものとなっているのではないか。

    地方から東京圏に来て暮らしている観客は、この作品をどうとらえたのか気になるところだ。
    「あるある」で「イヤだな」なのか、「それでも懐かしい」なのか。

    後日談はさらりとしたところがいい。
    「黒南風」だったのか「白南風」だったのかはわからない。

    ラストで守屋・兄妹が、ダム予定地で父親の後ろ姿を見つけるシーンはとてもいい。
    会議室のみの設定かと思っていたので、それに対する意外さ、つまり、視野の広がりもあったが、何よりも、劇中で何度も出てくる「中止になったダム」の存在と親子、という「地縁」と「血縁」の象徴として、「建設予定地」の古びた看板とともに、きちんと物語に効いてくるのだ。

    危機管理室長・守屋明美を演じた蒻崎今日子さんの、子持ち・女性管理職としての安定した演技は、やはりいい。東京から出戻った、守屋徹を演じた小平伸一郎さんの、まるで反抗期の子どものように、捻くれた姿からの、ラストでの故郷への複雑な愛情を吐露するあたりが、とてもいい。自分の気持ちを絞り出すような、感じが。
    総務部の若い女子職員・御子柴を演じた森口美樹さんの、若くて仕事をテキパキこなす姿から、物事をはっきり言う本来の姿を見せ、憧れていた田舎暮らしへの嫌悪を、静かに剥き出しにしていく様も良かった。
    総務部の足の悪い五味を演じた菅野貴夫さんの、守屋の父親を知っています、からの、事故の責任を問う鬱屈した台詞がとてもいい。

    豪雨の中で、ガラス窓の外に水を流すというセットは、細かいことだが、かなりの効果が上がっていたと思う。

    JACROWは、もっと大きな劇場で、作り込まれたセットの中での芝居も観てみたい。
    近い将来そういう公演が打てることを期待する。

    観劇した日は、初日ということもあり、台詞などに固さが残っていた。「宣言を設置する」なんていう台詞もあったりして。特に方言が、長野地方の人間ではないのだが、どうもこなれ切れていないような印象を受ける。

    公演後はイベントがあった。緩く観客も参加する形で、この作品のテーマでもある「地方と東京」についてのものだった。
    なかなか面白かった。蒻崎さんのところどころで炸裂する突っ込みには笑った。谷仲さんがクラブに行ったとの発言(!)の後に、クラブの騒音の中っぽく「どこから来たのーって言うの?」という突っ込みとか(笑)。
  • 満足度★★★★

    ぶつかり合い
    各人のキャラクターがぶつかり合って、突っ走っていく。
    危機的な状況になると人の本性が現れる。地縁・血縁などに縛られ息も詰まるような生活をしていると爆発したくなるようだ。

    人間とはそういう生き物なのでしょう。今回は吐き気はしなかったが、目の付け所はさすがJACROWであると感じさせられる作品であった。


このページのQRコードです。

拡大