シンベリン 公演情報 シンベリン」の観てきた!クチコミ一覧

満足度の平均 5.0
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  • 満足度★★★★★

    「つながり」と、「赦す」ということ
    世の中の人、全員がこれを観たら、世界は、もうちょっと、平和になるのだろうな、と、映画『リチャードを探して』の中の言葉を思い出しながら、そんなことを、思った。

    年に一度のドリームチーム。本当に楽しませてもらいました。最高でした。来年も、必ず、観ます。

    ネタバレBOX

    社会から、つながりが失われてしまっている。あらゆるものが、つながりを失って、ばらばらになってしまっている。今では、つながっているのは、憎しみだけにみえてしまう。

    シェイクスピアの時代(16〜17世紀)は、丁度、世界の転換期。中世と、近代の、過渡期のど真ん中だ。だから、シェイクスピアの作品は、中世の、人々が、世界が、神々が、ありとあらゆるものが繋がっている世界観と、近代の、今に通じる、人間中心的な、つながりを断ってゆこうとする世界観が、せめぎあう。

    でも、基本、「世界は舞台」という考え方のシェイクスピアは、どちらかというと、やっぱり中世的な、神様も、世界も人も、繋がっている世界の方にシンパシーがある。「舞台」というキーワードで、世界が繋がっている。

    山崎清介さんの演出は、その、「つながり」の部分を、非常にスタイリッシュに、分かり易く、取り出してくれる。研究してるなぁ、と、感動する。

    ほとんどの俳優が、一人で、何役もこなす。メインのキャストを二役くらいと、端役と、黒子とを、同時にこなす。とっても、忙しい舞台なのだけれど、息がぴったりで、まったく忙しさを感じさせずに、洗練された美しさとともに、行われる。登場人物たちは、山崎さんの演出の上では、絶対に、ばらばらにならない。役者の身体を通して、手拍子のリズムを通して、舞台と、繋がっている。

    それによって、とっても孤独なキャラクターも、一人の役者を通して、別のキャラクターになることで、不思議な、つながりが生まれるのだ。

    例えば、今回。孤独な皇子、クロートン。原作では、憎しみを抱いたまま、何の救いもなく死んで行くだけの彼が、この演出によって、救われた、と思った。

    クロートンの首なし死体を、ヒロインのイモージェンは、自分の恋人の死体だと勘違いして、嘆く。山崎さんは、ひとこと、死体に、「彼はまだ生きているよ」と、原作にはないセリフを語らせる。まず、つながりが、ひとつ。このセリフで、憎しみで凝り固まっていたクロートンの中に、赦しのかけらが、生じている。

    直後、クロートン役の戸谷昌弘さんは、クロートンを殺した男の兄、行方不明の皇子として、登場する。殺す側と、殺される側が、戸谷さん(素晴らしい演技!)の軽快な入れ替わりで、鮮やかにつながるのである。

    復讐が復讐を呼んで、複雑に絡まった物語は、最後、鮮やかに解きほぐされて、「赦し」の結末を迎える。クロートンを殺した真の皇子を、王は赦す。同時に、真の皇子は、自分を捨てた(ホントは違うけど、複雑なので、とりあえずこういうことにしときます)王を、赦す。このとき、殺された皇子と、殺した(側の)皇子を、同じ役者が演じていることで、あの、憎しみにこりかたまったまま殺されたクロートンも、赦し、赦されているように、僕には、見えた。

    よどみのない、職人たちのパフォーマンスは、大人も子供も、観客全員を、繋げてしまう。近くの席で、小さな子達が、複雑な人間関係を、兄弟で、パンフを確認しながら、身を乗り出して、追っていた。女子中学生のグループが、帰りがけに、みんなで、手拍子を真似して、盛り上がっていた。

    僕は、はじっこで、涙と鼻水で、ぐちょぐちょになっていた。

    そうそう、来年は、『マクベス』みたいです。

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