兄弟 公演情報 兄弟」の観てきた!クチコミ一覧

満足度の平均 4.0
1-3件 / 3件中
  • 満足度★★★★

    隣国
    “現代中国で最も過激な作家”と呼ばれる余華の長編小説の舞台化で
    休憩15分を挟む2時間45分の作品。
    尺の長さを感じさせないテンポの良い展開で、
    怒涛の流れに揉まれながら生きる市井の人々が生き生きと描かれている。
    良くも悪くも極端な中国という国にあって、人々もまた共産主義から爆買いへと走る。
    ただ、極端から極端へと大きく振れ、モラルをかなぐり捨てるのもまた
    “成長のエネルギー”と呼んで肯定する、その国民性にはどうしても距離を感じる。
    が、それこそがこの作品の真価なのだと思った。

    ネタバレBOX

    舞台正面奥には階段、左右には黒っぽい抽象的な壁が1枚ずつ立っている。
    時が移って資本主義流入後になると、その壁がくるりと回って裏を見せるのだが
    生活感・雑多なイメージが、一転してシャープでモダンな柄に変わり効果的だった。

    リーガンとソンガンは、親同士が再婚したため、兄弟となった。
    互いを尊敬し合って再婚した両親のもと、二人は貧しくとも仲良く暮らした。
    ところが文化大革命の波が押し寄せ、父は反革命分子として撲殺されてしまう。
    失意のうちに母も病死、兄弟はその絆を一層深めつつ成長する。
    控えめで口下手、理知的な兄ソンガン、対照的に商売上手で行動的なリーガン。
    リーガンが見初めた女リンホンが、実はソンガンを好きだったことから
    兄弟は初めてぎくしゃくする。
    そして常に弟に譲って来たソンガンが、初めて自分の気持ちを表明し、押し通して
    リンホンと結婚する。
    時は流れ、リーガンは商売が上手くいって大企業の社長となる。
    一方ソンガンは、盤石なはずの国営企業が倒れてから人生が傾いていく。
    健康を損ね、家を出て一儲けしようとするが詐欺に遭って帰るに帰れなくなってしまう。
    そのころリーガンは、ついに憧れていたリンホンを自分のものにする…。

    冒頭の悲惨さから、大河ドラマのようなイメージを持ったが
    やがて歴史は”兄弟の絆の強さの理由”を示す背景であって、テーマではないと判る。
    奔放で自己チューな弟のリーガン(南保大樹)がいかにもおおらかでのびのびしている。
    対する兄のソンガン(能登剛)は常に弟を守ろうとするが、
    結婚だけは譲らない芯の強さがあり、ラストの悲壮な決意を予感させる。
    冒頭の“8歳”という設定が若干苦しかったが、それはいつの間にか忘れて
    二人のメリハリの効いた台詞に惹き込まれた。

    「兄弟じゃないか」「兄弟なんだから」という言葉が、
    時に支えとなり、時に枷となるのも、血のつながりが無い分哀しく切ない。

    この強大で矛盾だらけの大国では、即座に対応してうまく立ち回る者が成功するのだ。
    その陰でソンガンのように実直で優しい人間は生きるのが苦しくなる。
    ラスト、ソンガンの選択は何かを変え得るだろうか。
    号泣はしても、すぐにリーガンとリンホンは自分を責めることに飽きて
    また歩き出すだろう、自分の欲望の方向へ。
    自己の欲望を他者の心情よりも優先させる瞬間に、ためらいと罪悪感が薄いことが
    違和感の理由であると思う。
    原作はその違和感を容赦なくさらけ出したからこそ自国でも物議を醸したのだろう。
    脚本・演出はそこを忠実に、ストレートに舞台化していると感じた。

    中国という国をテレビのニュースとは違い、裏返して内側深く見せてくれた舞台だった。




  • 満足度★★★★

    東演の舞台をしかと観る。
    東演パラータという劇場に昨年、十数年ぶりに訪れ、文化座との合同公演『廃墟』を観た。この公演が「東演」初観劇だったが、他劇団からの客演(及び文化座)俳優の出色に比して、東演俳優が(次男役南保以外)どうにもショボく見えた。コンスタントに公演を打つ東演の、ベリャコーヴィチ演出舞台の評判等も耳にしながら見逃してきた感あり、今回改めて「東演」舞台を観劇した。
     初演はアトリエだが、今回はあうるすぽっと。石井強司美術は躍動感があり、広くて高い舞台を存分に使い、中国のとある時代のとある家族のお話が繰り広げられていた。開演45分程度で15分の休憩、ところが終わってみれば2時間40分、この後半の長さに気づかなかった自分に驚いた。
     それぞれが連れ子を持つ同士の再婚で出会った「兄弟」が、絆を確かめ合い、成長し、早くに親二人を亡くした後も二人三脚、「似てない」からこその紐帯を育みながら大人になって行く。親を亡くす悲運は文革によってもたらされ、その後市場経済導入による矛盾をも超えて、弱肉強食のルール(無ルール)が到来した社会が、兄弟を悲劇的顛末へ誘う。
     これらが、南保演じるリーガンのキャラとも相まって、テンポ良い「経過を端折る」脚本と演出のなかでコミカルに展開する。
     全体に分かりやすい舞台処理と、はっきりした口跡と演技で、ほぼ人の一生を語る「大きな物語」が壮大に、可愛らしく語られており、大きな舞台を得意とする、基本的にはうまい役者の集団に思えた。
     物語としては、最後まで人を愛し続け、しかし死んで行った芝居の中心人物の「愛を伝えながら自分は死ぬ」という矛盾は、その事実に直面して懊悩する受け手が存在しなければ、ただただ惨めな敗北者としてある矛盾で、そうならない事で救われた物語、ハッピーエンドだと言える。脚本上の配慮だが、実際にはむき出しの「資本主義」(と社会主義という建前との間での)の犠牲者が、この物語の背後に(現実に)数多あるのだろうと想像させるものがある。
     一方、日本はどうか・・それはまた別の話、と1クッション置いて観れてしまう芝居でもあって、「私たちの現場」に直結しない「浮いた」感じがなくもないが、中国現代史を物語で味わう面白さは、芝居の背後にずっと流れている。
     語り部二人を置いて物語を「解説」するだけでなく観察者(観客)としての感想を代弁して、観客の視線を誘導し、また緩衝材の働きもして、それによって舞台全体は雄弁になった。 

  • 満足度★★★★

    見事に再構築された舞台作品
     上巻の文革篇、下巻の開放経済篇と原作はかなりの長編で(舞台化ということでやや個々の人物描写が浅くなったり説明的になったりすることはどうしても避けられませんが)、それでもそのよさを活かしながらうまくエピソードを紡ぎ見事に再構築されていた脚本演出家の手腕そして堅実な出演陣の熱演が光る舞台作品になっていたと思います。
     上演時間は約2時間45分(途中休憩15分を含む)。

    ネタバレBOX

     いのうえ歌舞伎《黒》『乱鶯』に登場する黒部源四郎の
    「時流に乗れぬ者が滅びるのは世の常よ」のせりふではありませんが、
    それをあたかも地で行くような物語(特に後半に)が展開しますが、実によく
    人間の本質を突いているというかあさましいまでの人間の姿が描かれています。
     また、後半特に性的な描写が結構ありますが、そこはやはり演劇集団
    「西瓜糖」の演出家の面目躍如ということでなかなかうまく演出されていた
    と思います。

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