紙風船 公演情報 紙風船」の観てきた!クチコミ一覧

満足度の平均 4.3
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  • 満足度★★★

    微妙になった夫婦関係は…
    夫婦とは不思議な存在かも...。生まれ育ちも違う男女が基本的には生活を共にする。この紙風船が描かれた時期は、今から90年ほど前であるから、生活様式は少し違うかもしれない。
    さて、本公演での夫婦関係はその衣装や考え方が現代のような感じである。その描く情景も現代のような気がするが、映像テロップ、映写風景が大正から昭和初期のようである。例えば、1925年、目白文化村(めじろぶんかむら)の第三期分譲の案内など、当時の広告または新聞と思われる写真が投影されるが、その意味するところはなにか?
    説明にある、庭に面した座敷での夫と妻の会話。 夫が縁側の藤椅子に座り、新聞を読んでいる。 妻はすぐ近くで編物している。 夫婦の話はその性格・人柄が如実に表れるもの。
    その内容とは...。

    ネタバレBOX

    梗概は、平凡な若夫婦の日曜日。退屈をもてあまし、妻がどこかに出掛けようと提案している。夫は出掛けるにはもう遅いと、相手にしない。そこで2人は思いきりぜいたくな旅行の空想の遊戯にふける。その空想する旅先が湘南方面で、実に楽しそうである。しかし、何気に現実を意識するとき、互いに心の空白を感じないではいられない。妻の夫にかまってほしい、一方の夫は自分の世界に浸り妻にじゃまをしてほしくない。その2人の心のすれ違い、不安は、隣の家から舞い込んできた紙風船を突き合うことによって和むような…。

    舞台セットは、新宿眼科画廊スペース0という小空間…そこは白を基調にしながら、色彩豊かな旅先名所のイラストが描かれている。中央にはテーブルと椅子。テーブルの上には絵筆などの画材が乱雑に置かれている。客席正面の壁の一角はスペースになっており、そこに画用紙を貼り、夫婦で絵を描き出す。その身体的動きが、空想する旅先をイメージするもの。この空想から現実に立ち返った時、手持ち無沙汰になった”間(無言)”がずいぶんと長く感じられる。確かに会話が途切れているが、芝居という観る者がいることを意識すれば、例えば「茶を飲む」「縁側に指文字を書く」などの無言動作で心情表現する工夫があってもよいと思う。完全な二人芝居で逃げ場は ない。それだけに平凡な夫婦における、ありきたりな会話の中に危機感を滲ませるのは難しい。それゆえ、繊細な男女の心理を描くだけではなく、独自の演劇空間を作る必要があると思うのだが。
    この公演は、現代と大正・昭和初期という書かれた時代の並列描写なのか。そのあたりが分かり難い。

    先日、新聞に「夫婦生活を充実させるための習慣」という記事が掲載されており、それによると第1位は「相手を尊重する・思いやる」ということ。逆にあまり幸福と感じていない人のトップ3は、「お互いに干渉しない」「相手を束縛しない」「適度な距離感を保つ」で夫婦間の距離を感じさせるもの。時代を経ても夫婦の有り様は難しい。ちなみに新聞記事のアンケートは、50~60歳代が対象。この芝居は結婚1年という設定からすればなお更その思いを強くする。

    舞台美術は現代風…アトリエという設定で描きながらの空想旅行も斬新だ。演技も悪くはないが、やはり夫婦という感じが醸し出せていないため、違和感が…。

    次回公演を楽しみにしております。
  • 満足度★★★★★

    無題1792(16-082)
    19:00の回(曇)。

    18:30受付、開場、なんとなく先日と同じ席に座りました。

    ぐるっと見渡すと「創業昭和15年」世界堂の袋を発見し然もありなんとひとり納得する。

    リピート2回目です。青空文庫とネットの(過去公演)劇評で予習+復習しましたが、観ていない劇の批評は参考にならず、結局、最初の1回目が刷り込まれていることを自覚。

    19:01前説(70分)、19:05開演~20:10終演。

    前半がフルカラーだとすると後半はセピア色でしょうか。並列的な構成がようやく見えてきました。

    「10円」はゴミ箱に入らず。

    やはり一人身勝手な男は嫌いだ...

  • 満足度★★★★★

    無題1789(16-079)
    19:00の回(曇)。

    18:30受付、開場。入って右に客席、桟敷の位置に「木」、後方にも席(2重ザブトン)、満席。

    テーブル、椅子などのほかはたくさんの絵の具類、絵筆、床にブルーシート。

    向かい側の壁一面にイラスト...テーブルには紙風船が置いてあります。

    19:02前説(60分)、19:05波の音、開演~20:09終演。

    岸田さんの戯曲...ですとまず観ないのですが、毛利さんが出ていらっしゃるので観に来ました。

    二人芝居ですが、とても巧い間の取り方で、声のトーン、表情などもよかったと思います。

    もちろんこのお話しは知らないので、後半、イラストに書かれていることも「そういうことか」と楽しく観ることができました。

    こちらは初めて。毛利さんは「あの記憶の記録(2012/11@DECO)」「太陽とサヨナラ(2013/10@吉祥寺)」「Soundtrack(2015/12@上野)」。宮崎さんは「地獄任侠観音烈伝(2014/6バビロン」を観ていました。

    戯曲と今との間を行き来しながら、気まずい「間」を挟みお話は進む。
    大船は実家があったところで、江ノ島にはよくモノレールで行ったし、水族館にも行きました。鎌倉なら、北鎌倉、明月院手前の「葉祥明美術館」。

    せっかくの機会なので検索してみたところ、オクムラ宅公演、カトリ企画UR公演などがあり目を通してみました。そして、青空文庫を斜め読み。「この夫婦」の関係について考えてみますが、結局はずっとこのままなのだろうと思う。子供ができたとしても。

    開演前、天井をみあげると照明の影がくもの巣のようにみえるなぁ、と思っていました。終演後、それはこの夫婦がもう囚われて抜け出せないということなのだよ、といっているように思えてきたのは、なかなか刺激的でした。

    先日「同性婚のリアル(東小雪, 増原裕子著」を読みました。そこにある「夫婦」と「この夫婦」との違いはなんだろう。

    仲睦まじい夫婦、なんとなく続く夫婦、ほとんど疎遠な夫婦、いがみ合う夫婦、別居している夫婦...人と人...親子でも友人でもつながりが生まれますが、つながり続けるためには何が必要なのでしょう。

    でも、続くことが必要なのでしょうか。こうありたい/こうありたかった、ものではないときも。

    終わってから、自分だったらこうするのに...という感情は、実際の自分をどこかにおいてしまっているからできるのだろうと思うのでした。

    照明の飯塚さんは、妖精名義では「うなぎ」さんで、妖精大図鑑公演では奇怪なメイクと振付で会場を沸かせてくれるのでした。

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