梅津和時プチ大仕事 番外編 公演情報 梅津和時プチ大仕事 番外編」の観てきた!クチコミ一覧

満足度の平均 4.0
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  • 満足度★★★★

    人間の姿
    極めて主観的な感想だが、勅使河原氏が人間の姿そのものに見えた。

    ネタバレBOX

    私はダンスについては詳しくない。そのため、いつも以上に主観的な感想になる(主観以外の感想なんて、あらゆる表現にない訳だが)。

    梅津氏と山下氏の演奏の素晴らしさは言わずもがな。
    梅津氏は音そのものが凄いと感じた。
    山下氏は演奏が凄いと感じた、特にゆっくりした部分。
    それは「瞬間」と「持続」との違い。
    その二つの強度が絶妙に交わりながら私の胸に迫る。
    その両者に、どう勅使河原氏が対峙するのかという点が見ものだった。
    大きな流れとしては二人の演奏に勅使河原氏が合わせて踊っているように見えた。それはそれで鮮やかな瞬発力だとは思ったが、私個人はその点にはそれほど惹かれなかった。むしろ、時折顔を覗かせる、その音楽に乗らない、流されない、踊らされない身体が屹立する瞬間。それがとても魅力的だった。どこまで勅使河原氏が自覚的にやっているのかは不明。
    それを意味に落とし込んで解釈することは芸術を愚弄する行為だとわかった上で、それでも今日は解釈したくなる。
    統一地方選(前期)の日だし。
    音楽は人を踊らせる。そして人は自らが踊っているのか、踊らされているのかわからなくなる。音楽に合わせて踊ることは協調であり、それは幸福な瞬間でもある。だがそれは見方を変えれば、同調でもある。踊らされずに踊ること。協調しながらも自立した旋律を奏でること。それは可能か。
    梅津氏と山下氏の演奏は完璧に自立しながら協調していた。素晴らしいバランスとも言えるし、反面その点が上手く行きすぎで物足りないと思う自分もいる(私は未完成のものの方が好きなので)。その点、勅使河原氏は完全に協調している訳でも、流れに抗っている訳でもない。時に協調し、時に流され、時に目覚め自立する。とても人間らしいと思った。
    いずれにせよ、これは「解釈」という愚劣な行為。
    本来は踊りを踊りとして、音楽を音楽として受け取ればそれでいい。
    それでも勅使河原氏の踊りが人間の姿そのもののように思えてならなかった。

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