UPLS :舞台「評決」
昨夜、八幡山ワーサルシアターに木村美佐さんが出演される、UPLS第9回公演「評決」を観に行って参りました。
「評決」は、アガサ・クリスティーの原作ですが、クリスティーには珍しくミステリーと言うよりは、ロンドンの郊外の古いフラットの一室で起こる、濃くて切なくて胸が痛くなるほど息詰まる人間ドラマです。
治る見込みのない難病にかかった妻を愛し、倦む事も諦める事もなく、献身的に支え続ける、中込俊太郎さん演じるヘンドリック教授。
一見すると、良い夫であるが、元を糺せば友人を助けるために自分が国を追われる結果となり、ロンドンに逃れて来た為に妻は病を得たのかも知れず、彼の自分の理想や信念へのこだわり故の優しさが、妻や妻のいとこであり、ヘンドリックを心密かに愛し続けているライザ、幼稚で身勝手な愛を振りかざして迫るヘレンを傷つけ、苦しく辛い思いをさせている事に気づかず、そのヘンドリックの人としての理想と誤った優しさのせいで、ライザが窮地に陥り、失いそうになってもまだ、自分のその理想と優しさが残酷な刃となっている事を認めようとしない態度に苛立ちを覚えるヘンドリック教授として目の前に佇んでいた。
ライザが自分から去って行こうとしているのを目の当たりにして、ライザがいかにかけがえのない存在か気づき、自分の理想と残酷な優しさが周りの女性たちを不幸にしたのかも知れないと認めはしたけれど、結局はヘンドリックが変わることはないような気もする含みを持たせたヘンドリックと言う人物として生々しく存在していた中込俊太郎さんが素晴らしかった。
木村美佐さんのライザは、この舞台の登場人物で実は、私が一番感情移入して観た女性。いとこであるヘンドリックの妻、アーニャを心から想い愛し、献身的に看病をしながらも、長い間決しておくびに出す事もなく、心深くヘンドリックへの愛を胸に秘めて、ヘンドリック夫妻を献身的に支える切なくて、強くて、脆くて、本当の意味で優しい女性。
一番冷静にヘンドリックやアーニャ、ヘレンの事を観ているが故に、やがて訪れる悲劇を予感して怯えてもいる。
ヘンドリックのような、男性を愛してしまった為に、傷つき、苦しみ、愛し続ける限り、その不毛な切なさと痛みと諦めから解放されることはないのに、なおヘンドリックを愛し続けるライザを見ながら、実は、十数年前の自分の姿を重ね合わせて、一番感情移入をしてしまった。
私の場合は、私と出会う前に泣きつかれ助けたにも拘らず、謝罪の言葉も連絡もなく行方をくらまし、その尻拭いの為に自分の生活を、ひいては人生を犠牲にしてもなお、責任を感じて尻拭いし続けている彼に、ライザと同じような気持ちを抱きつつ、ある日突然、彼が「君と歩いて行く事を考えたけれど、いつ終わるか知れないこの状況のままで、このまま君と付き合い続けて行くことは出来ない」という別れのメールを残して、私の人生から立ち去るまで、ライザのように時に彼の誤った優しさに苛立ち、それでも愛し、変わらない彼の理想に諦め、それでも私を必要とする限り傍にいようと思ったり、ライザの姿は当時の私の姿そのままだった。
きっと、今もライザのような女性たちは、世界中にいるのだと思う。そんなリアリティを持った生身の女性として目の前に佇んでいた木村美佐さんのライザは本当に素敵でした。
登場する全ての俳優さんが、俳優さんとしてではなく、登場人物その人、いえ、生身のその人物として、目の前に立ち現れ、それぞれの立場、それぞれの感情、それぞれの愛から吐き出される息が、見えない濃い空気となって立ち籠め、胸が詰まり、息を詰め、息を殺して見詰めた2時間ちょっと。
愛は人を愚かにする。でも、愚かだから人は誰かを愛するのであり、恋は落とすものではなく、落ちてしまうものであり、落ちてしまった先にどんな愛が待っているのかは、誰も知らない。
行き着く先が自分の望むものでなかった時、その愛からさっと降りてしまえるのが恋で、降りたくても降りられず、立ち去ろうとしても立ち去れず、立ち戻ってしまう、自分ですらどうしようもないのがきっと愛なのでしょう。
だとすれば、最後のライザの放った言葉は、愛であり、そしてやっぱり、愛はおろかで、だからこそ愛おしく、「評決」とは、人が誰かに下すものではなく、自分が自らに下す、「愛」と言うものへの「評決」なのではなかと思った舞台でした。
文:麻美 雪