第三帝国の恐怖と貧困 公演情報 第三帝国の恐怖と貧困」の観てきた!クチコミ一覧

満足度の平均 3.7
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  • 満足度★★★★

    ブレヒトの言葉は舞台で聴け
    東京演劇アンサンブルのブレヒト第一作だったという。60年を刻んだ今も軸のぶれない劇団が<化石化>しない理由は、傑人ブレヒトの言葉にあるのかも・・と、言えるかも。『第三帝国の恐怖と貧困』の言葉はゴツゴツとして画家のデッサンのようなストイックな噛み心地がある。亡命者ブレヒトの<遠きにありて>筆に込めた思想、情念の結晶。『三文オペラ』他の長編が(書かれた時期は早いが)脂の乗った円熟をみせるのと違って、どの言葉もヒリヒリと抑制された鋭さがある。本作に収められている長短の独立したシーンは、1933年ヒトラー政権奪取直後からのドイツ国内の特定の地名と特定の年に起こった出来事として書かれている。判りづらい箇所も多いが、それは背景となっている時代状況や固有名詞が判らないからでなく、この作品に際立っているブレヒト流の修辞の複雑さの為せる所と思う。
    さて舞台。今回初だろうか、主役を張れるベテラン俳優の演出で、三方の客席に囲まれた「路上」を演技エリアとし、薄くまだらな客電が演技中でも灯るなど独特な照明も印象に残る。(戯曲にない)ブレヒトの詩、群舞等を織り交ぜた構成も悪くなかった。音楽は多用されていないが折節に印象的な曲が生のピアノで奏でられる。特にジャズ風の曲が中盤で艶っぽく場内を潤し、効果を上げていた。劇団挙げての公演、特に若手俳優が多数出演し、前半ではベテランとの力量差であろう「シーンの判らなさ」があったが、なべてこの重厚な劇をよく作り上げた事への感動が湧いてきて、終劇後も去りがたいものがあった。
    この時代をどう見るかでブレヒトの言葉の響き方は違って来るかも知れない。否。「どう見るか」以前に「見えない」自分がおり、だから聴きたいのだと思う、本当の恐怖の時代に<笑>を(笑の許される土壌を)鋤き耕し掘り出そうとした、彼の言葉を。

  • 満足度★★★

    東京演劇アンサンブルってこんなレベルだったっけ?
    休憩含み3時間は、長く感じた。
    面白ければ、そんなことは感じないのに。

    ネタバレBOX

    思わせぶりなオープニングとエンディング、それに挟まる14のエピソード。

    冒頭で全員が声を合わせる台詞が聞き取りづらい。
    合唱では、歌詞がちゃんと聞き取れるのに、台詞ではダメとはどういうことなのか。
    それをきちんと考えてみてほしいと思う。

    最初の3編が特に酷い。
    いかにもお芝居してます、というような「演技」と、台詞ではなくト書きを読んでいるような棒読みの印象。台詞が今の言葉でないからか、役者の身体に入っていないと感じた。ある程度はいいと思える役者さんも、低いレベルの役者さんと組み合わされて、悪い結果となっている。


    前半終了したところで、帰ってもいいかなと思ったほど。

    突撃隊と政府の偉い人と繋がっている人との裁判で、「時勢」と「保身」のために、どうしたらよいのか追い詰められる判事が描かれる「法の発見」、息子に密告されるのではないかと怯える夫婦を描く「スパイ」は、脚本は面白いと感じた。

    このままで、この時代の世相を皮肉に笑い飛ばそうとしている、苦い喜劇になり得ると思ったのだ。
    しかし、そうはならなかった。かと言って、悲劇にもなっておらず、非常に中途半端。

    判事が、周囲が冷静なだけに、追い詰められてカバンすら忘れてしまうという様は非常に滑稽であり(「法の発見」)、また息子に密告されるというのも、妻が、「自分はそこまで言ってない」と夫に言わしめるような、政府への批判めいたことを口走ってしまうというのは、まさにコメディであろう(「スパイ」)。妻のその言葉は、妻を含めて、当時誰もが思っていることなのだから。

    そういったことをうまく汲み取って見せてくれないと、このエピソードが活きてこないのではないかと思った。

    また、「ユダヤ生まれの妻」は一人芝居のような前半から、夫が出てくる後半になって、「一人芝居」の「意味」が見えて来るエピソードだ。
    ユダヤ人の妻には、夫は優しく、夫のために出ていこうとする妻を止めようとする。
    ここが「演劇」としての「一人芝居」かと思っていたら、夫が出てくることで、「妻」の「一人芝居」であることがわかる。
    「本当の夫」が登場すると、妻の一人芝居に出てくるような夫ではなく、自分の保身ためにユダヤ人の妻には出て行ってほしいと、心の底では思っている夫であったことがわかる。
    幕切れに「ほんの2、3週間だけのこと」と言いつつ、妻がコートを取ってくれと言うと、夫はそれに手を伸ばしてしまう。妻の一人芝居では、そうではなく、「コートはいらないのでは」と言ってくれる夫だったのに。

    短いながらも、夫の本心が炙り出されてしまった苦いエピソードになるはずのものが、残念ながらこの作品では心に迫ってこない。
    妻の演技が、意外と一本調子で(特に電話のあたりでは)引き込まれるような演技でないことにも問題があるが(後半はとてもよかったが)、それよりも、演出が功を奏していない。

    妻の一人芝居は、観客にじっくりと見せるべきではなかったのか。
    それを、舞台の上を台車に乗せてゆっくり移動させながら、妻の一人芝居を見せてしまうのだ。
    例えば、スポットライトを当てて舞台の中央に妻のデスクを配し、観客の意識を集中させるべきであろうこのシーンを、わざわざ移動させてしまうことで、観客の集中は削がれてしまう。ざわざわ、わさわさしてしまうのだ。

    これは「裏切り」のエピソードでも同じ。非常に短いエピソードなのだから、夫婦の密やかな会話を集中させて見せ、スパッと幕切れさせたほうがよかったのではないだろうか。
    それを移動する台車に乗せて見せるので、歯切れも悪い。
    照明付きの台車がゴトゴトと動くし、それを引っ張る役者さんも見えているのだから。

    役者の演技に対して信頼がないのか、それとも「変わった演出」を見せたいのかどうかはわからないが、私には納得のいくものではなかった。

    もちろん悪いものばかりではない。
    「職業斡旋」は、夫婦を演じた2人の役者がとてもいい。息が合っているし、台詞のきちんとしている。
    「釈放者」も、短いながら、夫婦の気持ちが伝わってくるようだった。
    そして、生演奏と歌のパートは好きである。

    ラスト、ドアからロビーのほうへ役者が出ていくのだが、ロビーが見えてしまうのはいかがなものか。暗幕を張るとかロビーの照明を消して逆光になるようにライトを点けるとかできたのではないだろうか。奥の座席からは見えないにしても。そういう細かいところへの気配りも大切ではないだろうか。

    14のエピソードは、ゾッとするものや、あとからじんわりと恐くになるもの、心に底に残るもの、ビターな味わいの喜劇調のもの、と、一方向からの描き方ではなく、戯曲の段階でバラエティに富んでいる。さすがにブレヒトの戯曲は面白いと思った
    だから、変に演出せずに、それぞれのエピソードに沿った演出で十分だったと思う。
    また、役者も、演じさせればわかるのだから、「このレベルでは……」という役者は排したほうかがよかったのではないかと思う。劇団内の序列や人間関係は観客には関係のないのだから。

    もっとレベルの揃った役者で、「何をどう見せるのか」をはっきりとさせた、きちんとした演出で、この作品をあらためて見てみたい。

    正直、東京演劇アンサンブルを初めて観たのがこの作品だったら、たぶん次はない。
    武蔵関は遠すぎるし、あんな席で、休憩入れて3時間というのは、観客のことをあまり考えてないと思うし。

    細かいことだが、当日配られた年表中、ニュルンベルク法の記述には、主語、つまり「ユダヤ人は」がないのでわかりづらいのでは。単に「ユダヤ人の公民権を剥奪した」でよかったのではないかとも思った。

    本筋とは関係ないが、日本人はドイツの軍服が似合わないなと、つくづく思った。
  • 満足度★★★★

    戦争を止めるには・・・
    劇団チョコレートケーキの『熱狂』ではナチスの内部から独裁政治から戦争へ向かう話が描かれたが、

    ブレヒトによる本作は市民の生活からの戦争を描いている。

    訳者は左翼演劇の重鎮であった俳優座の故・千田是也。

    ナチスドイツの話ではあるが、いまの日本を思わせる台詞がたくさんあって身につまされた。

    心の中では疑問をもっても、監視され言論統制されているなか、息が詰まるような毎日を送っている民衆。

    その根底には貧困の問題がある。戦争と貧困はいつも表裏一体。いまの日本も政府のお題目とは裏腹に庶民の暮らしは一向に楽にならない

    東京演劇アンサンブルの特徴は、俳優たちが台詞を覚えて稽古するだけでなく、毎回、自身の問題としてテーマにじっくり向き合い思考を重ねていること。

    今回も福島の原発に関する裁判や沖縄の辺野古やヘイト・スピーチなど市民の視点で取材してパンフレットにリポートを載せている。

    日本とドイツが戦争に向かった経緯や戦後処理などについても、大学の研究者による詳しい解説が年表と共に書かれていて充実した内容になっている。

    独裁的な権力者によって国家が戦争へと突き進もうとするとき、市民の立場で戦争を止めるにはどうしたらいいのか焦燥感にとらわれた。

    ネタバレBOX

    「新聞には本当のことが書かれていない」という台詞が日々、痛感していることだけに一番印象に残った。

    街中では親衛隊の目が光っていて、何気ない会話からどうやって反体制的な市民を罠にはめ、あぶりだすかが描かれる。

    市民同士も監視し合う。
    (日本でも戦時中隣組制度があったが、最近、「隣組制度を復活すべき」と言う政治家が出てきたのは驚く)。

    家の中だけでも本音で語り合いたいが、ナチスの教育をうけているので幼い我が子さえ、密告されるのではと疑わねばならない両親。

    田舎へ行けば、おなか一杯食べられるのではと夢見る娘を突き放すようにみつめる現実を知る母親。

    愛し合っていても、ユダヤ人である妻は夫の身を案じて国を去らねばならない。

    「国のために命を捧げよ」と教育される少年たち。

    まったく戦時中の日本と変わらぬ抑圧された生活がそこにはある。

    オムニバス形式で14場で構成され、俳優は複数の役を演じているが、各場面のつながりを感じさせるところとそうでないところがあるので、

    ややスッキリしない思いが残る。

    台詞では役名があるがパンフには職名しか書いていないので、できれば役名も併記してほしかった。

    終幕、群衆の間に流れる長い白い布はさまざまに連想できるが、私には死者の魂のように書案じられた。

    白い布は小さく丸められ、みどりごのように女性の胸に抱かれるが、その布が繭のように女性の体を覆って劇は終わる。

    このラストをどう解釈すべきか私にはよくわからなかった。




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