満足度★★★★
無料であること
ステージが十字状で客席から全体が観難い、研修生という限られた人員からの配役であるためミスマッチかな、と思える人がいたりと、イマイチな部分はなくはないが、無料でこれだけのものが観れたのは非常に有難かったですね。
満足度★★★★
熱演。
必死の形相が残像として瞼に映る。新国立劇場Cリハーサル室という場所での公演は、役者が間近で演技しても選良?の清潔感を失わず。『親の顔が見たい』でも主にアッパークラスな人達を素晴らしく判りやすく演じ分けていた彼らだが、今回はギリシャ悲劇を翻案したらしき作品である事から推測されるが、難易度高し。
しばし会場について少し。地上から階段を地下へ降りてさらに長い廊下を進む。新国立劇場はやはり広い。着いた会場は長方形、十字の通路で区切られた四つの客席エリア(それぞれ32席、計128席)は、長方形の長辺を背に向かい合う形で階段式。周囲は防音マットを貼り付けたクリーム色、天井はそこそこ高く照明がつってある。十字に渡した通路の先端は、ドン突きと左右に逃げる袖とも黒。観客もここを通って客席エリアに入り、座る。通路は白で、壁も白系、通路の先端が黒というのは奥行き感的に悪くない。十字の長い方の一つは先端に向けて下り坂、そこから衛兵や伝令などが出入りする。対する通路には王座が置かれている。私は最前列で座席より高い通路の上の演技を見上げ、王の横顔を見る位置だった。・・長い紹介をしたが、これは紀伊國屋演劇賞を受賞し立ての伊藤雅子の舞台装置だそう。人物の関係や出はけの整理にかなり貢献していた、と感じた。四方の客席エリアを向いた頭上のスピーカからは、開演後ヘリの旋回する音、以後も舞台の時代設定とはかけ離れた「音」が臨場感を醸して違和感がなかった。
さて芝居のほう、戯曲の「言葉」の多さは書かれた時代の「今」に呼応したもののようで、戯曲紹介のレベルに堕ちそうになりながら、若い俳優らの熱度によって最後まで目をこらして見ることが出来た。アンチゴーヌの「意志」の行方が、王の「真実」(恐らく)の告白によって揺らぐ終盤が話のミソではあるが、にもかかわらずアンチゴーヌは(謀反人とされた)兄を弔う意志を曲げず、現場を衛兵に目撃された事もあって本当は死罪を回避したい王も彼女の「協力」なくして放免も出来ず、ついに・・という展開。
ただ、もし王の語る「真実」が本当に真実ならその事を(可能性として)想定しなかったアンチゴーヌの察知力の無さ、もしくは「真実を覆おうとする何がしかの願望」の存在が問題化しそうなのだが、、「意志」一本で説明してしまった感が残るのは戯曲のせいか。王の言った事が真実であっても、「にもかかわらず」ある態度を貫く、ということをどう理解するかを考えるためには、「問い」を投げ置く演技でなきゃならん所、全体として、なにか物語は解決したかのように見える。王が真実を語っていない、という演技プランは本から浮かんで来そうだがその線だと話が判りやすすぎか。ただ、「厳しい時代をある意味で純粋に生き抜いた女性」、と美談に寄せてまとめちゃって良いのか?(戯曲的に)と少し思った。
満足度★★★★
贅沢すぎる無料公演
約2時間弱。予想を上回る面白さで幸福な観劇初めに。ギリシャ悲劇をもとにした1940年代の仏戯曲で、当時の独仏関係が背景にあることは衣装でも示される。十字路の舞台で長台詞をたっぷりと。
Aキャスト、Bキャスト両方を拝見。Aキャストが素晴らしかった!ドラマは何が起こるかわからない(事態好転の可能性がある)けれど、悲劇はサッパリとして、清々しくて、どっしりしていて、静か。そんな本物の悲劇があった。
主役の西岡未央さんの演技が特に良かった。言葉の表面的な意味を説明するのではなく、シンプルに目的に向かい、欲することを実行する演技。恐る恐る探ったりしない、ただそこに在って、命を燃やす存在。垂直に立ち上る火柱のような。
満足度★★★★★
A・Bプログラム
初日にA・Bの両プログラムを観ました。二人の女優さんが役を交替しているだけなのに、全く違う作品が立ち上がっていて、舞台はナマモノだと再認識しました。1つは純粋で1つは悪意を持つアンチゴーヌに見えました。それに伴いクレオン王は恐怖と憎悪がそれぞれに見て取れました。さて、どちらがどちらのプログラムか、そしてどちらがお好みか、自分の目で確かめてみては。