海をゆく者 公演情報 海をゆく者」の観てきた!クチコミ一覧

満足度の平均 4.2
1-4件 / 4件中
  • 満足度★★★

    軽そうにみえるが・・
    感想でも「笑える」というのが多いけど、私はかなり心に重たいモノを抱えてしまいました。
    よくできた翻訳劇で、最高のキャスト、スタッフです、文句のつけようもありませんが、このアイルランドの戯曲はけっしてダメンズのクリスマスキャロルなんかじゃない・・

    自虐的なアイリッシュ魂の産物に思えてならなかった。
    少数派のぼやきにすぎませんが・・

  • 満足度★★★★★

    孤独な「海をゆく者」は、どこへ漂っていくのか
    酒と煙草とポーカーと、クリスマス。
    酒浸りのむさ苦しい男たちの物語。

    完全なるネタバレなので、これからこの舞台を観る人、あるいはもしかしたら再々演もあるかもしれないので、それを観ようと思っている人は、読まないほうがいいと思う。

    ネタバレBOX

    平田満さん、吉田鋼太郎さん、浅野和之さん、大谷亮介さん、そして小日向文世さんという舞台の上で観たい役者が5人も揃っている。
    さらに演出が栗山民也さんということで、間違いのない舞台だろうと思っていた。

    想像通りのいい舞台だった。
    そして、物語の展開には驚いた。

    再演ということもあり、初演の感想や今回の感想などには目を触れないようにした。
    フライヤーも読まないようにしたぐらいに気を遣った。
    ただ、表のデザインを見ると明らかに「クリスマスツリー」である。
    それはわかった。

    ただ、普段はそんなことをしないのだが、劇場に行く前に、ふと原題の『The Seafarer』の意味だけを確認しようと思って、検索してみた。

    最初に出てきたのは、イギリスの古い詩だった。
    その詩には、「主人公の追放者が孤独な航海を続ける悲しみと試練」がうたわれ、そして「キリスト教」的な意味合いがそこにあるらしい。
    しかし、それとこの舞台はさほど関係ないと思っていた。
    なので、「Seafarer」の意味、すなわち「船乗り」「海の旅人」だけを確認した。

    舞台の冒頭、キリストの絵が象徴的に見えてくる。
    額縁に飾られた絵の下にある赤いランプに灯が点き、平田満さん演じるシャーキーがそれを意味ありげに見るのだ。
    そこで気が付いた。
    先の『The Seafarer』というタイトルの古英詩のことをだ。

    つまり、このオープニングを意味しているように、キリスト教的な何かを暗示するような作品ではないのか、ということだ。
    しかも、舞台中央にはクリスマスツリーがある。
    フライヤーのツリーのデザインはこれだ。
    クリスマスはキリストの誕生日なのだし。

    舞台の設定は、現代のアイルランドで、クリスマス・イブからクリスマスの朝までの出来事である。

    シャーキーの兄、リチャード役の吉田鋼太郎さんのテンションが最初から凄い。
    このテンションで3時間近い舞台を行くのか? と思ったら、ほぼそうだった。
    こういうテンションの芝居は、見ていて辛くなることが多いのだが、さすがにそうはならなかった。

    酔っぱらっていて、粗っぽいが目が見えないリチャードが、物静かな弟シャーキーにとってのガンではないかと思うほどの酷さだ。
    しかし、目に見える通りではなかったのだ。

    本当に酷い男はシャーキーのほうであり、そのことがこの舞台の展開にかかわってくるのである。

    その「物語の展開」にはビックリした。
    シャーキーとリチャード兄弟の家にやってきた、唯一背広&ネクタイの紳士然とした男、ロックハート(小日向文世さん)は、「悪魔」であるという。
    シャーキーが牢屋にいたときに知り合い、彼は約束通り、シャーキーの魂を取りに来たというのだ。
    悪魔は、酔っぱらって殴った人を殺してしまったシャーキーと、牢屋でポーカーをして、シャーキーに負けたので、出してやったという。

    その「悪魔である」というのは、文字通りのことではなく、何か別の目的で来た男が比喩のように名乗ったものでないか、と思っていた。
    リアルな舞台が故に、そんな突飛なファンタジー的な要素が入るとは思っていなかったからだ。

    しかし、そうではなかった。
    本当に「悪魔」だった。
    酔っぱらっているのだが、その千鳥足がシャンとする場面があったり、火が付いているはずのストーブを素手でうったり触っても、何も感じなかったり、さらに、ロウソクの炎を一瞬で消してみせたりする。

    フライヤーの写真では、ロックハート(悪魔)の小日向文世さんが、下界の者を、まるで操るがごとく振る舞っている。つまり、そういうことなのだ。

    ここに来て、さらに先の『The Seafarer』という古英詩がクローズアップされてくる。

    シャーキーはアル中で、町の厄介者であり、その行為によって、孤独な男だったのだ。
    「追放者」とも言え、兄の住んでいる家にも久しぶりに帰って来た。

    つまり、そんな男が悪魔に魂を取られてしまうのか、というストーリーなのだ。
    キリスト教とも深くかかわってきそうだ。
    キリストの誕生日であるクリスマスの一夜に、シャーキーは「救われるのか?」ということなのだ。

    悪魔であるロックハート(シャーキー以外はその事実を知らない)を含む5人は、ポーカーをすることになる。
    最後の勝負でシャーキーは有り金以上のものを賭けてしまうのだ。
    それによって魂が奪われることになってしまう。

    シャーキーはロックハートに負け、「壁の向こう側」に行くことになるのだが、あり得ない展開で助かることになる。
    それは、リチャードの友人、浅野和之さん演じるアイヴァン(ド近眼)のカードの手が、実はエースの4カードだったことが判明するからだ。
    それによって、勝者は、リチャードとアイヴァンとなるからだ。

    悪魔であるロックハートは、悪酔いとそのことにうろたえ、倒れてしまうほど。

    この「どんでん返し」には、笑った。
    ド近眼のアイヴァンは、メガネがないと壁にぶつかってしまうほど目が悪い。それほど目が悪いのにメガネがないまま、目の見えないリチャードと組んでポーカーに参加する。
    だから、「4の4カード」だったと思っていた自分の手が、メガネが見つかったことで、実は「1(エース)の4カード」だったと気が付いた。「4」と「1」は「似ているから」ということだ。

    しかし、よく考えてみると、トランプのカードは「数字」だけが書いてあるわけではない。ハートやスペードなどの図柄が、その数字だけ並んでいるわけであって、「1」はそれぞれの図柄が、カードの真ん中に1つだけあり、「4」は図柄がカードの四隅に1つず、計4つ並んでいるのだ。
    たとえ目が悪くても、それも見えないのならば、カードはできない。なにより普通トランプは「図柄のほう」が「数字」よりも「大きい」し。

    そして、いつもポーカーをして楽しんでいる者が、カードの図柄の位置を見間違えることはないのだ。

    つまり、アイヴァンが「何かをした」のではないかということだ。

    ストーリーの後半で、悪魔であるロックハートが、アイヴァンがポーカーで大勝ちしたことを言う。相手の4万ポンドもする船を取り、その相手は自殺してしまう。
    この出来事に対して、アイヴァンもリチャードも触れたくないようだ。
    ロックハートは何か知っているようだが、それに言及させることはなかった。

    アイヴァンはその大勝ちしたポーカーでも「何かやった」のではないか。
    少なくとも4万ポンドという賭けに、アイヴァンは「それに見合うだけの金または物」を賭けることができたのか? という疑問も残る。

    シャーキーと悪魔の取引について何も知らないアイヴァンが、シャーキーを助けることになったのだ。たとえそれが正しい方法でなくても。

    大酒飲みで風呂にはクリスマスにしか入らない兄リチャードは、アル中で鼻つまみ者で孤独な弟シャーキーのことを心から愛しているということが、クリスマスの一夜の出来事の中で語られ、それは、すなわち、悪魔が「あの方」と呼ぶ方が、彼らに味方したということでもある。

    クリスマスにふさわしいストーリーなわけだ。

    リチャードは弟のシャーキーと、友だちのアイヴァンにクリスマスプレゼントを贈り、クリスマスの朝の礼拝に行くと言う。
    信心がシャーキーを救ったのではないかもしれないが、そうかもしれない、と思わせるラストだ。

    5人の役者がとにかくいい。
    兄リチャードを演じた吉田鋼太郎さんは、荒くれぶりの中に、弟のシャーキーのことを考えているということがよくわかる。彼と仲の悪いニッキー(大谷亮介さん)を呼んできたのも、ひとりぽっちのシャーキーのためであろう。
    そうした不器用な優しさがよく表れる演技がうまい。

    弟シャーキーを演じた平田満さんは、目が見えなくなった兄想いであり、アルコールを断っていて、「孤独の海」にいる様子が滲み出ていた。悪魔と出会ってから、さらに気持ちがダウンしていく様もさすがだ。

    悪魔のロックハートを演じた小日向文世さんは、ほかの4人と比べると荒くれ度はかなり低い。
    5人のメンバーの中で一番クールな役を演じるだろうと思っていたら、「悪魔」だった。
    きちっとしたスーツ姿で、あくまでもクールにシャーキーを追い詰めていく。酔っぱらって千鳥足の姿は笑わせるが、核心を突いてくる台詞には恐さが漂う。

    リチャードの友人アイヴァンを演じた浅野和之さんの、少し情けないのだが、リチャードとの友人関係の良さ、リチャードが彼を信頼しているということがよくわかるような演技がいい。
    そして、かなり細かいことを絶えず行っていて、役を見事に見せてくれた。

    ニッキーを演じた大谷亮介さんは、不器用だけど、憎めない感じが出ていた。いかにも失敗しそうなチーズ屋を始めると言っている台詞のあたりの何も考えてない感がいい感じ。

    4人の男たちはそれぞれダメな人なのだが、悪人ではなく、チャーミング。
    悪魔も「悪い人」(笑)ではなく、やはりチャーミングなのだ。

    役者もいいのだが、やはり演出もうまい。
    「笑い」の塩梅もいいし、きちんと笑わせてくれる。
    それぞれのキャラクターがくっきりしていて、その絡み合いがとにかく面白い。
    5人全員が舞台の上にいるときには、絶対何かをそれぞれやっていたりして、それを見るのも面白い。
    アイヴァンが、カードに何かしたのではないかと思っているのだが、その瞬間を見ていないのが心残りである。

    ダメな男たちが集まって、飲んだくれて、ポーカーをしただけの、クリスマスの一夜だったとも言える。

    悪魔は、夜やって来て、朝、去った。

    「孤独の海を航海する船乗り」のシャーキーは、兄が自分のことを心から想ってくれていることと、地元には仲間がいるということを知り、孤独の航海を終え、「陸に上がる」のだろう。
    もちろん、真人間になれるとは思えないが、たぶん「Seafarer」ではなくなる。
    彼の心の中にいる「悪魔」とも決別できたであろう、クリスマスの朝だ。

    そして、クリスマスの一夜に悪魔に出会っただけに、「あの人」の存在を身近に感じるのではないだろうか。

    いいラストであり、終演後の余韻もいい。
  • 満足度★★★★★

    お見事でした
    流石に百戦錬磨の皆様、深さと言うか、重厚感が凄いな
    話しはそんなにスリリングじゃないけど、ただ観ているだけで、
    ワクワクする

    先入観無しにケラケラしてれば、満足なお芝居でした

    それにしても、このキャスティング、面白いなあ

  • 満足度★★★★

    God bless you!
    5年ぶり、呑んだくれオジ様達の芸達者ぶりを堪能。
    初演と比べ、ロビーに溢れる花の量や客席の反応の大きさ、その当時は他公演と抱き合わせ販売やリピーター販売やアフタートークもあったが、今回はそれらを開催しなくても劇場が埋まる公演になった事が感慨深かった。
    その当時も凄い役者さんたちなのに、年輪を加えた盤石さがさらにパワーアップしたような舞台だった。

    いい歳したおっさん達と素性もよくわからない訪問者が、目が不自由で暴れん坊な兄とそんな兄を面倒みている保守的な弟が暮らしている雑然とした部屋で、酒呑んで賭けポーカーして怒鳴りあったりしてたら、いつの間にか夜が明けている、だめんずオジさん達と贅沢な気分で過ごす、一足早いクリスマス時間でした。面白かった。
    カテコ3回。約3時間(休憩15分込み)
    

    ネタバレBOX

    アイルランドが舞台。その宗教観や世界観からか、「聖者」や「天使」「悪魔」「愚者」みたいなイメージが思い出されるような、神の恩恵に関する下地があっての話のような気がする。

    ただ荒れてるだけじゃない孤独を感じさせることを吐露するリチャード。
    前にいても後ろにいても、どこかしら細かい動きをしてるアイヴァン。
    男でも女でも人間恋愛中毒なニッキー、腕のカタカナ名前はどうにかなんなかったのw?
    シャーキーとロックハート、2人の場面では色々と想像が膨らんで緊張とともに集中して見入ってしまった。

    初演同様どなたも好演なのだが、ニッキーだけは見た目か発声の仕方からか、なんか違和感ある場面が多く感じた。役者さんは好きなんですけど‥。

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