人の気も知らないで 公演情報 人の気も知らないで」の観てきた!クチコミ一覧

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  • 体の一部を欠いてしまえば、あらゆる「喪失」の出来事は些細なこととなる
    物語の流れを感じれば感じるほど、
    ある意味戦慄感、ライトに言えば「サブイボ立った」。

     戯曲と、演出、そして演者の技量という
    「三位一体」の密度と精度が際立って良い。
    故に、ものすごく引き寄せられる物語だった。

     ひとつひとつの「失う」という作用がドミノ倒しに
    なって襲い掛かるさまが、「欠けること」や「失うこと」は
    心が痛むくらいかなりやばいことなのだな、
    ということを感じてしまう見後感。

    ネタバレBOX

     それにしても色々と「凝った」表演空間だ。
    「オシャレなカフェ」で起こりそうな、あるいは起こっている「出来事」を
    そのまま「演劇」にして、そのままの場所で見せる趣。
    ・・・福岡で言うたらソネス系のアレか。

     客層も老若男女程よく混ざっているし、いい空気が満ちている。
    それにしてもお昼時、リアルに料理をつくる匂いがするとなぁ。
    気持よくなってとろとろと眠りそうになる、開演前なのに。

     逃げ場がなくなって、演者が普通の生活感抱えて入ってくると
    いつの間にか物語に吸い込まれる。

     シティリビングとか、ぱどとかのああいう「広告」を作っているところで
    働いている女の人三人が結婚式の余興について
    打ち合わせを始めるところから物語は始まる。


     流れを追えば追うほど、わたしがひどく疲れていた頃
    「右足を失う感覚」の夢をよく見ていた。
    内容はなんというか、「根こそぎ持っていかれる」、
    そんな感じを思い出してしまう。

     この「失った」感覚が脳みそに残っているから「そこにいない」女の子が
    お花見の帰り、飲んだくれて自転車に乗って事故に巻き込まれて
    右手を「根こそぎ」持っていかれることが脳みその中でリアルに蘇る。

     事故や何やらで根こそぎ持って行かれて、
    体の一部を「欠けて」、あるいは「失って」しまっても
    わたしは生きていかなくちゃいけない。
    他者が「縋る」ことを許してくれるのであれば縋りたい。
    まあ、「ありがとう」の思いだったのかもしれない。

     そういう「人の気も知らない」で「責任」というものを論じてしまうと
    「責を任ずる(シェアする?)」ではなく、ヘタすると
    「他人を責める」事になってやいないかい。
    シェアする「責任」だったらそれはそれでいいのだが、
    いろんな問題もあるだろうて。

     そういう咬み合わない議論をする中、
    乳がんでおっぱい取っちゃった、という話をさらりとやられたら
    「一度でも体の一部を欠いてしまえばあらゆる喪失の出来事は些細なこと」
    としてシビアになってしまうのかなぁ。
     たとえば、恋人失ったり、そばにいる人が突然いなくなったり、
    仕事の休みがなくなって働き詰めになったり、
    そんなことどうでもいい、になってしまうのか。

     うーん、女の子はかなり過酷な人生を生きているのかもしれない。

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