桜の園 公演情報 桜の園」の観てきた!クチコミ一覧

満足度の平均 3.8
1-6件 / 6件中
  • 満足度★★★★

    大胆な手法
    三人だけで「桜の園」どう演じるかと思っていたが、なかなか大胆な手法を取ってました。ただ、この手法だとある程度物語を知ってないとついて行けなくなるかもと思いつつも、なかなかに面白かったです。

  • 20130804
    (^・ェ・^)はいけんしました!

  • 満足度★★★

    巣鴨教会にて
    出演者3人以外のセリフが簡略化され、客席に与えられた役に話しかける演出に最初こそ戸惑いをおぼえましたがすぐに「桜の園」の世界に入ることができました。

    まあ、ほぼ内容知らないので概要しか受け取ることはできませんでしたけど。
    当日パンフに簡単なあらすじでもあればありがたかったですね。

  • 満足度★★★

    予備知識があったのが幸い
    主要人物3人に絞り、他の人物は台詞も含めて省略するという大胆な手法の小1時間。
    吉田秋生原作・じんのひろあき脚本の「櫻の園」を観て概略・人名と相関関係・一部の台詞などを知っていたのでついて行けたしそれなりに楽しめたが、予備知識なしだったら厳しかったろうなぁ。

  • 演出的に破綻している
    女の子たちが桜の園ごっこをしているようなレベルの芝居。役者はだらしない日常的な動きを繰り返し、台詞はこちらまで来ない。一体なにがやりたいのか分からない。演出的に破綻していると思った。女優3人だけで演じるため、相手の台詞があったものとしてリアクションで見せているのだが「桜の園」を知っている人は分かるかもしれないが、知らない人は何がなんだか分からないのではないか。

  • 満足度★★★★★

    クロサワ・マジック
    って言っていいのでは。

    上映時間55分の『桜の園』。

    そう言えば、『風とともに去りぬ』のスカーレットとラネーフスカヤって、境遇が似ているかも。

    ネタバレBOX

    黒澤世莉さんという演出家の演出は、個人的にとても信頼を置いている。
    「その人ならでは」の「演出家臭」と言うか、「俺だよ、俺」というような自己顕示をプンプンと振り撒く演出家もいるが、彼はそういうタイプではない。

    いつも端正で丁寧に、戯曲と役者(登場人物)をきちんと見せてくれる。「作品」を全面に出してくると言ってもいてかもしれない。
    その作品に一番マッチした方法で見せてくれるのだが、観客にそういった「技」を感じさせず、作品に没頭させるうまさがあると思う。

    で、『桜の園』。
    この作品は、時間堂でそのまま上演したとしても、面白いものが観られたと思うのだが、どうやら事前情報によれば、1時間以内でチェーホフの『桜の園』を上演するという。
    時間という要素は大きい。したがって、どうやって見せてくれるのか興味津々だった。

    劇場内に入ると前方の座席に、紙で作ったゼッケンのようなものが掛けてあった。
    それぞれに『桜の園』の登場人物の名前が書いてある(女優が演じる3役を除き)。
    その席に座った人は、そのゼッケンを付け、観劇するという。
    もちろん、観客本人がやってもいいという同意のもとに行われた。

    ゼッケンを付けた観客は、その登場人物であり、役者がその登場人物(観客)に話し掛けるということになる。
    ただし、観客には台詞や演技の必要はもちろんなく、リアクションも求めないという。
    3人の女優が、それぞれラネーフスカヤ、ワーリャ、アーニャを演じ、それ以外の登場人物は観客となる。

    なるほど、なんとなく「意図」というか、どうやって55分にまとめるのかの一端が見えてきた。

    観客に設定されている登場人物の台詞は、効果を担当しているスタッフが手を叩くことで表現される。
    したがって、例えば、女優が演じるラネーフスカヤが、フィールスに話し掛けとする。フィールスは観客に設定されている登場人物なので、返しの台詞はなく、その代わりにスタッフが手を1回叩く。それでフィールスの台詞となる。したがって、フィールスの台詞は一瞬であり、その手を叩いたこと(台詞の返し)を受けてラネーフスカヤは、フィールスとの会話を続ける。
    結果としてとてもスピーディな展開となる。

    つまり、舞台の上ではラネーフスカヤ、ワーリャ、アーニャの台詞しか聞こえず、それだけで芝居は進行するのだ。

    『桜の園』という戯曲には、「喜劇 四幕」というサブタイトルが付いていることは有名だ。
    先日も、そこをクローズアップして三谷幸喜さんがこの戯曲を上演した。
    台詞や演技をプラスして、「笑い」を作っていた。
    それには、非常に違和感を覚えた。それは「足している」からだ。
    それじゃ意味ないよなあ、と思った。

    時間堂の『桜の園』はどうだったのだろうか。
    実は、早い時期からクスクス笑いが起きていた。
    観客がもっと多かったら、大爆笑になったシーンもあっただろう。
    全編、そんなクスクス感が充満していたのだ。

    それはなぜか。
    それは、3人の女優以外の登場人物を観客が担っているからなのだ。
    観客は黙ったまま、面と向かった女優さんたちに、一方的にいろんなことを言われてしまう、という状況が生まれてくることになるからだ。

    その観客と台詞とのギャップ、女優さんに面と向かって話し掛けられれば、つい頷いていまうような感覚、そんなお芝居と観客が接する一瞬が、とても面白いことになっているのだ。オリジナルの台詞は変えずに。

    もちろんそこが、チェーホフが「喜劇」と書いたポイントではないのだが、『桜の園』の世界の中に入ったら「あれ、面白いんじゃないか」と思わせる不思議な一瞬が起こっていたと思う。

    これは、演出的にも意図されていたことだと思う。

    単なる「客いじり」の1つのパターンじゃないか、と言う人もいるかもしれないが、それだけではない感覚がそこにはあったと思う。
    『桜の園』に触れた感じ、とでも言うような感覚だ。

    スピーディな展開と、特に直江里美さんが演じていた女地主のラネーフスカヤが、若々しくて軽やか明るいので、桜は咲いているが、凍てつくようなロシアでの物語感が消え、もっと身近になった印象がある。
    言ってしまえば、陽気なアメリカのホームドラマの一場面のような感じなのだ。

    それは、執事だの、老僕だの、商人だのと言った、重々しく台詞回しをしがちな登場人物が姿を現さない(役者が演じない)ことからも起こってきたのだろうと思うのだ。

    ただし、桜の木を伐採しているような音を、薪のようなモノを叩いて出していて、それがことのほか、強く響いていて、彼女たちの境遇を忘れさせないようにしていたのも印象的。

    ワーリャとアーニャの配役も絶妙だった。ワーリャ役の阿波屋鮎美さんのすこしおっとりした姉感と、アーニャの若さ&観客を台詞によっては、正面で見つめる目力が印象に残る。

    最初に、「『桜の園』を1時間ぐらいでどうやって見せるのだろうか」ということに一番の興味があったと書いたが、確かに1時間ぐらいに作品は縮められたが、実は、観客が観たのは、単に『桜の園』を短くするためだけの演出ではなく、ラネーフスカヤの気持ちのコアの部分を見せ(独白の台詞が浮かび上がってくる)、さらに観客に作品を身近に感じさせ、くすくす笑いを起こさせることになっていたのだ。

    うまい。

    オリジナルのラストは老僕のフィールスがぶつぶつ言って幕となって、観客は少々暗い気持ちになるのだが、今回は役者が演じるフィールスがいないので、彼の台詞はもちろんなく、ラネーフスカヤが爽やかに去っていくシーンで終わる。

    フィールスのシーンがないことで、ラネーフスカヤとその娘たちが、ドアを開け、新しい世界へ希望を持って踏み出していくような印象を与えた。
    それは、『風とともに去りぬ』のラストのような印象なのだ。
    そう言えば、『風とともに去りぬ』のスカーレットとラネーフスカヤって、境遇が似ているかも。

    東京公演は1日だけだったのがもったいないと思った。

    もし、再演があるのならば、大学生のペーチャが観客的には儲け役だった、とだけ書いておく。

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