歩きはじめる時 公演情報 歩きはじめる時」の観てきた!クチコミ一覧

満足度の平均 3.5
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  • 実演鑑賞

    満足度★★★★

    鑑賞日2026/06/20 (土) 14:00

    座席1階

    国の方針により聾学校で手話教育が認められていなかった昭和30年代が舞台。熊本出身の女子看護学生が、勤務先の京都の病院に入院してきた耳の不自由な男性患者との交流を通して、理想とする看護師像を見つめ直す。

    手話の化身と称する役者に舞台手話通訳の役を与え、字幕も完備したバリアフリー演劇だ。客席には耳の不自由な人も多く、終幕時には手をひらひらさせる賞賛があちこちで寄せられた。
    その時代の医療者の意識、世間の障害に対する差別感がきっちり描かれていた。加えて、戦争の爪痕や水俣病問題など、通底することがらも盛り込まれていて、厚みを感じた。とてもいい脚本だったと思う。

    病室を舞台にしたテンポのいい演出、主演の看護学生を演じた新里乃愛の熱演は特筆すべきだ。舞台に込めたチームクレセントのメッセージが明確に伝わってきた。手話が多くを占めるとても静かな舞台。携帯の電源はしっかり切るのが求められる。

  • 実演鑑賞

    満足度★★★

    熊本から集団就職で京都にやって来た主人公。昼間は京都第二赤十字病院で看護学生として働き、夜は定時制の同志社高校で学んだ。一年経ち1963年(昭和38年)、胃潰瘍治療の為入院してきた男性との出逢いが人生を変えることに。男性はろう者だった。

    ステージ上部に投映され続けるオープン字幕。ろう者と聴者、全てに公平に情報が行き渡るように。

    MiCHiさん。今作の一つの大きな冒険である「手話の化身」役。ろう者俳優でダンサー。殆ど出突っ張り。手話に宿る精霊として存在を受け取った。弱い者達が彼女の力を必要とする時、彼女は力を貸す。聴者には何の必要も意味もない存在だった筈が実はそんなことはなかった。他人の心と寄り添える手段そのものを彼女は象徴する。他人の心に触れるということは自分の心に触れることでもあるという真理を。

    昨年観た『わたしのこえがきこえますか』が本当に傑作で未だに衝撃を憶えている。来年6月、座・高円寺1にて再演予定なので絶対に観て欲しい。(作品の濃密な空間設計に対して会場が大き過ぎる気もするが)。

    ネタバレBOX

    主人公は新里乃愛(しんざとのあ)さん。『わたしのこえがきこえますか』でも同じく清原役を演じた。京都第二赤十字病院の看護学生・中島千代美さんがモデル。

    近藤辰哉氏。京都府立ろう学校教員・西田一(はじめ)氏がモデル。中途失聴者(後天的に聴力を失った者)の役を見事にこなす。飄々とした表情がKANっぽい。1歳頃に聴覚障がいが判明したそうだがとてもそうとは信じられない程喋れる。(パンフでは中途難聴者となっているが?)。イントネーションが外国人っぽいなと思う所は少々あったが驚いた。ダンサーでもある。

    佐田明氏。日本の手話通訳者の先駆けとされる伊東雋祐(しゅんすけ)氏がモデル。成瀬正孝っぽい渋さ。チャップリンのマイムの再現シーンには驚いた。

    光永勇輝氏。京都府立身体障害者福祉センター指導員・向野嘉一氏がモデル。イケメンの劇団ひとりみたいなカッコ良さ。目がキラキラしていて役者として華がある。大成して欲しい。今回、初めて手話を学んだ!?信じられない。

    春田ゆりさん。『わたしのこえがきこえますか』〈Bチーム〉では主人公一家の隣人だった筈。味がある。子供の頃に受けた空襲が原体験。重要なキャラ。

    宮川知久氏。『わたしのこえがきこえますか』〈Bチーム〉のお父さん役。今回はヒールとして作品の手綱を見事に締める。リアリティある現実の痛みを観客に伝える重要性を担う。金の取れるいい役者だ。

    小野花音さん。もう少し見たかった。ろう者俳優。重要なテーマを詰め込んだ役。
      
    1963年(昭和38)年9月、京都市手話学習会「みみずく」誕生の物語は大いなる運動の始まりを告げる時代のプレリュードでもある。
    聴者である教師が生徒の手話を禁止し口話教育を強制する授業(読唇=口の形を読み取る)に生徒達は長年不満を募らせていた。1965年(昭和40年)11月18日、京都府立ろう学校高等部の生徒全員が重要な学校行事であった写生会をボイコット。1966年(昭和41年)3月3日、京都府ろうあ協会と京都府立ろう学校同窓会の連名で声明を発表。『ろう教育の民主化をすすめるために―「ろうあ者の差別」を中心として』=ろう者の人権宣言「3・3声明」と呼ばれる。これを切っ掛けにこの閉塞した世界は大きく変わり、この年は後に「ろうあ運動元年」と称された。

    ※今作は正直、期待した程ではなかった。一つは演出面の力不足。脚本の再現に努めるだけで終わってしまった。もっと良い脚本の伝え方を模索工夫すべき。脚本が食材なら演出は調理。脚本の紹介だけに終始した感じ。ドラマとして平坦過ぎる。小野花音さん演じる元生徒の話が重要なパーツになる筈なのだが。新里乃愛さんが閉ざされた世界を開く鍵を手話によって手に入れる感覚の共有が必須。そうでないとラストに繋がらない。脚本も作家の壮大な構想の冒頭部分なのだろうが、ここで観客を掴まないことには次に繋がらない。出し惜しみせずに勝負すべき。
    片山美穂さんが出ないのも残念。

    中盤、春田ゆりさんが「看護婦はそんな生半可な気持ちで務まる仕事ではない!」と叱責。新里乃愛さんは母親の病気が水俣病であることを明かし、「生半可な気持ちではない」と答える。ここからグッと物語に気持ちが込められた。登場人物が善人ばかりなのも弱い。水俣病の母親なんか声だけでも欲しかった。

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