満足度★★★★★
凄く素敵でした
大変楽しく観劇できました。
あの本来邪魔な柱も上手に工夫されてました。
同じ女性としているかも!と思わせてくれたヘッダから
思わず目が離せませんでした。また拝見したいと思いました。
満足度★★★
ファム・ファタルになれなかった哀しい女
イプセンの名作だということも知らず、もとよりイプセン自体もその作品をひとつも知らないまま観劇。
美しいけれど、最初から最後まで理解不能の厭な女ヘッダ。
だけどなぜ?
どうして?
あのセリフはどういう意味?
観劇後、気になってネットであれこれ検索。
するとまた違ったヘッダが見えてきた。
テスマンも、ミセス・エルヴステッドも、レーヴボルグも。
戯曲を読んでみたくなった。
読んだ上で、もう一度この舞台を観てみたかった。
満足度★★★★★
今年これ以上の演技って観られるのだろうか?
夫婦とそのお互いの元恋人計4人が、
ひとつの部屋に揃った時にドミノが倒れ始めた。
最終的には何か絵を成し遂げる訳でも無く、
倒れ散らかしたままテーブルの端から牌が落下して砕けるだけ。
満足度★★★
イプセンは良い作家だ
イプセンの『ヘッダー・ガプラー』を観た。イプセンは,『人形の家』が抜群に有名である。その話には,脇役で一組の男女の話が出てきた。男には,子どもがいて,女には安定した地位・仕事があった。最後に,ノーラが家庭を壊して,無責任に出ていくのに対し,脇役のさえない二人の結婚で救いを与える。
子どもはきっとかわいくて,そのオヤジは,ばかでノーラをゆすっていたような人間だ。そのことは十分わかっていて,女は,その子たちの母親にもなってみたくなる。おそらく,悪人になりかえけていた愚かなオヤジも今度こそまじめにやるのであろう。
『ヘッダー・ガプラー』には,そのような救いはどこにもなかった。結局,事態は,交錯し,悪く悪くなって,殺人事件にまでいたってしまった。だから,人は,そんなことはするものじゃない,というわけだ。もう少し,どこかに救いがあって欲しかった。
イプセンは良い作家だ。シェークスピアのような深いところがないという人もいる。生活という小さな世界に演劇をおしこめたとか。でも,それは,それでいいじゃないか。むしろ,こっちの方が,実際の結婚観などに参考になる人が多いと思う。幸せになるために。
イプセン『ヘッダー・ガプラー』には,盗作のシーンがあった。イプセン自身は,何らかのかくされたメッセージを伝えることより,現代社会に生きる人間の世界を十分に描きたかったという。
ヘッダー・ガプラーの夫は,もの凄いマザコンだ。おばちゃんが大好きで,おばちゃんと思い出の品,すりっぱを,妻に見せようとする。それが,妻にとっては,なんの意味もない悲しいアクションだ。でも,夫は,子どもで,そのまま教授に向かう夢を追う,たいへんなポンコツだ。
そのような場所に,一体,ヘッダー・ガプラーを送りこんだのは誰だろう。それは,ブルジョワ社会の仕組みなのだ。彼女の父が残したピストルが,一体なんのためにあるか,ヘッダー・ガプラーはわからない。実際,将軍である父の時代には,そのピストルは一度も使われたことはなかったのだ。
でも,このブルジョワ社会の象徴である夫に嫁いだ,ヘッダー・ガプラーは,高貴さをもちながら転落していく。
ヘッダー,そりゃいけない。
いけないですって。
目が覚めて,大事な原稿がなくなって,レェーブボルグはどうするの。
書き直せばいいじゃん。
そりゃ無理だね。
インスピレーションは,一度だけだ。
コピーもないから,絶対無理だ。
ほら,ここに,レェーブボルグのメモはあるわ。
テスマンさん,一緒にこのメモを整理しましょう。
そうすれば,あの幻の新作は,きっとよみがえるでしょう。
そうですね。これからは,一生かけて,この仕事を二人でやりましょう。
レェーブボルグも,ヘッダー・ガプラーも死んでこの物語は終わる。
満足度★★
強過ぎて孤立する女
イプセンの名作を大きなアレンジは加えずに、比較的ストレートに描いていましたが、会場のサイズに合っていない演技・演出に感じられました。
簡単に言ってしまえば男女関係を巡るメロドラマのような物語ですが、単なる恋愛話にとどまらず、それぞれのエゴがぶつかったり、すれ違ったりしながら破滅的な結末を迎える様子が丹念に描かれていて興味深かったです。
基本的にはオーソドックスな会話劇のスタイルでありながら、各幕の始まりを役者が演技中に告げたり、そのシーンに登場しない人物をステージ上に佇んでいたり、メタファーとして小道具が使われたりと、単なるリアリズムの芝居にしない工夫が施されていましたが、効果よりも寧ろあざとさが感じられて残念でした。
客席の間を通って出入りする時に、意図的な演出としてではなく客席まで照らされるのが、現実に引き戻される様で気になりました。
感情を表現する仕草がわざとらしく感じられ、シリアスに演じているのに滑稽に見える箇所が多く、物語の世界に入り込み難かったです。
床・壁・天井がコンクリートの狭い空間にしては全体的に声のヴォリュームが大き過ぎていて、うるさく感じて疲れました。特にイェルゲン役を演じた吉田テツタさんの必然性の感じられない大声が気になりました。
自由を求めて人と衝突してしまうヘッダを落ち着いた演技で魅力的に表現し、いかにも海外戯曲的な台詞回しも自然に聞かせた、渋谷はるかさんが素晴らしかったです。